私のツエは護身用

 

 人の一生をパントマイムで演ずる芸を昔見た記憶がある。

 赤ちゃんのはいはいから始まって、「立てば歩めの親心」、少年から大人になり、さっそうと歩く姿、やがて腰が曲がり、杖をつき、最後は横たわるという演技であった。

 80才をこした今、自分はどのへんにいるのかなと考えたりする今日この頃である。

 明治時代の人は、還暦にもならない内から、「翁」と云ったり、「ステッキ」をもって歩いていたようだ。

 ちょっと足の不自由な方に「ツエ」をもつことをすすめたら、「まだ若いから」との返事であった。

 東北農村での疫学調査の中で、血圧測定と一緒に「閉眼片足直立試験」をやったことを思い出す。論文には書かなかったが、加齢・血圧とは平行関係にあり、年をとると平衡を保つことが困難になることを認めたが、自分でもそれが分かる年齢になった。

 毎朝の散歩には、二本足より、三本の支えがあったほうが、より安全であることはたしかだ。

 それに「おやじがり」にあったときには、「護身用」になるだろう。(20011215)

(日本医事新報,4016,44−45,2003.1.4)

追記

ここまで書いたあと、このコピ−を平尾正治先生に送ったら、早速ご返事を戴いた。

「私もご多分に洩れず愛用するようになりました」「駅の階段を駆け降りる無法者には杖を構えて身を護ることは再三です」「昨年秋に私の杖に関してサンケイ新聞(平成13.10.24.)に投書したコピ−をお届けいたします こ笑覧下さい」

内容は「教師も児童も座席を譲らず」とご自分の体験を述べられ、「いつのころか日本人は礼儀や、やさしさを失った下等な人種になり下ったのであろうか」と国際経験多い先生の日本の将来を考えられた投書であった。

平成14年2月4日朝の大学への散歩から帰宅した時、

県のりんご果樹課から電話があった。

「青森りんご勲章」を受けて戴けないだろかという電話であった。

国からの勲章の時も色々考えたが、選考の中で「りんごと健康」について私の名前が上がったという話であった。今回も受けた方がよいと考えた。

マスコミ解禁は12日で、それまでは内密という電話であった。

その日の夜だったか、いろいろな夢をみた。

「人々と生活と」でりんご作業をみてまわったことがあった。

雪が消える頃、りんごの枝切りが始まる。

りんごの枝で「りんご長寿の杖」ができないかと考えたとき目が覚めた。

弘前市医師会報、285,70,平成14.10.15.

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