日々随感・人間と健康

5 リンゴと高血圧

 

 話は10年前にさかのぼる。

 昭和29年8月19日、私たち一行は、弘前市近郊の狼森部落へ血圧測定に行った。狼森は、健康部落として世の注目を浴びていたところ。科学的なメスを入れようとの鳴海康仲先生の話から、血圧検診が始まったのである。その結果、部落の方の血圧は、全国平均以下、高血圧の人も目立って少ない。東北地方の人の血圧は高いとばかり思っていたのに。これが第一の疑問。

 翌年、30年の夏、全国で有数の高血圧村として知られていた秋田県河辺群種平村へ行った。村長さんからして、血圧は200以上。「あたって」寝ている人も部落に何人もいる。なぜ血圧が高い? 雄物川の流域の水田をながめながら浮かんだ第2の疑問。

 ここから、われわれの東北地方住民の脳卒中・高血圧予防の研究が始まった。

 奥羽本線に乗って秋田から大館を過ぎ、県境の峠を越えて津軽平野へ入ると、一面のリンゴ畑にまず目をみはらせる。5月の中旬にはリンゴ畑が一面の花ざかりになり、その景色はすばらしい。

 私たちが、秋田県、青森県といろいろな部落の人たちの血圧を測り始め、脳卒中の死亡率の検討をし始めてわかったことは、秋田県の農家の人たちは若いときから脳卒中の死亡率がずば抜けて高く、血圧も若い小学生・中学生のころから高いことだった。一方青森県内では、同じ東北地方でも脳卒中死亡率は低く血圧も低い。そしてそれがちょうど、県境を越えて津軽平野にはいるとまず目につく、リンゴと何か関係がありそうだと思ったのである。

 「リンゴと健康」というとまず「一日リンゴ一個で医者いらぬ」という言葉を思い出す。外国では有名なことわざの一つ。

 では一体リンゴの効用は何か?

 一番有名なのはドイツの研究でリンゴの下痢療法。弘前大学の研究でも、胃の悪い人にリンゴジュ−スを与えると胃液の分泌がよくなって、消化作用を高めるという。リンゴの中のペクチンが整腸作用をし、解毒作用を高めるという。人工栄養児のヘモグロビンが多くなるといった医薬的効果がいわれている。

 ところが栄養学という学問は、病気をなおす治療食の研究から発達はしてきたものの、最近では、栄養というものの考え方が変わってきていることを知らなければならない。病気になる前の本当の健康のために栄養が大切なのだと。ちょうど病気になったとき、牛乳や卵を飲むものだと考えられてきたのが、毎日の食生活にどんどん入ってきたように。

 病気のとき特別な治療食を食べ、たまに変わったものを食べるというのではなく、子供のときからずっと特定の食生活で育ってきていることは学問的にきわめて興味のあることといえる。

 青森県のリンゴの生産は3000万箱を突破したとか。またリンゴを生産している部落では実によくリンゴを食べているのである。一日一人平均3個、これはわれわれの調べた数字。おやつにリンゴをみるみるうちに一箱あけてしまう。こんなことから、小さいときからの食生活にリンゴが大きく影響を与えていると思うのは当然だろう。私たちはリンゴを一日数個も一生を通して毎日食べている人の血圧が低く、脳卒中の死亡率が低いことを、それぞれの地方で一つの実験が行われているとみたのである。

 一体リンゴの何が効果的なのか? 私はリンゴに含まれるカリウム成分にその効果を考え、慢性食塩中毒にたいするカリの保護作用という見方で研究を進めている。この説に反論はなく、いろいろな証拠が積み重ねられているといったところ。

 リンゴの中のビタミンCも案外あることだし、有機物の高血圧に悪いというケイ酸を体外に出し、また最近では動脈硬化の研究で有名なキ−ス博士が、イタリヤに動脈硬化が少ないことを、野菜や果実を沢山たべるせいだとし、リンゴの成分であるペクチンの投与によって血中コレステロ−ルを低下させたという実験を学会に報告したという。博士の意見は「リンゴ一日2個で長寿」ということだが、私の研究を新聞が伝えたときには「リンゴ一日3個で高血圧予防」だった。

 リンゴ一日2個か、3個かはどちらでもよいが、要は果物がいつも豊富に食べられる豊かな食生活が望まれるしだいである。

(東奥日報,昭39.2.10.)

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