久しぶりに100歳になられた先生の元気なお顔を拝見することができた。
慶應義塾医学部新聞(19.8.20)に「三四会の健康長寿応援企画I−100歳のサイエンテイスト」に「金井潔氏インタビュ−」の記事をみたからである。
三四会員の長寿調査をおこなったところ、かなりの方が100歳以上でおられることが分かって、その第1回の「インタビュ−の記事」になったという。佐久市にお元気な先生への訪問記事であり、奥様ともどもの写真が掲載されていた。
金井先生とは三井生命勤務のかたわら信濃町の医学部の予防医学教室(戦後衛生公衆衛生教室といわれていた)で川上理一先生の指導のもとで勉強して居られた姿を拝見していた。
「川上先生にどのような研究をすべきか相談すると、研究をし続けて20年するとテ−マがみつかる、といわれました。つまり20年しないと研究テ−マはみつからないと。研究とはそんなものか、と思いました」
「先生の論文を作成するためにサンプル数を20万集めなさいと言われ、厳しい世界だな、と思ったことを覚えています」
「大数統計」を基礎におかれていた川上先生の考え方がわかる気がする。
「当時サンプルを多く集めるには、保険会社しかなかったのです」「そこで三井生命に入社して、デ−タを集めて研究しようということで、入ったのが三井生命。最後には、メヂカルデレクタ−として働いていました」
「昭和29年に京都で行われた日本医学会総会の宿題報告をやらせていただいた。血圧の研究ですが、(正常血圧を理想的に分類する方法)ということで、世界で最初の研究でした」
昭和29年といえば私が弘前に赴任してきたばかりの時で、信濃町時代を思い出しながらこのときの報告を聞きに行ったことを思い出す。抄録を戴いたりして。
「お元気なお顔が拝見しました」「私も先生の講演をお聞きしたこ思いだします」
「それから東北の弘前で(高血圧の疫学的研究)を始めたのですから・・・」とお手紙を差し上げた。
私が「血圧論」を発表したとき、先生の論文も引用した。考え方は.異なるものであったけれど。
「血圧論」の考察の中で「金井も生命保険の資料から成熟期に完成される血圧を正常血圧とし、正常血圧はそれ以後変化しないが、別に高血圧群が、年齢の上昇と共に出現してくるため度数分布曲線の変貌がみられるとした」と。
これにたいして先日亡くなつた平尾正治先生(第一生命)が別の見解を報告したことも記憶にある。「成熟期以後の血圧の分布は、二種の正規分布をなす血圧の複合分布であることを認め、正規分布をなすそれぞれの血圧群の上限界、下限界および平均値は年齢の増加に従って上昇することを認めた」と。
ともに基礎になった資料は生命保険におけるもので、われわれの行った「実際に生活している人々」がもとになった「血圧論」」とは異なるものであった。最近は国内外とも、血圧の分布を検討した論文にはお目にかからない。
「百歳まで非常に元気で生きられた秘訣のようなものはありますか?」
「人間の寿命は食べ物や運動なんかで延ばすことはできないのが、生物統計学者の考え方なんです」「寿命に影響を与える障害を差し引いた分だけ生きているに過ぎないんですからね」
「そういうことに関する研究は、全くしていないので、自分が話したというと嘘になるからね」と。
それにしても「金井先生との年齢差はなんと40歳」「金井先生の人生で一番嬉しかったことは、奥様と出会ったこと」とは何とうらやましいことではないか。(20070905)