10 りんごと脳卒中

 

 りんごと脳卒中との関係、りんごを食べると脳卒中の予防になるのではないかと考えられるようになったのは、昭和29年(1954年)弘前大学医学部の衛生学教室で、東北地方の人々の脳卒中の予防についての研究が初められて以来と思われる1,2)。それは日本の東北地方の脳卒中が国際的にみて特徴があったこと、そしてその中の一地方である青森県がりんごを生産し始めて約100年経ったこと、そこに大学の医学部が出来たことによることと思われる。

 脳卒中は、現在の国際的な疾病分類では循環系の疾患のうち脳血管疾患と考えられ、さらに細かく分類されているが、臨床的には脳卒中は西洋にも東洋にも昔から見られたもので、病気としてのそれなりの言葉はあった。

 今から2000年も前のギリシャにも「アポプレキシア」(apoplexia)という言葉があった。人が急に意識を失って打ちのめされたように倒れ、息だけはしているという状態になることであり、そのうちに呼吸も止まり死を迎える、時には「ヘミプレジア」(hemiplegia)といって体の右か左かに半身不随の運動障害が残る、というのである。われわれの学生時代に、そして今でも脳卒中の患者を診察したとき、医者仲間で「あのクランケ(患者というドイツ語)は(アポッタ)のだ」とうのは、脳卒中に当たる古い言葉「アポプレキシア」が医学用語になっているからである。

 弘前に住むようになって「あたった」という言葉を聞いた。

 本当は「あだる」というのが津軽地方に伝わる言葉で、脳卒中にかかったことを表現する言葉であった 3)。

 「apoplexia」を英語で語源解説しているをみると4)、apo=from、plexis=a stroke、-ia=conditionだという。確かに欧米の小説などを読んでいるとその言葉が出てくる。「小公子」に登場するセドリックの祖父は、イギリスに住む脳卒中(apoplexy)にかかった気むずかしいおじいさんとして描かれている。かって欧米では脳卒中(stroke)が多く、(heart attack)とよばれる心臓病は少なかった。

 東洋では脳卒中のことは卒中・中風、あるいは中気といい、日本にも中国から伝わってきた5)。そのためと思われるが、日本国中に中国伝来の仏教のお寺があるように、脳卒中を表すこの言葉がよく使われている。そして日本には、心臓病に当たる言葉はほとんど語り伝えられていないのを調べたことがあった6)。

 東北のこの津軽地方で昔から語られていた「あだる」という言葉は、中国から来たやや学問的な言葉としての卒中・中風・中気という言葉より、病人の様子をそのまま伝えているように思われた。「あだった」はさらに「ぼんとあだった」「びしっとあだった」といわれ、半身不随になったときには「かすった」「しびれた」になる。

 日本でも他の地方では、またそれなりの脳卒中を表す言葉があり、それぞれ実際にその地方での脳卒中にかかった病人の症状を、その土地の言葉で表しているように見受けられた。

 日本では脳卒中についての学問的な、総合的な、系統的な研究が開始されたのは昭和16年(1941年)で、日本学術振興会の委員会で開始された「脳溢血」の研究が先駆けであった。日本でこの脳溢血の研究は国際的にみても早い時期に始まっている。欧米では心臓病の研究のほうが早かった。

 日本におけるこの総合的な研究の中で、「脳溢血の成因についての衛生学的研究」を展開したのが、東北大学に在職しまた青森医専にも講義に来たことのある近藤正二であった7)。

 近藤は全国を足で歩き、長寿の研究をしたことで知られている。その研究はそれぞれの土地の昔の村という単位で、70歳以上で生存している人が何%いるかという、いわゆる「長寿者率」を目安に研究を進めた。脳溢血については、20-59歳までの人口の中で脳溢血で死亡する割合である壮年期の死亡率を計算して、それが日本の中で地域差があり、東北地方では極めて高いことを説明する手がかりとして、米の偏食・大食という食生活に問題があるのではないかと指摘した。

 われわれは研究を始めるにあたって、30-59歳の死亡率、すなわち中年期の脳卒中死亡率8)を手がかりにした。

 近藤が20歳からの脳卒中死亡率を考えたのは、昭和の初めの頃、秋田県の村などへ行くと、20歳の後半から脳溢血の発作が起こり、死亡する人が多かったという経験からであろう。われわれが研究を始めた頃は少し様子が変わっていたし、また30歳以上を基礎とするほうが村という単位で計算するときには人口が安定してよいと考えた。

 壮年期といい、中年期といても考え方は同じである。これによって、当時としては簡単に脳卒中についての公衆衛生上の問題点を指摘できた9,10)。単に脳卒中という病気で死亡することだけでなく、若く働き盛りの人にそれが起こることが問題だという考え方である。

 脳卒中の死亡率といってもいろいろな割合がある。それぞれ統計的にいうと、資料がどのように集められ、どのように計算されたのか、それによって数値の解釈が異なるので、その計算された死亡率の大小がそのまますぐ問題の大小にならないことを知らなければならない。人はいつかは死ぬものであるから、死亡の数、ある病名の数が多いとか、(それはまた死因の順位という表現にもなるのであるが)死因順位の第一位とは何を意味するかよく考えてみる必要がある。単に人口当たりの死亡率、一般には粗の死亡率といわれるが、その数値が何を意味するか、人口構成を考えたうえ算出した訂正死亡率も、最近計算されるようになった標準化死亡比も、それを図で示すようになった健康マップも、意味するところが何であるかを考えなくてはならない。

 その点、中年期脳卒中死亡率はそれなりの意味があったと思う。

 また、一定の生存目標年齢を設定したうえ、それまでに至らずに死亡してために失われる年を考えるというライフ・ロ−スト(life lost)11,12)、資料が長年積み重ねられると計算できるようになる、同一出生年次群の死亡を追究するコホ−ト(cohort、コ−ホ−トともいう)分析13,14)による検討が、それ以上に意味があると考えられる。

 

 前置きが長くなったが、日本の中で東北地方が中年期の脳卒中死亡率が高く15)、その中の青森県内でも地域差があり16)、りんご生産面積と関係ある17,18)。りんごを生産している村人が生産していない水田単作の村人より中年期脳卒中死亡率が低く、そこに住む人々の生活内容をいろいろ検討してみると19−21)、日常りんごを食べているかどうかが、主な違いであることを認めた。

 脳卒中による死亡だけではなく、死亡の前に発作が起こるという罹患(りかん)の状況からみても、りんご生産の村では脳卒中はおそく年とってから起こることが認められた22−27)。

 すなわち、りんごを生産している村の人々の死亡状況をみると、脳卒中という病気が全然無いとか起こらないというのではないが、りんごを生産している他の水田単作といった状況は同じなのに、働き盛りの中年期に脳卒中の発作がおこりにくく、中年期の死亡率が低いことが算出された。

 これらの所見は、疫学的研究の初めに行われる「記述疫学」による手がかりであって、これで結論がでたわけではなく、これをもとにさらに研究を進めていかなくてはならない。

 

 脳卒中の自然史28)のうち、死亡の前に発作発来があるが、どのようなきっかけで起こるのかはまだ明らかではない。りんごを食べたからといって、「あだらない」というおまじないになるのではない。発作が起こり死亡するのに、その人の小さいときからの普段の血圧がかかわっていることが明らかになってきた。このことは、われわれの東北地方における追跡的疫学調査29)によて判明してきたばかりでなく、多くの疫学的研究が示している。

 

 脳卒中はその病態からみて、大きく、脳出血・脳梗塞・くも膜下出血に分けられる。そして東北地方の一農村でも時代的に脳卒中の発作の病型が推移している30)。研究を開始した今から35年の前の時代に、若く働き盛りが死亡していた東北地方に特徴づけられる脳卒中は、その病型からいうと脳出血と思われる。そして生前の高血圧状態と深くかかわりのある疾病らしい。りんごと脳卒中との関係を示すことは血圧の状況と深くかかわる問題を解明する手がかりと考えられたのである。

文献

1)弘前大学医学部衛生学業績集,第2-12巻,1955-1985.

2)佐々木直亮;脳卒中の疫学/弘前大学脳卒中懇話会編:脳卒中の臨床と研究,pp.1-29,医学書院,東京,1974.

3)鳴海助一:津軽の言葉.第5巻,津軽のことば刊行委員会,1958.

4)相沢豊三,堀江健也:日本医事新報,2708,63,2709,64,2711,67,1976.

5)仁平將,佐々木直亮:保健婦雑誌,40,118,1984.

6)近藤正二,加藤勝雄:/西野忠次郎編:脳溢血pp.63-71,丸善,東京,1950.

8)武田壌寿:弘前医学,7,83,1956.

9)佐々木直亮:日本公衆衛生雑誌,4,557,1957.

10)佐々木直亮,武田壌寿:公衆衛生,22,44,1958.

11)佐々木直亮,三橋禎祥:弘前医学,25,1,1973.

12)佐々木直亮:厚生の指標,35,21,1988.

13)武田壌寿:厚生の指標,5,52,1958.

14)佐々木直亮:公衆衛生,48,152,1958.

15)Takahashi,E.et.al.:Human Biology,29,139,1957.

16)武田壌寿:弘前医学,7,434,1956.

17)武田壌寿,他.:医学と生物学,51,136,1959.

18)小野淳信:弘前医学,12,382,1960.

19)佐々木直亮,他.:日本公衆衛生雑誌,7,419,1960.

20)佐々木直亮,他.:弘前医学,13,729,1962.

21)佐々木直亮,他.:弘前医学,22,170,1970.

22)佐々木直亮,武田壌寿:厚生の指標,10,26,1963.

23)佐々木直亮,他,.:高齢医学,8,110,1970.

24)山田信男:弘前医学,22,202,1970.

25)佐々木直亮:臨床科学7,1539,1971.

26)山田信男:弘前医学,27,687,1975.

27)山田信男:弘前医学,31,623,1979.

28)佐々木直亮:脳卒中,3,79,1981.

29)佐々木直亮:弘前医学,31,739,1979.

30)山田信男:弘前医学,32,382,1980.

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