ヴィルヘルム・リヒャルト・ヴァーグナー
Wagner, Wilhelm Richard
独 1813 - 1883
19世紀ドイツを代表するオペラ作曲家。
父は警察書記長であったが、幼い頃に死去、母は役者で詩人のルートヴィヒ・ガイヤーと再婚。演劇に関して恵まれた環境で、兄や姉も演劇関係で活躍した。
各地を転々として育ち、ドレスデン十字架学校、ニコライ学校、トーマス学校、ライプツィヒ大学などを転校。
ロギールの「音楽学の体系 System der Musikwissenschaft」を独学、その後トーマス学校で対位法をヴァインリヒに師事。
1833〜34年、ヴュルツブルクの合唱指揮者、続いて1834〜36年にはラウフシュテット、ルードルシュタットなどで、1837〜39年、リガでカペルマイスター。社会的経済的にはなかなか成功せず、貧困の内に過ごす。1836年ミンナ・プラーナーと結婚。
密航してロンドンへ渡る途中で何度も嵐に遭い、その経験が「さまよえるオランダ人」の誕生につながったと言われる。1839〜42年、パリで過ごす。生活は困窮。
1843年、「さまよえるオランダ人」初演。ドレスデンで「リエンツィ」が成功、王立ザクセン宮廷歌劇場の指揮者となる。
安定した生活となったが、1848年、革命を目的とした破壊活動に参加。1849年、ドレスデン革命で反乱側で活動するも失敗、ドレスデンから脱出、リストの援助のおかげでチューリヒへ逃亡。1850年、ワイマールにおいて、リストの指揮で「ローエングリン」初演。指環、トリスタンなどを書き始め、バイエルン国王ルートヴィヒ2世の援助も得、バイロイトに劇場を新設、大作の完成に向けて活動。
ドレスデン革命に関しては、1862年に恩赦となるまで、指名手配人物であった。
1865年、ミュンヘンで「トリスタンとイゾルデ」初演。
1870年、リストの娘で、ハンス・フォン・ビューローの妻であったコジマと再婚。
1876年、第1回バイロイト音楽祭開催。巨額の赤字となるがルートヴィヒ2世の助けで解消。
1882年、パルジファル初演。
それまでのオペラの概念を超え、新しい音楽劇の世界を拓いた。自ら台本も歌詞も書き、示導動機を使い、トリスタン和音など独特な和声、斬新な演出などで後世に大きな影響を与えた。
◆歌劇と楽劇
婚礼 Die Hochzeit
妖精 Die Feen
恋はご法度,またはパレルモの修道女 Das Liebesverbot, oder Die Novize von Palermo
リエンツィ,最後の護民官 Rienzi, der Letzte der Tribunen
さまよえるオランダ人 Der fliegende Hollander
タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦 Tannhauser und der Sangerkrieg auf Wartburg
ローエングリーン Lohengrin
ニーベルングの指環 Der Ring des Nibelungen
トリスタンとイゾルデ Tristan und Isolde
ニュルンベルクのマイスタージンガー Die Meistersinger von Nurnberg
パルジファル Parsifal
作品:オペラ名曲辞典
作品:管弦楽曲DB
序曲,その他
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