鵬桜会報第8号(昭和48年)から

昭和29年に助教授として弘前にきたとき、東京育ちのせいかか物めずらしさも手伝って、安物の小型カメラ(サモカ)で手当たり次第、街の風物をとりはじめた。暗室にこもり、現像・伸引をして、教室のアルバムの第1号をつくったが、それから20年近くたった今、75冊をこえたアルバムが衛生学の図書室にがざられている。芸術品とはいえないこの記録にも、10年をすぎると、物の変化がはっきりとわかろうというものである。

写真1 弘前浄水場見学 昭和30.6.20.

衛生学の施設見学の一つとして、弘前市浄水場へ高橋英次先生のおともをして行ったときのものである。丁度出来上がったばかりの浄水場であった。顔をみると医学部第4回生の連中で、卒業15周年記念の招待を受けるとは考えられないような、昨日のできごとのようである。

写真2 弘前公園にて 昭和31.5.14.

観桜会のあとの5月の弘前公園は美しい。

今日の講義、弘前公園でやります」「わ−」とあがる歓声は、今も昔も変わりない。

医学部5回生で、ここにいる美人連は今なにしていることだろう。

写真3 医学部スケ−ト部 大沢リンクにて 昭和32.2.3.

医学部のスキ−部は、今や天下に有名だが、スケ−トをやり、それもアイスホッケ−をやったという歴史的事実を知っている者は少ない。

法医の赤石英教授が昔とったきねずかで、皆にはっぱをかけ、大鰐へ行く途中に大沢リンクをつくり、教育学部のチ−ムと対抗試合をしたものだった。

鵬桜会報掲載(9号昭和49年から42号平成10年)

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