アメリカ人の名前にはジュニア−(Jr.)のつく方が多いように思われる。
建国以来日に浅い国では、その中で業を起こした方、創業者が多い場合、名前を次ぎの世代に残したい気持ちがあるのではないかと推測するのだが、辞書には「イギリス・アメリカなどの人名で、父と子の名前が同じ時、子の姓名の下につけて、二世であることを示す語」であるとあった。もちろんその前に「スポ−ツなどで、メンバ−を上級者(年長者)と下級者(年少者)に分けた時の、下級のもの」が1、「教養課程と専門課程が分かれている大学で、教養課程の学生をいう」が2番目と辞書にあった。
一代で業を起こした方は、人生の終わりに近づいたとき、どういう思いであるのかなと考えた次第である。
「親方日の丸」の「国家公務員」で退職後「年金」で生活している身で、「何」をくだらないことを考えるのかといわれそうだが、お許し戴きたい。
「官から民へ」が大合唱になって、時代が推移している世の中である。
「官」とは何か「民」とは何かを考えることがテ−マである。
弘前大学も平成16年4月1日、国立大学法人法に基づき、国立大学法人弘前大学になった。
三田評論1月号を見ていたら、安西祐一郎塾長と生田正治日本郵政会社総裁との新春対談に「官から民へ」の「未来への先導」と、創立150年へ向けての決意が述べられ、「民のしにせ」としての意気込みをみた。
調べものがあって昔買った「渋沢家三代」(佐野真一:文芸新書)に、明治5年11月に公布された国立銀行条例による日本初の銀行「第一国立銀行」も名前は「国立」であるが、基本は「民」であることを再認識した。
「国立音楽大学」も「KUNITACHI」であって、創立80周年を迎えるとあった。
国家が国としての「事業」を始めるのとは違って、「民間」が「事業」をはじめるのは、創業者の思いがあると思われる。「国家」の場合、国家の意思とはなんであるのであろうか。
わが国には「明治維新」以後、世界の仲間入りするために、欧米を視察し、「国づくり」を考え、「憲法」を考えたのではなかったか。
「明治維新」の説明として、「江戸幕府による幕藩体制から、明治政府による天皇親政府体制の転換とそれに伴う一連の改革をいう」とあった。正に「御一新」であった。
「軍」をはじめ「保安」「運輸」「通信」と「国家」を創った人たちが考えたのであろう。
そのもとはわが国では「租税」にたよることであった。サウジアラビヤは絶対君主制国家であるが、「石油」があるから「税金」はなく、国が成り立っていると思われる。
そんな時に「富国強兵」「殖産興業」のスロ−ガンのもとに、「官営工場」ができたが、金融制度としては、「貨幣制度」を改めて、通貨単位として「円」を導入し、「国立銀行条例」による「第一国立銀行」が誕生している。
「渋沢家三代」の中に、「隅田川船中大論争」「岩崎弥太郎との死闘」が大きく取り上げられているように読んだが、明治維新のあとの「論争」として読むと興味を覚える。
明治15年に「軍人勅諭勅語」がでている。そのあと「教育勅語」は明治23年である。
「軍」は戦後解体された、文民統制下にある「自衛隊」になった。軍はなくなったが、国をリ−ドした官僚は残った。
国の経済・金融をリ−ドしていったのは、いくつか政変があったようだが、「東大出」の官僚で、その中でも「大蔵省」ではなかったか。
小さいときだったが、鉄道関係者が家にきて、東大の出身者が卒業年度ごとに出世がきまっていて、次官以下一斉にかわるとかなんとか喋っていた記憶がある。
「天下り」とか「談合」とかいう言葉をきくと、「その根」は深いと思わざるをえない。皆それぞれ生存競争をやってきたのだと思うが、それはわが国の「エトス」のしからしめることなのかなと思う。
「公」と「私」のこと、「パブリック」のことを前に書いたが、先日「社説」を読んでいたら、「公教育」とは「国」を考える・・・・とかあって、このように考える方がまだいるのかなと思った。
「民」で「創業」すれば、誰も文句はいいようはない。私立大学では「創業者の精神」が尊重されるようである。「二世」「三世」になると必ずしも「創業者の精神」のことは忘れてしまうのでないかと思うことがある。
わが国での政治の世界では「ジュニヤ−」が多いように見える。
学者の世界には「ジュニヤ−」はないようである。「自分は自分」の世界であるからであろう。
「民」も「官」もよく考えると難しい。
「Jr.」とにた言葉に「シニヤ−」がある。「ゴルフ」の時に「シニヤ−」「グランド・シニヤ−」を経験したが、先日関西の方が「死にや!」と聞こえるといっていたのが、妙に記憶に残った。(20070121)