高桑栄松先生 (1)

 

 残暑お見舞い申しあげます

 先日は 貴著「回想録 レ−ゾン・デ−トル」 頂戴し有難うございました

 参議院議員として2期勤められ あとは勲章でももらって 悠々自適の生活に入られるのかと思っておりましたが また新しい挑戦をされるようで ・・・

 

 参議院議員としての「存在理由」は「参議院というのは学問を政治に反映する場である」という武見先生の言葉(p 20)に また「高桑質問」(p 30-)にあるように読み取れますが 今度衆議院議員となると 「学問に生涯をかけてきた」(p 46)貴兄はどのように考えることになるのかと 思ったりしました

 

 ちょうど読んでいた森林太郎(鴎外)の「傍観機関」の「吏たる学者」のはじめにあった「学者非必為仕 而仕者必如学」(荀子)を思いました

 この言葉が書かれた時代は「君」に仕えることであり「学問」の内容も違うと思いますが 現代では仕える対象をどこに置くか また「学問」も「科学的学問」(p 100-)と思いますが

 

 これからは先生の書かれた「尊敬される」(p 45)「政治家(ステ−ツマン)」(p 45)になって戴きたいものだと思います

 どうか日本を経済的に破滅させないように なぜなら私をふくめて たよるものは「年金」だけなので

 

 「衛生の旅」(part 6)を印刷しようかと思っておりますが あまり世の中の「紙屑をふやすな」という意見もあり 「ペ−パ−レス」の次の時代に向かって国会図書館に一冊とか

 しかし学者として生涯を送り(食べさせて戴いた)身としては 自分の心の内を何等かの形でのこして置きたいという気持ちがあって

 「アルツハイマ−病」宣言でもして すべてから引退したい気持ちでもあり でも社会的奉仕のような仕事を頼まれることもあって・・・

といったところが最近の心境です

 

 もう一つ最近目にとまった「長寿の心得」を貴兄にも捧げたいと思います

 一. 人生は六十才より

 一. 七十才にて お迎えのある時は 留守と云え

 一. 八十才にて お迎えのある時は まだまだ早すぎると云え

 一. 九十才にて お迎えのある時は そう急がなくてもよいと云え

 一. 百才にて お迎えある時は 折りをみて こちらから 行かう    と云へ 右条を日々の心すべし

    (高野山普門院住職本跡師の言葉と伝えられているとのこと)  

 お元気で                         (7-8-21)

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