弘前大学医学部昭和54年卒業25回生同窓会
平成18年10月8日3.30-20.− 医学部コミュニテイセンタ−及びホテルニュ−キャスル
幹事(中路重之):招待佐々木直亮・品川信良・帷子康雄・永井一徳・武部和夫:ホテルのみ山口富雄・河西達夫:参加50名:挨拶・スライド上映・記念講演「危機にある日本の医療」本田宏あり。
挨拶(佐々木直亮)
−−これは小道具で、りんごの枝でつくった「護身用の長寿の杖」です−−
皆さんが卒業したあとでしたか、「クイズ面白ゼミナ−ル」の放映に出たことがありましたが、その時は2分30秒で30年かかった研究の内容をしゃべれということでした。
私はもう出る幕ではないと思いましたが、中路君から5分から10分ということで、少し長すぎるのでないかと−−−
皆さんにお会いしたのは、弘前大学もようやく充実してきたころで、私も、”educator”と云われましたが、”皆さんは頭がよいから国家試験は通るだろう”と、自分の研究からの考えを講義した記憶がありますが、皆さんは国家試験に通って、医師になって、活躍して居られる、有り難いことと、また今日の様な会に呼んで戴いて有り難うございました。
昭和29年に弘前へきたわけですから話せば色々なことがありました。
この会場も以前は付属の幼稚園のあったところで、学生のクラブの部室があった記憶がありますが、そんなことで、今すべてHPにいれる努力をしています。
GoogleかYahooで”佐々木直亮”といれると”naosuke”というHPがでてきますから−−
1921年大正10年1月17日東京に生まれ、このかた85歳になるまで、色々なことがありました。
スキ−部のことも保健医学研究会の「明日の健康を求めて」も鵬桜会報に連載した「衛生学教室のアルバから」もいれましたのでおひまの時にご覧下さい。
今年は自ら「オタク老人」と称して「ひとりごと」をいれていますが、昨日は「美しい日本」に「!?」を附けたことを入れておきました。
−−−もうすこし−−−
一つ忘れてならないのは,皆さんが3年の時でしたか”SGT”があって、基礎医学も選べることになって−−中村馨君が−−−あまり衛生学の講義に出なかった、勉強しなかったのでと−−−2週間勉強にきたことがありました。
私として前から重要と考えていた「コホ−ト分析」で、「同一出生年次群の日本人がどのように死亡してゆくか?」の計算をやって戴きました。大事な研究であったので、そのあと同君と共著で「弘前医学,31:186-194,1979」に掲載して戴きましたことを思い出します。
私は4年前の「重症肺炎?」ということで救急車の運ばれ−−−”しらぎく会”の扉が閉じていて−−−生きて皆さんとお会いできて良かったと思っています。
「葬式無用・戒名不用」の心境ですが、皆さんの活躍を祈って、一寸長くなりましたが、有り難うございました。(20061008)