3 モ−ロのりんご2日療法

 

 1929年、ドイツの医学雑誌にモ−ロ(E.Moro)が、子供の下痢の治療にりんごを与えるとよいという「りんご2日療法」の発表をした1)。

 1929年というと昭和4年で、その当時の健康問題について考えてみると、生まれた子供がよく下痢をしておおぜい死んでいた頃である。日本でもそうであったし、欧米でもそうであった。

 生まれた子供が満1歳に至るまで1年間に死亡した数を出生千当たりで算出した値を乳児死亡率というが、昭和4年では日本全国の乳児死亡率は100以上、正確には142.1で、1年間に296,178名の乳児が死亡していた。昭和の終わりの63年には4.8で、6,268名の死亡となり、乳児死亡率は世界最低の国になったのだが、今から60年前は大変な時代であった。そして日本の乳児の場合、下痢腸炎・肺炎・先天弱質の3大死因といわれていた時代であった。

 下痢や消化不良の子供にりんごをすって与えるとよくなり、ドイツにも多かった赤痢の子にすりおろしたりんごを与えると、39度や40度の熱が下がるというモ−ロの論文はたちまち世界中の反響をよんだ。

 モ−ロは、同僚のハイスラ−(Heisler-Konigsfeld)が医療現場での種々の実践や経験に基づいた観察や考察をまとめた「それでも田舎医者」(Dennoch Landarzt)という本に、、急性下痢の患者にりんごを与えるというその土地に古くから伝わる民間療法である「りんごの日」((Apfeltagen)のすばらしい効き目があると書いてあることに注目した。そしてモ−ロは子供に対する体系的な大規模な追試を行い、得られた結果として、適応範囲も広くすぐれており、消化不良のような慢性症状の経過にはもちろんのこと、特に赤痢やそれに類する下痢の患者に大変有効であったと述べた。

 りんごをすって子供に与えるというのは、数千年来行われてきたことであろう。

 モ−ロの研究論文は、それがなぜ下痢に聞くのか、初めて注目し、メスを入れた科学的な論文ということになろう。

 「りんごは完熟したものを使うこと。りんごは皮をむき、芯や種を取り除き、おろして与える。年長の子に対しては、お好みにより、生のりんごかゆ(Apfelbreies)を与える。量については1回の食事につき、100-200-300gと年齢により、つまり5回の食で500-1,500g、これはおよそ7-20個の中位の(日本でいえば小玉の)りんごを2日間にわたって与える。必要な食物と水分はこれによって基本的には満たされるが、たまに起きる夜ののどの渇きに対してはお茶を与える」

 急性消化不良22例、赤痢15例のほか、総計52例の報告のほとんどが1-5歳の子供という臨床観察であった。そして経過をみると下痢はすぐ止まり、赤痢などの熱が下がったと報告された。

 この報告の後、多くの欧米の学者が追試をし、日本でもすぐ翌年、臨床の研究雑誌に追試の研究が報告された。

 りんごが何故効くのかという理由として、モ−ロはすったりんごかゆが腸管に対して機械的な清浄作用をもち、りんごの成分の1つのタンニン酸の鎮静作用が医学的な治療効果をあげていると考えていたが、マリオ−ス(G.Malyoth)はペクチンの緩衝作用、吸着力、解毒作用を重視した。また日本での研究も行われたが、それ以上の考えは示されなかった。

 これらの報告はりんごの食事療法の効果の理由を考えただけで、証明したわけではない。

 しかし、子供の下痢に効きそうだという報告は広く世界に伝わったっため、私も小さいときによく食べさせられた記憶がある。

 千葉医科大学小児科では、離乳食における野菜・果実の消化生理について研究を行っていたが、りんごの栄養学的見地からゆるがせにできないし、モ−ロの報告もあることから、昭和12年に仔犬を使用して消化管通過について検討した結果を報告した2)。その中で、りんごが下痢症に著しい醫治的効果があるものの、りんご食が胃及び小腸通過に際して、他の果物及び野菜食に比べて何ら特殊な点を認めなかったと述べている。

 千葉医大の病院長・小児科学会の会頭、戦後に東大教授になった千葉大学名誉教授の詫摩武人の「元気です」談話記事の中に、「その食餌療法が、詫摩さんの名を高かれしめたリンゴ療法である。リンゴの皮をむき、おろしがねでおろして食べる。1日3個以上のリンゴかゆを食べれば、ピタリと下痢が止まる。おもにリンゴに含まれているペクチンとビフィズス菌の効果であると発表したのが昭和16年のこと。詫摩さんはいまでも毎食後、リンゴかゆを常用している」とあった。

 詫摩武人は昭和16年に開かれた日本小児科学会総会で、「乳児栄養」という題で栄養失調症についての一連の研究について特別講演をしたが、その中でりんご療法が効果があるのは、その本態についてビフィズス菌が多数出現していることと関連しているのではないかと報告した3)。

 日本ではすでに大正4年「小児看護の栞」という本に、治療食事の一種として「林檎粥」というのが出ている。これは米の粥とりんごを煮たものを合わせたものと記載されている。この本の種本はドイツ語で、アッペルブライを訳したものであるが、ドイツでりんご療法が行われるようになり、おろしりんごがりんご粥と称されるようになって、本来のりんご粥の影が薄くなった。おろし金でおろして出来上がったのは粥状という感じだから、ドイツ語のブライをあてはめてアッペルブライ、これを日本語に訳してりんご粥として通用しているのであるが、日本語で粥というとお米のお粥を連想させる。りんご粥は「おろしりんご」といったらどうであろうか、と最初の翻訳者としての意見が述べられている4)。

 昭和34年、東京医科歯科大の太田敬三も「乳幼児消化不良症の食餌療法」の中でりんご製剤についても述べ5)、愛育研究所の武藤静子らは「離乳期に用い得る食品の検討」を行い6)、さらには「果実粥に関する研究」の中で、ベビ−フ−ドとの関連で生果実としてのりんごについても検討している7,8)。

 文献

1)Moro,E.:ZWEI TAGE APFELDIAT. KLINISHE WOCHENSCHRIFT,8,2414,1929.

2)太田裕:千葉医学会雑誌,,15(4),601,1937.

3)詫摩武人:児科雑誌,47(8),1071,1941.

4)永井一夫:児科診療,15(12),791,1952.

5)太田敬三:小児科診療,22(7),854,1959.

6)武藤静子,他:小児保健研究,19(1),6,1960.

7)土井正子、遠藤静子:小児保健研究,35(6),360,1977.

8)土井正子、他:小児保健研究,36(1),23,1977.

あっぷるぶれいくりんごをベ−スにしたジュ−ス(解説現代健康句から)

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