約1200人収容のホールも満員になり、とてもすばらしい時を過ごすことができたことを感謝しています。
このオーケストラと共演するチャンスがどうしてできたか、についてお話します。この学校では毎年ピアノ、弦、管楽器のそれぞれの分野でコンチェルト コンペチションを行いそこで一位になった人がジュリアードシンフォニー、またはジュリアードオーケストラのソリストとして協奏曲を共演する機会が与えられてきました。
私が入学したころは声楽部門は無かったのですが、昨年から声楽のコンペチションも行われるようになり、私はその第一回目のソリストという大変名誉な機会を頂戴しました。
コンペティションは先の4、5月にかけて行われ、約15人ほどの学生が先生方の会議で推薦され、一次予選をし、そこから3人が選ばれ、(ソプラノ、バリトンそして私)決勝は外部から審査員をよんで行われました。(ソプラノ歌手、伴奏ピアニスト、コロンビアアーチストのマネージャーの3人です)コンクールというのは本当に心臓に悪いもので、結果をロビーで待っている間友達数名にを話をしても上の空で、発表になった瞬間はへなへなと床に座り込んでしまったほどでした。
それから、夏休みを経て、新学期の最初のコンサートに私が起用されました。
アメリカ人は概してマーラーが好きで、(日本人もそうですが)この日のチケットは草々に売れきれになるなど、みながとても楽しみにしているのが分かれば分かるほど、緊張は増し、最後の三日間はなるべく学校にいかないようにしていました。いくと必ず誰かに、”楽しみしてるから”“どう?リハーサル?”等聞かれるのが嫌だったからです。ここでアメリカ人の多くの学生は “I can't wait! (早く演奏する日が来ないか、って待ちきれないよ!”といったことを一言、二言いうのですが、私はどうもそういうおおらかさに欠けていて、深刻に深刻になっていくタイプなんだなあ、と認識しました。
音楽面での準備は着実に進む中で困ったことがありました。それは寮の仲間が夜中まで大変にうるさくてよく休めない、ということでした。
寮にはスイートといって8人が一つのグループとしてトイレ、シャワー、リビングルームを共有し、2つの個室、3つの二人部屋によって構成されています。私のスイートには三人の新入生がいまして、何しろ9月は新学期なのであれこれ“親睦”に忙しく、なかなか静かにならないことを日本人の友達に話すと、(彼女も寮生活経験者)“ドロシー ディレイ先生(五島みどり、諏訪内晶子等世界的名バイオリニストを育てている先生)がどんな演奏会も真剣に取り組まなければいけないけれども、特にニューヨークでは誰がいつ聴きににきてるか分からないものだから”とよくおっしゃることを例にあげながら、“せめて演奏会の前夜だけでもホテルに泊まって、確実に休んだ方がいいよ”とアドバイスをしてくれました。本当はスイートにすむ全員で話し合いをして静かにするための努力をするべきでしょうが、そういったエネルギーは使いたく無かったので、ホテル代はやすくはありませんでしたがそのようにしました。
ホテルにて静かに休み、(といっても、朝の五時ころ、火災報知器が誤作動して、ものすごい音で起こされてしまったのですが)本番をこなすことができました。
演奏会が終わり、舞台裏にたくさんの方が訪れて下さいました、その中に、アンドレ プレヴィンがいました!! 彼は指揮者の友人ということで来ていたようですが私の演奏のこともとても気に入ってくれていた様子でした。ニューヨークのコンサートには誰が来ているか分からない、とはこの事ね、とつくづく感じました。
もう一つ、先ほどの言葉をかみ締めることとなったことがあります。コンサートの三日後、ニュージャジー ステート オペラのプロダクションマネージャーから電話があり、“三月に公演予定のアイーダのアムネリス役のカヴァーをしませんか?”という依頼を受けました。何でも彼はその演奏会を聴きに来ていたそうです。
やっぱり誰が聴きに来ているか分からないものだわー、と改めて思いました。このアムネリスのカヴァーは現在まだ考え中です。アムネリスは将来ぜひやってみたい役ですが、まだ少し早いような気がすること、またJOCの4月の公演(クルト ヴァイルの作品で舞台上演としては世界初演の作品)のキャストが発表されていないことなど考えなければならないことがいろいろあるからです。
先日指揮者のアルフレード シリピーニさんにあって歌ってきました。彼もとても私の意見を尊重してくださり、これは大変に難しい役だから声楽の先生(ジョンソン先生)とよく相談してまた電話を下さいとのことでした。仮にこれが現実にならなくなっても、こうして指揮者に聞いてもらうことができることを私たちは大変に重要視しています。次回のこのページでこの話がどのようになったかお知らせできるかと思います。