じじかたたたきけん(オタク老人のひとりごと34)

 

  今年の夏、繁一家が弘前にやってきた時、孫が書いて渡してくれた、「おじいさん かたを叩きましょう!」というメッセ−ジの紙切れのことが今回のテ−マである。

 2001年8月生れの(しんのすけ・伸ノ亮)はや5歳になって、”ひらがな”を書くようになったのである。まだ本格的な「字」にはなっていない、かぎかたちの字であったので、母親に読んでもらったら以上のようなメッセ−ジであることが分かった次第である。もう一枚の方は「ばばかたたたきけん」であった。

 それを本人に渡したら、ほんの2-3分であったが、肩を叩いてくれたのである。

 「孫」という唄がはやったことがあったが、なんと「ほほえましい風景」であったことには違いがない。

 このささいな出来事について、頭にめぐったことを書いておこうと思ったのである。

 村おこしとか街おこしとかに見聞ききしたことのある「そこだけに通用するお札」のことを思い出した。「じじかたたたきけん」も同じことではないかと思った。

 次ぎに考えたことは、世界に通用する「貨幣」とは何であるのか、ということであった。 前に「世界通貨」の夢を見、欧州連合(EU)が「ユ−ロ」を発表し、2002年流通したことを思い出した。

 「経済」とか「通貨」とか「お金」のことにか全く知識のない者のじゃれごとではあるが、秦の始皇帝とかモンゴルの歴史の中に「通貨」の話がでてくる記憶がある。もう少し昔の話として、南洋に大きな貝とか今いう「貨幣」があったという記憶もある。また私の研究に中に登場した「塩」について、「塩を買うために兵士に与えられたお金として”argentum salarium"があって、これが現代のサラリ−の語源になったといわれ、また塩そのものが貨幣として使われたところもある」と書いたこともある。そして何故「銀」なのかと考えたこともあった。「銀鉱山」が榮え、その内「金本位制」になり、紙のお札ができたとき、「兌換券」とか云われたこともあった。

 百科事典(Wikipedia)で「貨幣」をみると、「価値の尺度・交換の媒介・価値の保存」の機能をもったモノである。本来貨幣とは本位貨幣(本位金・銀貨)をさす言葉であったが、現在は狭義には、補助貨幣としての硬貨を指し、広義には紙幣及び銀行券を含む通貨(=お金)の意味がある」とあった。まさに要をえた説明である。その他、機能・歴史など説明されていた。

 第一次大戦のあと、、負けたドイツのお金が価値をうしなって、インフレになり、日本の円が相対的に価値が上がり、ゲチンゲン大学の図書をごっそり買ってきて、それが「労研」の貴重な図書になった記憶がある。大原の美術館と同じように。

 戦後日本軍が発行した軍票は価値は無くなった。

 戦後日本もインフレになり、日本円が「封鎖」されたこともあった。

 私が在外研究に出発したときには、1ドル360円であった。

 その後「プラザ合意」にあとドル円の関係が急速に変化したことが統計資料の上から見られる意味を知りたいとかねがね思っていた。

 先日亡くなった橋本総理がアメリカの大学かの講演のとき、アメリカの国債を手放したくなる気になりとか云って大騒ぎになった記憶がある。その辺の事情について専門家の解説を得たいのだが、素人のひとりごととしては、「国債」のもちあい、「為替」の問題であるように思える。今の中国の経済・元の問題とからまっていることでではないかと思うのだが。

 そして今、毎日、円、ドル、ユ−ロとかその価値が報道されている。

 話は飛ぶが、そのもとは「信用」ではないかと思う。

 日本が「信用」される「国」になれば今後安寧であるのではないか。(20060901)

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