1999-09

皆さんこんにちは。とてもとても久しぶりにこのページに向かっていますが皆さんは今年の夏いかがおすごしでしたでしょうか。私はこの夏もまた、アスペン音楽祭に行ってきました。2回目とはいえ、やはりあの3500m以上の標高の町で生活するのは大変で、到着すぐに高熱を出して3日程寝込んだりしていました。(一種の高山病だそうです!)今年、アスペン音楽祭は50周年を迎え、ジェームスレヴァインを始め、かつてアスペンで学んだ一流の音楽家を招いて昨年よりも一層の盛り上がりを見せていました。
私も、その50周年記念行事の一つである記念オペラ作品(委嘱作品)“Belladonna”に出演しました。“Belladonna”というともちろんイタリア語で“すばらしい女性”という訳になるのですが、“Bella Donna”という2つの単語から成るのではなく、“Belladonna”と一つの単語にしてあるのには実は訳があって、日本でも最近手に入るのですが、青いお花の名前でもあるのです。そしてこの花は、かつて女性が堕胎するときに使用した薬でもあるということで、物語の内容とも関わりをもったタイトルになっています。
タイトルはイタリア語ですが、台本は英語で書かれていて作曲Bernard Rands。台本Leslie Dunton-Downer によるものです。舞台は現在アメリカのとある学園都市、中国人女性活動家 Agatha Lin(私はこれを演じました)の家でのディナーパーティーに集まった4人の女性の話が、基本の設定です。
そこに集まったのは大学教授で、教え子との愛に悩むCynthia ,修道女を目指して神学校で勉強しているSister Susanna,オペラ歌手のBrittany(カウンターテナー),産婦人科医のMarinaです。ディナーテーブルを囲みながら私(Agatha)がLoveについて話すことを提案すると、次からの各場面で、各々が関わっているLoveについてオペラが展開されます。大学教授が悩む男女の愛,修道女による神との愛,オペラ歌手の場面では、同性愛,親子の愛,私(中国人活動家)の場面では人類愛,産婦人科のところでは…一言でいうのは難しいのですが、彼女は堕胎(中絶)も行っているという理由から、そういうことに反対するグループから暴行を受け最後には殺されてしまいます。
これは世界的に今問題になっていることなので、ここで私が、これは○○愛である、と一言で名づけることは避けます。そして、5人の女性の格闘の後は再びディナーテーブルの場へと戻り、各々家路につく、というストーリーです。最後に私が“夢のように不確かなもの”といって全体をしめくくるのですが、5人の女性の身に起こったことが、過去のことなのか将来のことなのか、単に想像上のことなのかは、観客一人一人にゆだねられているため、私達がよく知っているオペラのような気分では観れないのが難点であり、またおもしろいところでもあります。つまり、劇場に私達は非現実を求め、またはリラックスしに行くのに、カーンと一石を投じられてしまうわけですから、批評家がそろって“難解すぎる”といったのにもうなづけます。
しかし、私は生きている作曲家と台本家を側にしながら、新しい音楽に命を吹き込んでいく作業をとても楽しむことができました。作曲家のBernardは武満徹とも親交があった、ということで、日本の話,武満さんの話でも盛り上がりました。
また、今年のアスペンでもう一つの思い出深い…をして記念すべきコンサートはジェームス・コンロン氏(現パリオペラ座音楽監督)の指揮でワーグナー「神々の黄昏」の第3幕を演奏したことです。私はプースヒルデを歌いましたが、他のキャストはアメリカのみならず、ドイツをはじめとするヨーロッパ各地で“ワーグナー歌い”として活躍している方々ばかりでこれもまた、とてもいい勉強になりました。
今回これに出演できたのは、コンロン氏からの指名によるものだったのですが、これには少々裏話があります。昨年アスペン音楽祭でコンロン氏はオペラセンターの歌手を対象に公開レッスンを行いました。その時の6人に私も選ばれていたのですが(歌う人はオペラセンターの先生方によって決められます。)授業中の事故で、頭を床に強く打ち、絶対安静の日々を送っていたため、やむを得ず、公開レッスンは断念しました。しかしその後、体調が良くなった頃、友人に「キャンセルをしたのはやむを得ない事情によるものだから、調子がよくなったのであればマエストロに連絡をとってみたら?」と言われ「そうか、これがアメリカだなあ…」と強く感じつつ、早速連絡をとってみました。すると、同じ事を考えている人はいるもので、アスペンのポスター等で見るのでしょう、全米から若い歌手達が、一度マエストロに聴いてもらいたい,ということでマエストロの予定は一杯になっていました。しかし、15分だけ、何とかひねり出してもらって機会を得ました。こういうのをアメリカではAuditionといいます。独語だとVorsingenでしょうか…。
その日マエストロは午後にコンサートオーケストラを振って、夜は7:00からオペラハウスでアメリカのオペラ「スザンナ」を振る予定でした。私は6:00からの約30分を使っていろいろ歌い、とても気に入ってもらいました。そして、その時の事を覚えてくれていたのでしょう、今年の夏の共演へと結びつきました。頭を強く打って具合いが悪かった時は本当に苦しかったのですが、かえって公開レッスンで決められた曲を歌うのではなく、その後のプライベートな形式でのAuditionで私が歌いたい曲を歌い、またマエストロが聴きたい曲をリクエストしてくれる、という自由な形で歌えたことで私の良い所を(もちろん悪い所も)じっくり聴いていただけて良かったと思います。真に災い転じて幸となる、です。また、私ごときのためにオペラセンターの事務局の人達が最後までつき合ってくれたことも嬉しかったですし、またこれがアメリカだなあ、とも思った点です。
マエストロの都合をつけることもそうですが、2つの本番の間に入れてもらった訳ですが歌う場所の設定にも多大な努力をして下さいました。結局オペラハウスのロビーにピアノを入れてオペラの会場を少し遅らせながらのAuditionでした。そういった柔軟性が、もう少し日本にもとり入れられていくといいのになあと思っています。
さてさて現在の私は、というと、まだJuilliardにいます。でも今年からはJOC(Juilliard Opera Center)といってオペラ若手歌手研修養成所にいます。本来であれば大学院の2年目の予定でしたが芸大から修士号をいただいたので、思いきってJOCを受験したところ、何とか合格できたので、大学院を中退した…という訳です。ここは定員がとても少なく、今年入った人は6人でした。はっきりと資料で確かめてはいないのですが、過去にアジア人は何人かいましたが、日本人は初めてではないか…ということです。ここでは年に3回のオペラ公演をし、その稽古もそうですが、Young Artistとして、オペラの研修を積みます。11月にはグルック「アルミデ」(私はラ・エーヌLaHaineをします。)2月にはブリテン「ルクリーシャのちじょく」(私はタイトルロールのルクリーシャをします)等々、盛り沢山の一年になりそうです。

また9月24日に、ジュリアードシンフォニーと、マーラー「リュッケルトによる歌曲」を演奏します。これは先の5月にあったジュリアード声楽コンクールで1位をとったごほうびでして今からとても楽しみです。もしその頃NYにいらしている方、9月24日 8:00pmで入場無料ですのでJuilliard Theater(155 West 65yh St)にいらして下さい!それから、12月23日(祝)14:00より音楽の友ホール(東京)でリサイタルをいたします。
曲目等はまた詳しくホームページにて発表いたします。東京でのリサイタルは初めてなのでとてもとても緊張していますが、精一杯がんばりたいと思います。それでは、またお会いしましょう!この次は、きっとマーラー「リュッケルトによる歌曲」のコンサートについての話題かな?


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