血圧論覚書

 

 私は「血圧論」を弘前医学(14,331-349,昭38.;.12.4.1961.受付)に発表した。

 ここでいう血圧論とは人間の血圧をどのように考えるかについて、昭和29年以来東北地方住民の脳卒中ないし高血圧の予防を目的に展開された疫学的研究で得られた成果をもとに述べたものであるが、第1編「血圧値の分布の型について」第2編「血圧値の集団評価と個人評価について」であった。

 その書き出しに次ぎのように述べている。

 「血圧測定法が考案され、改良が加えられ、臨床家が血圧を測定しはじめると共に、その結果が考察されるようになった。たまたま職業上の必要から、多数の血圧についての資料があつめられた生命保険会社において、人間の血圧の型について、統計的な考察が加えられるようになった。

 しかし、人間の健康ないし疾病は、宿主である人間と、病因と、環境の3者の動的な平衡関係であるという理解にたって、血圧を人間の一つの機能的な現象として人口集団の中における血圧の様相を追究してゆこうとする疫学的方法から出発した場合、血圧はまず人間の集団がどの様な血圧を示しているかが問題になり、それを知るために血圧が測定され、その結果が考察される必要があると思われる」と。

 「わが国に脳卒中について問題があり、その基礎に横たわる条件として高血圧が考えられ、その高血圧の大部分が現在発生機転の不明な本態性高血圧であるとすると、これらを理解するために、疫学的研究方法をもって追求しようとする場合には、一般住民の血圧がどのような血圧を示しているかの観点からはじめなければならないであろう」と述べている。

 ここにわれわれの研究の出発点における考え方が示され、このような考え方によって停年まで研究を展開したことになる。

 昭和29年高橋英次先生らと青森、秋田県内を、当時医学部をあげてとりくんでいた「シビガッチャキ」の口角炎の観察と同時に私がもっぱら測り屋であったが、住民の血圧を、小・中学生からの子供から老人までの地域住民全部の血圧を測定した。その資料を統計的に検討を重ねていって「血圧論」にまとめたのである。

 われわれが研究を開始した頃は、それまで種々考察されていた血圧分布についての考え方について、ピッカリング(G.W.Pickering)が「高血圧」という疾病は正常状態からの量的な偏位にすぎず、質的なものでないという考え方を述べて、「高血圧症」が一つの実存物としての疾患(a disease entity)かどうかということで、ランセット誌上でプラット(R.Platt)と論争を展開していた。またわが国でも生命保保険医学上の資料をもって検討していた方々がおられた。このことについては特別講演(日本保険医学誌,79,59-92,昭56.)の中でも述べたが、それらを参考にし、私は自分が現地で自ら測定した多くの血圧値の統計をとりながら考えたのである。

 また当時わが国に導入され、公衆衛生学方法論として有力な手段となった「ふるい分け検診」について「高血圧者ふるい分け検診についての問題点」について述べたことがあった(日公衛誌,8,287-291,昭37.)。

 「高血圧者をふるい分けできるかどうか」という問題であったが、私の「血圧論」からその問題点を述べたのであったが、「今ここでのべたことは、過去から現在までつくり上げられれた疾病観ないし健康観の将来への発展、橋渡しとしての思想に関する重要な問題と思われ、現在問題になっているCommunity Diagnosisや健康の指標の概念に通じるものである」と、今思うと大変気負った文章を書いている。 

 この「集団評価と個人評価」の考え方は、昭和38年大阪で開催された第16回日本医学会総会シンポジウム「高血圧症」の中で述べた。

 最近は血圧の分布型について論ずることは殆どなく論文もみあたらないが、「正常と異常」「高血圧と高血圧症」と人間の持つ血圧をある測定法によって得られる「記録値」をどのように用いられるかという問題である。

 基本的には血圧についての生理・薬理などのいわゆる基礎研究者、患者を対象にもつ臨床家、また「疫学者」それぞれによって考えられている「血圧論」によることと思われるが、これらの諸研究発表・論文を聞いたり読んだりしても、それぞれがどのような「血圧論」にたっての研究計画であるかの点がわかりかねるのが現状ではないかと思うのである。

 私が「血圧論」を発表し、それによって停年まで「疫学的研究」を展開し、その成果を発表し、論文に書いたきたが、その間私の「血圧論」に対する批判は目に付かなかった。 

 弘前医学に「血圧論」がでたあとだったか、佐藤煕先生から「最高・最低血圧」という血圧の名称が気になったらしく「最大・最小血圧」と表現すべきだと御批判を戴いたことがあった。これに対して「生理学ではそういわれるかもしれませんが」と返事したことを思い出す。

 血圧の名称をどういうかは欧米でもわが国でもいろいろ言われて書かれたいたことを承知していたが、そのことがあったので私たちが最高・最低血圧という場合には「間接的非観血的に聴診法によってわれわれの取り決めた方法で測定・記録した血圧値」とわざわざ書いたことがある。

 「疫学的」ということで一番問題になることは「一人の患者あるいはその人の部分に目が向けられるのではなく、人々の研究から始まるということ」である。

 人々に接近するには、その人々、それを一地域(国のレベルまで)とみるか、世界の人類とみるか、その地域に何が問題かということが先行すると考えるのであるが。 われわれの場合には「東北住民の脳卒中ないし高血圧の予防」を目的にとらえたが、そこにわれわれなりの問題の把握があった(日公衛誌、4,557-563,1957.)。

 とりあえず身近の弘前市近郊の「部落民」の小学生から老人までの住民の血圧測定から始め、青森県内秋田県内のいくつかの町村の住民から、その中の三町村部落の人々について約20年継続観察できたという実績をもつことができた。

 それも殆ど全員の血圧を継続観察できたことから、人々のもつ血圧の有様を知ることができたし、はじめの「血圧論」で考えたことは間違いではなかったかと考えている。

 病院や診療所へおとずれる「患者」からの情報は、必ずしも一地域全体を理解するに足る充分の情報ではないのではにかとの見解も得られた(日衛誌、45,187,1990.)。

 ここでいう「情報」とは「生体情報としての血圧値」(日公衛誌,33(10),特別付録,30-31,1986.)という考え方からである。

  食塩についていえば、多要因の中の一つとして浮かんできた要因であって、その食塩が多量に摂取されている状態に対する対策は「脳卒中や高血圧の予防」には必要な手段であると考えられると考察したのである。

 また東北地方のように多量食塩摂取の生活の中に生まれ育った人々のなかにもいわゆる高血圧にはならないで一生をおくる人のいることも(個人的特性)も観察されたのである。

 また「りんご」が高血圧予防への特性をもつかもしれないと考察されたのもたまたま弘前近郊の人々の血圧観察から生まれたことであった。(99.3.14.)

日衛誌(15,954−963,1990)に掲載した論文(生活条件と血圧)の中で血圧論と関連のある図を下に示す。

年齢別にみた場合

酒の飲み方によってみた場合

りんご摂取別にみた場合

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