春近く思うこと

 

 「春近く」という題で「ひとりごと」を昨年は4月9日に書いているが、今日3月23日に同じ題が頭に浮かんだのは、今年の冬は弘前でも一寸前冬将軍が舞い戻ったこともあったが「暖冬」であったせいかも知れない。

 南からは「開花宣言」「花便り」が聞かれるころであるが、ここ弘前では道路に積雪はないが、「花」はまだ先の話である。

 虫が這い出してくるように、一寸休んだ「ひとりごと」を書く氣になった。

 

 朝枕元のラジオが「選抜野球」の開会を告げていた。

 先日「春は選抜から」という言葉は放送から生まれたという話があったことを思い出した。

 起きてTVをみたら入場式・挨拶と「型どおり」であった。79回であり、選手たちは皆「平成生まれ」であるとのことであった。ここに集まった選手たちの心の内を聞きたいと思った。最近の色々なニュ−スとからまって。

 アナウンスの声は「弘前の女子高生」なのに、地元からでていないので「もりあがらない」とは正直な話であろう。

 

 「カ−リング」(世界女子)の「青森チ−ム」は残念な結果であったが、健闘したと思う。「勝てた試合」もあったのにとは、地元ならではの「地上D」で実況をみての感想である。

 

 BSで世界のメデイアにかかわる諸問題についての放映があった。

 丁度私の「HP」について、「個人情報保護」を犯しているのではないかと「心配」してくれた話があったので、「IT革命」の中に生きてゆくことの苦労を思いながら見ていた。

 すでにアメリカ・韓国では随分変化がみられている。わが国でも「電子漫画」が誕生したとか。

 「著作権」が今後どうなってゆくのかの問題も提示されていた。

 私も「著作権」をいくつかもっているが、それを犯されたといっても「訴える氣」にはならないし、手間もかかるし金もかかる。

 一方「情報公開」「説明責任」が言われる。

 統一選挙が始まったが、「東京都」は他人ごとながら見物(みもの)である。

 東京都民は誰を、どちらを選ぶかという問題で、アメリカでの、また韓国の大統領の選挙の結果も、ただちにわが身にふりかかることではないが「氣」になることではある。

 

 「ドタキャン」とはいわゆる「タレント」さんが「興業」の約束を破って雲隠れしてしまい、「ワイドショウ」の話題になるような時に使われる言葉だと思っていたら、国と国との付き合いにもあった記憶がある。首相との約束を反古にして国へ帰っていった人がいた記憶がある。「副・・・」とか肩書きがあった方でも、言うことを聞かなければならない事情があったのであろう。それが「何?」のかは誰も知りたいと思うのは極く自然であろう。と思って居たら今度の「六か国協議」の場から突如きえてしまうとは・・・。(20070323)

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