ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリーア・プッチーニ
Puccini, Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria
伊 1858 - 1924
代々トスカナの教会音楽家の家系に生まれる。5歳で父が死去、神学校で学ぶ。
1876年、ピサでヴェルディの「アイーダ」を観て、オペラ作曲家へなることを決意。
おじの援助で1880年からミラノ音楽院で学ぶ。ポンキエッリ、バッツィーニに師事。次の年には援助が途絶え、マスカーニと同居するなど苦学した。
1884年、オペラ「レ・ヴィッリ」の上演権を出版者ジュリオ・リコルディが得、以後リコルディが援助、作品を委嘱するようになる。
1893年、「マノン・レスコー」で成功、国内外に名が知られるようになる。
作品の台本作業も自身で行い、話の状況を音楽によって表現する優れた作品を生みだした。
全身全霊で愛をささげる悲運薄幸なヒロインを好み、1896年「ラ・ボエーム」、1900年「トスカ」、1904年「蝶々夫人」ではそれぞれそれまでにない斬新なオーケストレーション、サイドストーリーなしに悲劇的な結末に突き進む筋書き、音楽とドラマの一体化などで当初は賛否両論を呼ぶが、最終的には人気を得て成功。
私生活ではトラブルが続き、トゥーランドットの作曲の途中で癌のため死去。トゥーランドットは友人のアルファーノが補完、トスカニーニが初演した。
19世紀から20世紀にかけてのイタリア・オペラをリードし、現在でも不動の人気を誇る。
作品:オペラ
作品:管弦楽曲DB
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