今でこそ少なくなりましたが、昔は塩をなめながら酒を飲むとか、漬け物と味噌汁だけで、ご飯を何杯もおかわりするという姿をよく見かけたものです。
そして、ちょっと料理の味が薄いと、なんだかもの足りないとか、これでは力が入らないなどと言って、嘆く人がすくなくありませんでした。
なぜ、こんなに塩味が好まれたのでしょうか。
かって、食料の保存には塩がかかせないという時代がありました。実際に、漬け物や佃煮、魚の塩漬けや干し物は、日本人の食生活に深く入り込んでいたのです。
そのうえ、厳しい重労働に耐えられるだけの大量のエネルギ−を補給するには、ほんの少しの量で、ご飯がたくさん食べられる、塩けの多いおかずがたいへん好都合でした。こうして、食塩は貧しい食卓における一種の貴重品とされてきたのです。
しかし、今はどうでしょう。
戦後の日本の食生活は、急速に豊かになってきました。そして、冷蔵庫や冷凍庫が普及して、全く塩を使わずに食物が保存できるようになってきました。
そんな中で、私たちの食塩の摂取量は、どのように考えたらよいのでしょうか。
「食塩の所要量は1日1人あたり15g」と定められたのは、終戦後の昭和21年のことでした。ところが、その後30年間変わらなかったこの基準には、大きな問題点がありました。
そもそも、この基準には、どんな根拠があったのでしょうか。
当時の日本人の食生活は、植物性食品が中心だったので、欧米人よりもカリウムの摂取量が多いはずだ。従って、カリウムと反対の生理作用を持つナトリウム(食塩)をたくさんとってもよいのではないか、という考え方がありました。
ところが、これは全くおかしいのです。
実際には、食塩をたくさんとったところで、その大部分が尿として体外に排泄されてしまいます。
また、日本人はカリウムを多くとっているという指摘にも疑問が残ります。
カリウムに対して、ナトリウムをどれだけとっているかという割合を調べてみると、欧米人は一般に2-3なのに対して、日本人、特に東北人の場合のいは6以上にも達しています。
この割合を見る限り、カリウムを多くとっているどころか、ナトリウムすなわち食塩のほうをとりすぎていると言わざるをえません。
さらに、こういう考え方もありました。
一般に好ましい塩味とは、食塩濃度が1.0-0.2%のものである。1日にとる食物の重さとこの数字をかけ算すれば、適切な食塩所要量が求められるのではないかというものです。
しかし、この考え方には、いささか無理があります。何よりも、好ましい塩味だからといって、必ずしも体によいとは限りません。
ほかにも、いろいろな根拠が示してありましたが、食塩の所要量が1日1人あたり15gという基準は、どうみても好ましいものではありませんでした。
まず第一に、とりすぎると害になる食塩について、所要量、すなわち、これだけとれば大丈夫だという量が、示されること自体に問題があったのです。
そこで、昭和50年には、食塩について、所要量を示すということがなくなり、次いで昭和54年には、次ぎのような見解が示されることになりました。
「当面の努力目標として、食塩1日10g以下を適正摂取量とすることが望ましいと考えられる」
これはどういうことでしょうか。
10gはどうしてもとらなければならないということではありません。
あくまでも10g以下が望ましいとされている点に注目すべきだと思います。
それでは、その10g以下という意味を、もう少しくわしく見ていきます。
昔から、汗をたくさんかく人は、食塩を多くとる必要があると言われできました。1リットルの汗をかくと、食塩が3g弱失われるとされていたのです。
ところが、実際にはそんなことはありません。食塩の摂取量を減らしていくと、それに応じて汗として排泄される食塩の量も減ってくるのです。
それは、汗の中のナトリウムの量を調節するホルモンの働きによるものと考えられれていますが、ともかく人間の体には、かなりの適応能力があるのです。
汗のほかにも、尿や糞として排泄される食塩の量をくわしく調べてみると、食塩は1日に1g以下で十分間に合うことが分かってきました。
実際に、食塩を全く使わないでも、きわめて健康に暮らしている民族があちこちにいます。そして食塩摂取量が少なくなれば少ないほど、血圧は上がらないのです。
かっての日本人が食生活に大量の食塩を用いたのは、確かに生きるための一つの知恵でした。
しかし、食塩の弊害が明らかになってきた今日では、むしろ食塩の摂取量をいかに抑えるかという点で、知恵をしぼるべきだと思います。