昭和47年のことであるが、医学方面で名前の通っていた金原出版が肝いりで「財団法人日本医学文化保存会」が発足したことがあった。
どういう訳かは分からないが「評議員」の依頼を受けたことがあった。
私の想像では、「大鳥蘭三郎先生」か「緒方富雄先生」からのお話があったのではないかと心の中で思っていた。
そのおかげで、色々の貴重な資料をいただいたり、「小川鼎三先生」が館長をやられた青梅市にできた「医学文化館」をみる機会が与えられたことを思い出す。
諸先生なき今どうなっているかと思う。
昭和56年のお正月に金原出版から戴いた「年賀状」が今回のテ−マである。
それは「醫」百体(細井恵三書)であった。
丁度そのころ、漢字の歴史に興味をもち始めたころであったが、我が家にくる年賀状の「謹賀新年」の「謹」の字の活字に何種類もあることを数えたことと同じではないかと思った。
今「医」とある「い」が、ちょっよ前の「醫」だけでなく、「百体」あるということを示した書であった。
「醫」の下のつくりに「酒」(さけ)があり「巫」(みこ)があることに気がついたころであったことを思い出す。
漢字がわが国に入ってきて、カタカナ・ひらがな・草書などと、ことばの文化から日本特有な文字文化になったのではなかったのか。
アフリカはことばの文化であったと聞いた記憶はある。 アイヌの伝統文化はことばの文化だと深夜放送で聞いた。
新しい52歳の総理大臣が誕生し所信表明演説を聞いた。「美しい日本!?」はどこに向かってゆくのであろうか。(20061005)