高血圧と遺伝

 (昭和48年7月、日本短波放送により放送された)

 1.はじめに

 高血圧と遺伝について日頃考えていることをお話ししたいと思います。

 私自身が高血圧の研究に入りましたのは約20年前でありまして、専門とする衛生学的な立場から、最近よく用いられるような言葉では、疫学的研究方法で追究をはじめました。

 人間の健康問題を考える時には、遺伝と環境の両面から攻めて行かなければならないのは勿論でありますが、東京育ちの私が、この東北に住むようになりまして、生活環境の違いに印象づけられ、主として環境方面から研究に入りました。

 日本の、とくに東北地方には、若い時から脳卒中の発作が起こり、早く死亡するという特徴があるのですが、その基礎に、この地方に生活している人々の血圧が高いということがあるのではないかと考え、普通に生活している人々の血圧を測り始めたわけであります。 

 いろいろの人口集団によって血圧の水準や分布に差があり、そして夏より冬の方が高いという季節変動を繰り返しているうちに、小学校や中学校時代のかなり小さい時から、集団として高血圧状態にあることを認め、住生活の中の寒さという温度環境、食生活の中の食塩を過剰に摂取している、といった問題を中心に研究を進めてまいりました。

 しかし、食生活の中の食塩を考えてみましても次ぎのような疑問が出てくるのであります。

 すなわち、よく現場で聞かれることですが、「同じ釜の飯を食べていて、なぜ自分だけ血圧が高いのか」とか、あるいは「人によって差があるのは何故か」といった問題であります。このようなことは患者に接している臨床の方々は毎日直面している問題であると思います。

 また、この地方には「まき」という言葉があります。血筋、血統を表す言葉ですが、昔なら「結核まき」、脳卒中ならば「あたりまき」というように、ある家系にある病気が多いということを示す地方の言葉であります。

 

2.血圧の「遺伝」

 ところで、「遺伝」という学問的な言葉は、19世紀末にメンデルが統計的な観察から遺伝の法則を見つけ出してできた言葉であると思いますが、今日までいろいろな段階を経て発展してきております。そして、卵細胞から、発生、成長に従って、どうして秩序のある種固有の体制をもつ生物ができあがるのか、という発生遺伝学がこれからの話題といわれております。

 このような遺伝学の発展の歴史の中で、高血圧との関係がどおう取り扱われてきたかということになりますと、ここでいう高血圧がどのように理解されてきたかということが問題におなると思います。

 われわれが研究を始めました時点においては、どちらかというと、高血圧は、高血圧という状態より、高血圧症という一つの疾病概念として考えられていたと思います。すなわち、個人の血圧を1回測定して、それが一定の限界線、たとえば最高血圧については150mmHg、最低血圧については90mmHgという銭を引きまして、これを越せば高血圧症だといって、症例として把握し、また家系としてとらえ、検討されてきたと思います。

 その症例が置かれている人口集団の特徴とか、その人口集団の中のその個人の血圧の位置ずけといったような考え方はまったくなかったと思います。この東北地方に、子供たちの中に血圧が高い症例があるという報告はありましたが、その症例が家系的に、また遺伝的に高いのだというように理解され報告されていたと思います。

 イギリスのPlattが、主として臨床医学の立場から、高血圧を一つの疾病概念として主張したのに対して、Pickeringは、対象が病院人口ではありましたが、人口集団の血圧分布が連続しているという立場から、本態性高血圧への解釈を示し両者が論争したことは有名なことであります。

 

3.「血圧論」による研究

 われわれは、一般に生活している各種の人口集団の血圧の実態から考えられる「血圧論」を発表しましたが、この血圧論に従って、いわゆる遺伝因子をどのように検討していったらよいかということがこれからの問題であると考えております。

 血圧値一つをとりあげましても。個人の血圧を1回だけ測定して、その1回限りの血圧測定値で代表させることはできません。血圧の動揺といった誤差論を踏まえた検討は、まだ不十分であります。

 個人が生まれ育ってゆく間に、血圧がどのような推移をたどっていくかは、まだほとんどわかっておりません。われわれも十数年の経験しかありませんが、個人ごとに血圧水準のあること、動揺のあることが次第に明らかになりつつあります。小学校や中学校のような小さい時から、個人ごとに、いつも高め、いつも低めの者がいるということがわかりました。兄弟、姉妹、親子といった間には、身長や体重ほどではありませんが、血圧に相関関係がることがわかりました。しかし、十数年も同じ家に住み、同じ生活をしていると考えられる夫婦の血圧は、多くの症例において相関関係が認められておりません。

 このような事実から、血圧水準の決定は人生のかなり早期になされるのではないかと推測をもったわけであります。

 

4.実験動物における成績

 一方、最近になりまして、実験動物における高血圧の成績が発表されるようになりました。実験的に動物に高血圧を起こす方法はいろいろ考えられましたが、その中でも、1950年代になりましてウサギとかラットの血圧の高いものを選択的に交配させることによって、血圧の高い系を作り出すといった方法論が発表されるようになりました。

 京都大学の岡本博士の高血圧の自然発症ラット(spontaneously hepertensive rats、略してSHR)は、今や国際的に有名になりました。その実験の初めの模様が次ぎのように書かれております。「教室で飼育してきた多数のウイスタ−系のラットの中から、自然に145-175mmHgの高血圧を示したオス1匹を見いだして、150mmHg以上の高血圧が1か月も続いたところで、130-140mmHgのやや高めを示したメス1匹と4回交配を繰り返したが、得られた子供(F1)の中に自然に高血圧を示すというラットが多数見つかったのであります。そこで、高血圧を示すものを選んで近交配を続け、1969年10月26日に20代目が生産でき、SHRとして確立されました」と。

 また最近では、岡本博士は、脳出血を起こす系統を作り出すということを考えておられます。

 また、私自身が食塩についての研究の関係で知り合ったアメリカのDr.Dahlは食塩を与えても高血圧になりにくい動物のあることを追及しまして、食塩を与えても高血圧になりにくい系統、すなわちresistanceを示すR型、また食塩に鋭敏に反応して高血圧になりやすいsennsitivityのS型との二つの系統のラットを作り出すことに成功いたしました。

 そして、いろいろな研究を続けたわけでありますが、人間の高血圧の成因としての食塩の問題を論じたわけであります。

 最近の研究によりますと、食塩に鋭敏に反応する高血圧になりやすい系統のラットを用いて、食餌中のK成分、またNa/K比との関係を追及しまして、このような環境因子が階段的に影響を及ぼしているということを認めた結果を発表しております。

 このことは、かつて、K分との関係において、Dr.Meneelyが示した慢性食塩中毒についてのK分の保護作用といった報告、あるいは私たち自身が、この青森地方に生産されるリンゴが高血圧によい方向に働くのではないかという考え方をもってやりました一連の研究成績と一致するものでありますが、内因と外因の相互関係を示したものとして、大変興味をもって読みました。

 Dr.Dahlは、アメリカで売られている離乳食の製品に食塩が非常に多く含まれている、という問題をだされた先生でありますが、そのほか”inborn errors of metabolism(代謝の生まれつきの欠陥)”という考え方も示しました。

 また同様な成績がGrollman親子により発表されています。妊娠中の影響、たとえばコリンの少ない食餌とか、Naの多いもの、あるいはKの少ない食餌などの環境因子が、生後の高血圧の発生に関係するということを示し、彼らは、”tetratogenic induction(奇形学的な高血圧の発生)”という標題で発表しました。

 このように、動物において示される内因と外因との相互関係が、人間の高血圧の中でどういうものであるかということは、今後十分に検討される必要がありますが、すでに生まれ育ってきてしまった人間を相手にするという場合には、生活の中の高血圧増強因子というものをできるだけ避けるような生活をすることが、高血圧診療、また高血圧に対しての保健指導にいいて、きわめて実際的な方法であると思います。

(日本短波放送,昭48.7.14. チバメヂカルファイル 15−18,昭48.11.) 

もとへもどる