1908年ザルツブルグ〜1989年同地。 ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院、ウィーン国立音大で学ぶ。1927年のウルム市立歌劇場指揮者を振り出しに、1934年アーヘン歌劇場音楽監督、1949年ウィーン楽友協会終身音楽監督、1955年からはフルトベングラーの後任としてベルリンフィル芸術監督に就任。世界の音楽界の帝王として君臨。最先端の音声、映像テクニックをいち早く導入。レコードや映像で世界中の音楽ファンにクラシック音楽を近づけた。


1980年ザルツブルグ復活祭音楽祭

カラヤンが芸術監督をつとめるこの音楽祭は、手兵ベルリンフィルをオケピットに入れて、ワーグナーのパルジファルが上演されました。そのリハーサルの初日、オケボックス以外の光が全くない暗闇の中、私は祝祭大劇場1階の一番後ろの列から、遥か彼方でわずかに振り下ろされたマエストロの指揮棒をかたずを飲み見つめました。
その時不意に、懐中電灯を持った人が私の前に立ち、低く押し殺した声で身分を明かすように問いかけてきました。後で知ったのですが、この人はパピーヤさんといってカラヤン専属のボディーガードだったのです。私は急いで、日本から指揮の勉強に来ている、前年のカラヤン指揮者コンクールでフィナーレに残った、ベルリンフィルのインテンダントのストレーゼマンさんの推薦を頂いた、ベルリンでカラヤンにお会いしたときに許可をもらった。以上のことを告げました。するとこのボディーガードの人は、ちょっとついてきなさいといって、足下を懐中電灯で照らしながら歩み始めました。ちょっとつまみ出されるかな・・・こんな雰囲気でしたが、なんとこの人は真っ暗な客席を、ベルリンフィルが演奏している最中に、どんどん前の方へ歩いて行くではないですか。これまでの人生の中でこんなに心臓がドキドキしたことはありませんでした。やばいよ・・もしここでカラヤンに、この日本人を知っているか?とか始まっちゃって、知らない! なんていわれた日には・・・
そしてこのパピーヤさんはカラヤンのすぐ後ろまでいくと、私にここに座りなさいと言いました!! みなさんご存知のようにオペラの場合指揮者のすぐ後ろに客席があり、そこに座ることが出来たのです。カラヤンとわずか2〜3メーター、オケピットではベルリンフィルが演奏しているんです・・・
それから帰国するまでの4年間、カラヤンの練習をこうして見ることが出来ました。さらにカラヤンはザルツブルグ音楽祭の総監督でもありましたから、カラヤンの許可がある!というと、すべてのリハーサルはフリーパスなんです。ですからカラヤン以外にも、ベーム、ショルティー、バーンスタイン、レバイン、マゼール、アッバード、小沢・・もちろんウイーンフィル、ベルリンフィル・・・世界の音楽の鉄人の味見をさせて頂いたわけです。
音楽の商売人、目をつぶってかっこつけている、きざな指揮者、ただ完璧に演奏する・・・
カラヤンがあまりにも有名なため、ベルリンフィル、ウィーンフィルといった世界最高のオーケストラしか!指揮をしないため、また音楽界の帝王とと呼ばれていたため・・・この指揮者は音楽界のいわゆるカラヤン閥以外のグループから、手厳しい言葉を浴びせられていました。事実私も、フルトベングラーこそが音楽だ! カラヤンの音楽には魂がない・・みたいなことを、よく耳にしました。そういう意味では、私はそれまでけっしてカラヤンフリークではありませんでした。そんな私の目の前にいたのは、目をつぶり帝王の名前のもと、かっこつけて指揮をする商売人カラヤンではなく、70歳を越え、足下がふらついた小柄の老人でした。しかし彼の目は私がこれまで見てきた誰のよりも鋭く、威厳に満ち、自信に満ちあふれていました。そしてひとたびベルリンフィルを指揮すると、それは正に神に見えました。唯一同じ種類の目の輝きを持っていたのは、カラヤンの天敵ともいわれたチェリビダッケでした。

カラヤン通り

モーツァルトの霊?

ザルツブルグ近郊のアニフにあるカラヤンの家の前の道、カラヤン通り。
この看板がよく盗まれ、あるとき盗まれた看板が翌朝モーツァルト広場のモーツァルトの像に掛かっていた。人は、カラヤンのモーツァルトの演奏があまりよくないので、モーツァルトの霊がやったんだ!とうわさした。
カラヤンの屋敷は牧場の中にポツンとある。上の白黒の写真の後ろがヘルブルン宮殿。
下の写真、モーツァルトの像の後ろの建物にモーツァルトの未亡人、コンスタンツェが晩年を過ごした。
モーツァルト広場

基本に忠実

カラヤンの音楽は一般に現代的、スピーディーといわれていましたが、実は大変オーソドックスな音楽の作り方をしています。多くの指揮者があまり根拠もなくテンポを変化させたり、ルバートをするところ、カラヤンは基本的に楽譜に忠実に音楽を作っていました。楽譜に書いてあることをする・・・このごく当たり前のことを再び耳にしたのは、帰国後ラジオのインタビューで朝比奈隆さんのお話を聞いたときでした。

馬の手綱さばき

カラヤンは指揮のこつを、馬の手綱さばきによく例えていました。馬が行きたい方に行く・・オーケストラでいうと、楽員の音楽性を尊重して、その流れをつかむことにすばらしい才能がありました。

最後のばらの騎士

リヒャルト・シュトラウスのオペラばらの騎士のオーケストラ練習中、有名なワルツのところで、ウィーンフィルを前に・・・「私にとって人生最後のばらの騎士ですが、あなた方は確かにこの曲にかけては世界一です・・みなさんが生まれたままの音楽をして下さい。ただ、本番前はワインは飲み過ぎないように!!」ここでカラヤンはみごとにウィーンフィルの心をつかまえ、両者の間にはすがすがしい空気が流れました。演奏があっというまに生き生きとなり、ウィーンフィルの弦がポルタメントをたっぷり使い、歌い上げていきました。

ツィメルマンとリハーサル

ベルリンフィルとピアニストのツィメルマンとの初練習で。ショパンコンクールを優勝して、いよいよ初めてカラヤン&ベルリンフィルとの共演、曲はお得意のショパンの第2番、ツィメルマンの気負いに対してカラヤンはちょっと不勉強、さらっと通し、今日はおしまいといったところで・・・
ツィメルマンはスコアー片手にすくっと立ち上がり、カラヤンに対しオーケストラが合わないところがあるから、もう一回やってくれといいました・・・
楽器を仕舞いはじめていた楽員の手が一瞬止まり、それならやろうというカラヤンの一言で、ベルリンフィルがツィメルマンから指摘された場所を再び演奏しました。

今度の演奏は完璧でした・・

カラヤン  「どうですか?」

ツィメルマン「結構です」
  
カラヤン  「音楽は言葉を使うと、どんどん悪くなる!」

カラヤンのこの言葉はとても印象的でした。
たしかにすばらしい音楽は、説明がいらない。私も指揮をしていて、気に入らなくて何度もくりかえし、いろいろ注文をつけると、かえって悪くなってしまうという経験をよくします。
カラヤンご夫妻&サントリーの佐治会長ご夫妻
ベルリンフィルのパーティーで、
私も左端に写っています。 1983年頃か?

いい仕事

モーツァルテウムオーケストラのヴィオラの友人が、カラヤン指揮のベルリンフィルのモーツァルトのレクィエムのトラに行った際、最初の練習が終わった後で興奮して・・・
「すごいよ、ベルリンフィルは普段僕らがモツレクを演奏するときの倍の人数で弾くんだけれど、それが普段僕らがピアニシモで演奏する10分の1 くらいの音量で弾くんだよ・・・ほとんど音を出さないのにギャラは倍だから、これはいい仕事だね!!」

巨匠の思い出カラヤン Part2はこちら


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