食塩と高血圧

 (昭和46年12月・月刊健康に掲載)

 食塩を知らない人たち

 

 食塩は食生活に一体必要なものでしょうか? むかし上杉謙信が武田信玄に塩を贈った話とか、戦時中塩がなかった頃の思い出が頭にあって、塩が食生活に欠くことのできないものだということに、とらわれすぎてはいないかというのです。

 ここでいう食塩とは、食物に自然に含まれている無機物の栄養素としてのナトリウム・クロ−ルという意味ではなくて、人間が人間の知恵によって食物につけ加えた食塩ということなのですが。

 最近のニュ−スに「塩も知らない人の生活」というのがありました。

 フィリピンのミンダナオ島の密林の中で発見されたタサデ−族と呼ばれる人たちは、長い間文明と隔絶した暮らしをしていたために、塩も砂糖もタバコも味わったことがなく、それでなんとこれらの部族には”むし歯”が1本もないことが調査の結果明らかになったというのです。血圧についてはまだ報告されていませんが、私の推測では、おそらく高血圧はなく、したがって若い人には脳卒中はないのではないかと思います。

 

文明に接するとともに

 

 というのは、今から10年前の南アメリカでの調査報告を読んだことがあるからなのです。アマゾンの流域に住み、自然の食物にだけたよっていて、全く食塩を用いず、植物の灰を用いている部族では、血圧が100から110で、高血圧はありませんでした。ところが、、すぐ隣の文明に接して、食卓塩やタバコを用いるようになった部族では、血圧が少し高くなっているというのです。

 そのほか、ブラジルの裸族シャバンテスの調査報告、ニュ−ギニアの現地人の生活探検記録によると、彼らは食物には味付けというのは一切せず、植物の灰をときどき用いるだけということですから、人間はいわゆる食塩をとらなくても、生きてこられたことは事実だと思います。

 エスキモ−という言葉も、「生肉を食す連中」という言葉をもっているといわれています。いわゆる文明人がはじめてエスキモ−人をみて、食塩をふりかけないで生肉をたべているのをみて驚いた姿が想像されます。そしてエスキモ−の原住民の調査で、高血圧が少ないことは、かなり前から報告されていました。

 

世界一多く食塩をとる地方

 

 一方、食塩を毎日沢山とっており、高血圧が多い例として、日本の、とくに東北地方と、西印度諸島の例をあげることができます。

 西印度諸島のバハマ島といえば、今はアメリカ人の観光地に変わりつつあるようですが、ここの土地に住む人たちの血圧が極めて高いことが注目され、調査隊がでたのは10数年前のことです。

 「遺伝か環境か」ということで話題をよんだ調査報告書の中で指摘されたことは、食生活上、食塩が多いという特徴でした。住民は塩づけにしてかわかした魚をたべ、塩が入った豚の油で食物を揚げて食べているとのことですし、さらにここの土地の井戸水の中のナトリウムの濃度が、普通なら100cc中に0.3か0.4ミリグラムの含量なのに、100から150もあるというのです。結局1人1日当たり15グラムから30グラムの食塩をとっていると報告されています。

 この食塩の摂取量は、ちょうど日本の、東北地方の人たちが毎日とっている量とほぼ同じで、血圧もちょうど同じくらい高いことは極めて興味のあることでした。

 

食塩過剰の東北型食生活

 

 そして今日、日本の、とくに東北地方の人たちが食塩を世界一沢山とり、高血圧や、若い脳卒中が多いというわれわれの報告が、世界の学者の注目をあびることになったのです。

 外国人にとってはとても信ずることのできないくらいの量の食塩を毎日摂っていることも、われわれ日本人ならすぐわかることですが、みそ汁、漬け物、塩魚でご飯を食べるというのが日本人の食生活の基本型です。豆とこうじと塩とでつくるみそ汁を、1日朝ひる晩と3回づつ、1回に何杯ものむのですから食塩が多くなるのは当然です。そのうえ「ガッコ」とよばれる塩の漬け物を山盛りお茶うけに食べ、秋田には魚を塩づけにしてつくった「しよっつる」を調味料にした郷土料理もあるのですから。

 

塩と健康との関係

 

 塩と健康との関係について最も古い記録を中国の黄帝内経という医書にみることができます。中国の黄河のほとりに生まれた文明の中の、医療の記録を伝える黄帝内経には次ぎのように書かれています。

 「東方の国は、海の果てから日の昇るところであります。そこは、魚や塩の産地ですから、海岸でありまして、青い海に面しております。そこの住民は魚や塩を食べ・・・そのうえ塩をとりすぎますと、血が粘調になって流れが悪くなるものであります。結局塩の摂取過剰で、顔色は黒く、皮膚のきめも粗いので、ここの人びとにはオデキが多いのであります」

 「鹹(かん)味のものを食べ過ぎますと、血が粘調となって脈行が渋り、顔色の光沢が失ってくる」とあります。幾千年も昔、塩と脈との関係が観察されていたことはおどろくべきことです。

 西洋医学の祖といわれるヒポクラテスの記録にも、当時健康の基本的条件と考えられていた食餌について、魚を生で食べるか、塩して食べるかといった注意がのべられていますが、いま、あらためて見直したいと思うのです。

 

食塩の必要量について

 

 「塩を買うためのおかね」というところからサラリ−の語源になったほど貴重だった塩、ロンドン塔の宝物殿の中で、ダイヤモンドをちりばめた王冠のそばにかざられている黄金の塩の入れ物、むかしは、それほど貴重だった食塩が、今日われわれの食生活の中にふんだんに用いられるようになったのは何故でしょうか。

 その理由の一つに、容易に手に入るようになった食塩が、食物を保存するために広く用いられようになったことがあげられると思います。北ヨ−ロッパでも、伝統のある郷土料理には塩蔵物が用いられています。アメリカでは数十年前に塩蔵による食物の型が、冷蔵へきりかわった為に現在では大分食塩のとり方が少なくなったと考えられます。それでも、ジョ−ジ・ワシントンが住んでいたマウント・バ−ノンの家には、倉庫に岩塩の樽がかざられており、歴史の流れを知ることができます。ちょうどいま、東北の農家の倉のかたすみに、味噌のたるがあるように。

 食物を保存するために用いられてきた食塩。その食塩の濃い味付けの中に生まれ、育つて、おふくろの味といった習慣が形づくられたのではないかと思うのです。

 ところで。食塩が栄養素の無機物の一つとして必須なのかということは案外知られていません。

 

1日数百ミリグラムで十分

 

 厚生省の発表している栄養所要量の一つに、食塩は1日成人1人あたり15グラムという数値があるのをご存知でしょう。

 しかしこれは生理的な必要な量を示している数値ではありません。今日まで栄養問題は、何か物が足りない方が問題になっていたこともあって、ふだん日本人が習慣的にとっている量の10グラムを基準にして、それに5グラムくらいつけ加えれば十分安全だろうということから計算された値であることを知っておかなくてはなりません。

 実際に、毎日とる食塩の量をどんどんへらしていった場合、どのくらいになったら健康上の障害がおこってくるかをみた臨床実験が報告されています。その結果によると、汗をたくさんかいたり、下痢をしたりするような特別な場合を除いて、収支のバランスがとれているかぎり、1日数百ミリグラムのナトリウムで十分で、そんな生活を何年やってもなんら健康上の障害がみつからなかったというのです。

 私たちが毎日摂っている食塩は、実は大部分腎臓からオ−バ−フロ−して出ているのであって、尿の中の食塩を測れば、毎日摂っている食塩の量を推測できるといわれているくらいです。毎日摂っている食塩は無駄に、尿の中に出されていて、一生の間にその人の庭に、1トンから2トンの食塩が山のようにうず高くつまれるくらいになるのです。

 

高血圧の成因と食塩

 

 高血圧の成因がすかりわかってしまったというわけではないにしても、その中で現在最も有力視されている原因に、食塩の過剰摂取があげられています。このことは動物実験では証明ずみで、高血圧の動物をつくるときよく用いられる方法になっています。

 人間の場合には、動物のように実験するわけにはいかないのですが、この地球上に食塩を食物につけ加えないという食生活で育っている人たちや、1日10グラムも20グラムも毎日摂って一生を送っている人たちがいることは、ちょうど人間の実験が行われているとみることはできないでしょうか。このような見方が、最近流行の疫学的な見方ということで、この点から、食塩と高血圧との関係が、国際的に見直されてきたと考えられるのです。

 

例外はあるけれど

 

 ただ食塩を沢山摂って、誰もが例外なく高血圧になるなら、この関係を疑う人もないでしょう。しかし自分はしょっぱ口で、食塩を沢山食べているのに、血圧は高くない、むしろ低いくらいだという人がいることも事実です。このことは動物実験の結果示されてきた、いわゆる遺伝因子との関係を示す事実で、その方は悪い因子をもっていなくて本当に幸福な方と考えられます。一般には食塩が多いだけで、高血圧になっていく人がいることも事実と思われます。それもかなり小さい時の食塩の影響をうけて。

 

幼少時代の食習慣の影響

 

 一つの推測をすることをゆるしていただけるだけなら、かりに食塩が高血圧に関係があるとしても、それはかなり若い、小さい時の影響と考えられるのです。そしてその後続く同じように過剰な食塩のある食生活の中で、30年、40年かかってつくり上げてきたのが、今の大人の高血圧ではないかと思うのです。

 高血圧を今日、明日すぐ直すことは現在の医学ではできない相談です。もし直すことができてもゆっくりと時間をかけなければならないことです。塩を少なくすることも、1年2年と気長にやってゆくことです。そのうちに、きっと薄味になれ、食物の本当の味がわかってくる頃、血圧は少なくとも今より安定してくるでしょう。

(月刊健康,56−61,昭46.12.)

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