衛生学教室のアルバムから(その7)
写真1 進学式 昭33.4.
写真1は昭和33年4月の進学式の風景である。37年卒8回生が医学部専門に上がってきたときのもので、場所は旧校舎の学1の講義室であった。当時の学生はほとんどそろいの学生服というものを着ていたものだ。一人宣言をした浅倉礼治君は背広姿が目立っていて、近頃の学生は背広など着てといった教授に、これが私のいた学校の制服でしてと答えたことが耳に残っている。
先生方も沢山でていて、写真の手前からいうと、中村、入野田、松永、臼淵、そして大池の各先生の横顔が写っている。
写真2 昭51.4.
それが最近ではということで、写真2をみて戴こう。これは昭和51年4月の進学式の時のもので、背広は勿論のこと、ジャンパ−あり、シャツのままの者ありで、黒の学生服はほとんど見あたらないようになってしまった。
昔は臨床の先生方も進学式に必ず顔を出したものだが、最近はおいそがしいのか、それとも医進時代に「医学概論」の講義で顔見せがすんでいるためか、学務係りの先生だけが顔を出すだけになってしまった。
衛生学自由研究
高橋英次先生が衛生学の中で自由研究を始められ、私の代になってもそれを引継、公衆衛生の教室ができてからは、衛生学公衆衛生学自由研究と称して、学生の研究の手伝いをして今日までつづいてきた。
学生が選んだ研究の標題は、それぞれ時代を反映し、又時代の先端をいったものが多い。レポ−トの内容も学位論文にも匹敵するものもある。それらレポ−トの原稿は、衛生学教室の図書室に保管されているので、昔の研究をみたい方はいつでも見て戴きたい。
写真3 昭32.8.9.東奥日報
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写真4 昭32.7.6.東奥日報
さて写真3と4は、それらの研究の一こまである。テ−マを新聞記者がかぎつけて、大きく報道された。
写真3は、昭和32年に二年生だった高橋彰彦、坂巻太二、清水信一郎、葛西亨君らの「夏期鉄道飲料水の衛生管理に関する調査並びに考察」であって、一緒について行ったとき、大館の駅でとったものだ。
写真4は同じく安達基昭、大倉俊弥、川上澄、川島一利、高橋茂樹、高橋敬君らの「常盤村井戸水の調査」の人達の写真である。
アルバムには、小学校の校舎で水質検査をしている風景とか、村の人達に結果を説明しているところの風景などの写真がはってある。常磐村ではこれがきっかけになって簡易水道をつくるようになったのだ。
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