衛生学教室のアルバムから(その12)
今93冊になったアルバムをひっくりかえして見ていると、つい昨日の出来事のように感じられるものもあれば、ああこんなことがあったと思い出されるものもある。記憶というものは、頭の中では、時の流れとは別に、前後してしまうもののようである。
写真1 西目村にて 昭32.7.30.
写真1は、秋田県西目村で高血圧対策をやることになって、では村の人達にと「脳卒中の予防について」話をすることになった昔のものである。昭和32年7月30日のことであった。
今でこそ、脳卒中や高血圧の予防についての話は、日本全国どこでも聞かれるようになったが、昭和32年といえば、正に、”はしり”の時代である。
現在の西目町になる前の村の中学校の音楽室を会場に、村長以下、衛生委員、婦人会の人達が、生まれて初めて聞く”高血圧対策”に話に熱心に耳をかたむけ、スライドでみたとアルバムに書いてある。
写真2 西目村にて 昭33.7.14.
中学生以上全村民の血圧を測定することからはじめ、五年はつづけてみましょうと、その年の12月に十日間村にとまりこんでやったのだが、写真2は、翌33年7月に、第1回目と同じスタッフで村にやってきたときのものである。西目駅の前の道路が舗装されていて、宿舎に向かうところである。栗林明弘君がシャタ−をおしてくれたと思うのだが、自転車にのっているのが山田匡君、武田壌寿・橋本功・菊池輝夫、柿崎六郎君、そして私である。
写真3 西目中学校にて 昭32.12.
写真3は、中学生の血圧を測定している風景である。栗林、橋本両君が測っている。「まさか、中学生がアタルわけでもないのに」といわれたが、しかし中学生にも高血圧の者が相当いることが判明した。
写真4 西目村にて 昭36.7.
写真4は、第8回目にあたる昭和36年7月に、宿舎にあてられた校長住宅を背に、これから血圧測定に出発するところをスナップしたものだ。左から伊藤昭一、遠藤正彦、一柳一朗、大内将弘、大平常元、福士襄、伊藤恭雄君らと村の保健婦さん達である。このトラックの荷台にのって、部落の血圧測定の会場へ行くところである。
結局昭和50年の8月まで、合計23回、弘前から出かけてゆくことになった。先日調べてみたら、延べ191名の方々に参加して戴いたことになっていて驚いた。そして今、これらの資料を無駄にしないように集計検討している。だが、学会では手伝って戴いた方々の名前を述べると、それだけで時間が一杯になってしまうのでと、お許しを申しあげているのである。
青森県にヨット連盟をつくろうではないかということになって、教室にいた鵜飼恒君が奔走して、昭和36年5月に誕生するのだが、その主力は医学部学生であった。目的は国体出場であった。
写真5 青森駅にて 昭37.9.12.
写真5は第17回の岡山国体へ出場するべく、県庁で結団式をすませ、いざ出発という時、青森駅での記念撮影である。
写真6 岡山県玉野市にて 昭37.9.
写真6に写っている人を紹介しよう。旗持ちは整形の水木茂君、そのうしろが水木兄弟の妹さんで、後に写真5に写っている町田泰助さんの奥さんになった。その隣の日焼けの美人は、長谷川鞆子さん。ヨットが縁結びになって現高沢哲也夫人である。次ぎが公衆衛生にいた対馬理智子さんである。”鞆ちゃん”のお嬢さんと私の三男と文京小で机をならべていることとか、”利智ちゃん”が今は写真4の大平君の奥さんになっているとは、人と人とのつながりは、神秘的なものである。
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