腹八分 グルメは六分

 

 「腹八分」は貝原益軒の養生訓からでた「句」と思われるが、養生訓には「腹八分」と、はっきりは書かれていない。「飲食」の部に「珍美(ちんび)の食に対するとも、八九分にてやむべし。十分に飽(あ)き満つるは後の禍(わざわい)なり」とある。

  若いときから勉強家であり、「日本の醫、中華に及ばざる」とし、七十九歳の時「大和本草(やまとほんそう)」(和漢の薬用になる植物などを集録・分類した解説書)をつくり、八十五歳で天寿を全うした益軒先生がその一年前の一七一三年に書いた養生訓の基本は、中国医学の伝統と自らの経験を踏まえて会得した「わが身をそこなふ物を去るべし」という思想からでていると思われる。

  「身をそこなふ物は、内慾と外邪となり。内慾とは、飲食の慾、好色の慾、睡(ねむり)の慾、言語をほしいままにするの慾と、喜怒憂思恐驚(きどいうしひきょう)の七情の慾を云う。外邪とは、天の気なり。風寒暑熱(ふうかんしょねつ)を云う。内慾をこらえてすくなくし、外邪をおそれてふせぐ。是を以て、元気をそこなはず、病なくして、天年を永くたもつべし。」と述べている。その中の飲食についての心掛けが「腹八分」になった。

 

 また益軒先生は「人の身は、百年を以て期(き)とす。上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。」と云っている。近代統計学による「生命表」が計算されたのは十九世紀になってからであるが、長い経験からこのように云ったのであろう。そして人の長命・短命をきめるものは何かについて述べている。

 「短命なるは、生まれつきにはあらず。十人に九人は、皆みずからそこなへるなり。ここを以て、人皆養生の術なくんばあるべからず。」「人の命は我にあり。天にあらずと、老子(らうし)いへり。人の命は、もとより天にうけて、生まれつきたれど、養生よくすれば長し。養生せざれば短し。然れば、長命ならんも、短命ならむも、我が心のままなり、身つよく、長命に生まれつきたる人も、養生の術なければ早世(そうせい)す。虚弱にて、短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長(いのちちょう)す。」と「養生」とか「保養」とか現代の日常会話でも使われている言葉で述べられている。

 またその術のうち「男女交接程度」「房中補益説」とか「房中の戒め」などを具体的に示したので、世の中の話題になりベストセラ−になった。

 

 われわれ衛生学者は「養生」とか「保養」の「健康の原理」、「理性に従って生活する限り健康にすごせるのだというその健康の原理」を求め研究しているのだが、「養生訓」の中で示されていることはどのような科学的証拠によって云われたことなのであろうか。「科学的証拠」など必要ではない。必要なのはそのような「事実」なのだといってしまえば、そこで科学の進歩は止まってしまうと考える立場をとるものである。

 「素人なら経験からどうしたらよいかを知ればよいが、医師はそれに加えて何故そうするのか、その理由を知らなくてはならない。非常に詳しく、明瞭かつ合理的に、体系的、理論的に知らなければならない」

 何千年来云われてきたことはどのような生活背景から生まれてきたのであろうか。中国で「飽食の害」が指摘されたのはどのような時代であったのであろうか。

 中国一般の人々が皆飽食であったのか。そうは思われない。しかし豪華な中華料理をみれば一部の人々が飽食であったかもしれないことは想像できる。それはロ−マ時代の一部の人々と同じように。

 養生訓が刊行された十八世紀の時代に日本人が食生活が十分豊かであったとは考えられない。凶作があり、食べるものもなく、一般には食に苦労していた時代ではなかったか。その時代に「養生訓」の教えはどのような意味をもっていたのであろうか。

 

 女子大学の試験に「現代の食生活について」の論文を書かせたら、なんと半数の者は「豊食の時代」と書いていた。いま日本は正に食生活が「豊かに」なった「飽食の時代」と云えると思う。栄養学が教えるような本当の意味で食生活が豊かになったかどうかは別として、一般には今は「贅沢は敵」の時代ではなく、「贅沢はステキ」な時代なのだ。

 いまから二十五年以上前日本がようやく「繁栄の時代」に突入した頃、アメリカでは「贅沢」を享受していたと思う。しかしその時代「豊かな」「大きな」ことは良いことだとばかり考えていたアメリカ人が「心臓病」で早く死んでいくことを研究者が指摘し、その成因と予防の方法を検討し始めた。「肥満」「脂肪の取りすぎ」「高脂血症」「喫煙」「運動不足」が、それぞれ心臓病の「危険因子」であると「追跡的疫学調査」が証明してきた。

  昔「太っていることは良いことだ」という時代があったことは事実だ。とくに「結核」が多かったときは、「痩せる」ことは危険信号であったと思う。「日暮れになると微熱が出るのよ、知らず知らずに痩せてくるのよ」と結核について云われていた時代であったから、「ちょっと痩せましたね」は「体のどこか悪いのでないの」の挨拶の言葉になり、「太って元気そうね」といわれていた時代があったと思う。そういう時代が日本にもあった。しかし今は違う。

 人にはそれぞれ「標準」ともいわれる体重があり、それを維持していくことが、知恵ある人の生活態度と見られるようになった。「豊かな食生活」で腹一杯食べていた人々に糖尿病が多いことが分かった。糖尿病の治療にはまず食生活を考えなくてはならないようになった。糖尿病になってから食生活を考えるのではなく、糖尿病にはならないという食生活がある。それが一般の人々の食生活の知恵にならなければならない。

 

 一九九0年九月厚生省は「健康づくりのための食生活指針」を発表した。「日常生活は食事と運動のバランスで」とし「食事はいつも腹八分目」とした。

 「腹八分 グルメは六分」は現代養生訓だ。

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