リンゴと高血圧

 

 リンゴと高血圧との関係、リンゴを日常食べていることは、血圧水準を正常に保ち、高血圧発生の予防になるのではないか、と考えたのは今から20年前のことである。

 わが国の、特に東北地方では、多くの、若い働き盛りの者が脳卒中で死亡し、その脳卒中が血圧と関連していることは、生命保険医学や臨床医学の成果でわかっていた。

 しかし、一般の住民が、小さい時から、どんな血圧をもち、どのような経過をたどりながら、脳卒中の発作を起こし、死亡してゆくかは、まったくわかっていなかった。

 そこで今日でいう疫学的研究で、一般の住民の血圧を測定しはじめたが、リンゴ生産部落民の血圧の状態がわかったのが昭和29年1954年であった。そして東北地方の他の部落民の血圧が一般に高いのに、なぜかリンゴ部落民の血圧が、全国平均なみ、あるいはそれ以下だという事実に触れたとき、一つの推理をしたのである。

 リンゴと健康との関連は、古くはことわざにいわれているのだが、それを裏付ける学問上の業績はそれほど多くはない。

 Moroが1929年に小児下痢へのリンゴ療法を発表したのが有名である。弘前大学でも胃液分泌促進作用の研究(松永)や、ペクチンの解毒作用の薬理学的研究(角田)が行われた。

 Keysが動脈硬化症の研究を行っている途中で、ペクチンを毎日15mgとると、血中コレステロ−ルが低下するという報告をしたときには「Time」誌が”Two apples a day”と報道した。

 

有機カリの作用

 

 わが国で始めて開かれた”高血圧の疫学”に関するシンポジウム(日衛誌、昭33)で、われわれがそれまでの研究成果を発表したとき、翌日の新聞において、”高血圧によいリンゴ、日に3つ食べれば”と報道された。

 これは、東北地方の住民の血圧が、リンゴを毎日の摂取量と逆比例して低くなる、という野外調査の結果をつたえたものである。

 徳島大学の生化学教室では、食塩性の実験高血圧に対してくだもののジュ−スとしてのリンゴの効果を研究したが、これは有機酸カリの作用として考察されている。

 われわれは、まず、くだもののなかのビタミンCを考えたが、リンゴ部落民の血中総ビタミンCが、8割以上0.7mg%以下であったので、ビタミンC不足を考え、他に要因をもとめていった。

 しかし、葛西文造らの研究によれば、リンゴのビタミンCは還元ビタミンCとしてはきわめて早く酸化するが、酸化ビタミンCとしては比較的安定で、モルモットのビタミンC欠乏実験による成績で、純酸化ビタミンCと比較してよりすぐれた栄養学的効果が認められているので、リンゴの日常の摂取量が多ければ、その作用は無視できないであろう。

 われわれは、食塩とカリとの関係を、一般の尿試料のNa/KmEq.比としてみたが、東北地方では7とか8と極めて高い値をとるのに、リンゴ部落民では4から5と低いことに注目して報告した。

 また、実際に、水田単作農民に1日6個のリンゴを10日間食べさせると、リンゴ摂取群はK排泄量は増し、Na/K比は低下し、血圧も対照群と比較して有意に低下したことを認めた。

 

追跡的疫学調査の結果

 

 過去10年にわたる追跡的疫学調査によって、青森県のリンゴ農村では、秋田県農村と異なって、若い中年者の脳出血が少ないことが確認された。 

 また、脳卒中の発作発来も、青森県は東北地方の他の地方より高年齢層で起こるという実態も明らかになった。

 われわれの研究を始めた頃、1957年に、Meneelyが報告した”慢性食塩中毒に対するKの保護作用”という研究成果は極めて興味深いものであった。

 高血圧の成因における食塩因子に注目して、食塩に敏感に反応する系統のラットをつくったDahlは、最近、Na/K比の異なる飼料で実験することによって、Na/K比が多くなるとそれに比例して血圧も上がるという成績を報告している。

 近藤正二名誉教授の”リンゴ地帯に長寿者がいない”という説は、一見矛盾するような説であるが、青森県にリンゴが入って今年で100年を迎えるという歴史を考えると、70歳以上の長寿者が少ないことは過去のことを示す事実ではないかと考えられる。

 統計上または実態調査で明らかなように、青森県における中年期脳卒中死亡率、ライフ・ロ−ストは低く、中年者の血圧は秋田県に比べれば低い。

 かって1928年にAddisonがカナダ医師会誌で、sodium chlorideを与えると血圧は上昇し、potassium chloride を与えると血圧は下降するという臨床報告をしたことや、1936年大森憲太教授が食事療法における食塩とKの問題を論じた報告を読むにつけ、われわれが青森県のリンゴ部落でみた、高血圧や脳卒中の実態は、疫学的研究による高血圧の成因への一つの手がかりを与えてくれたものでないか、と考えるのである。

(メヂカルトリビュ−ン,7(14),11,昭49.4.4.)

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