いつだったか吉田豊教授がクラス会ででた話を教えてくれたことがあった。
それは私の「医事法制」の講義をただ一人聞いてくれた方の話だった。
ああそんなことがありましたね。
30年も昔に。
私が弘前に来たての頃、高橋英次教授の助教授として衛生学の講義を持たされたいた中の一つだった。
たしか階段講堂であったと思う。朝の時間に教室へ入ってみると、学生は一人しか座っていなかった。その時の学生の顔、そして名前は思い出せない。
自分が学生時代に慶應義塾大学医学部の四年で、医事法制の講義を同じように一人で聞いたことが頭をかすめた。
昔講義のなかで何を聞いたのか、そして何をしゃべったのかは思いだせない。ただその情景だけは思い出すのだ。階段講堂で講義を始めて暫くしたら、うしろの上の座席に何人かの学生が顔をみせたことなど。
講義とはこんなものだろう。学生時代から今まで何人かの話を聞き、その時は感心もし、新しい知識として覚えた気がしても、今その中の何を覚えていて、それを同じように他人に伝えることが出来るのかどうか疑問である。何かが聞いている人の頭を本当にとらえ、それからその人なりに展開してゆくものなのか。
ほんの一言、言った本人はとっくに忘れているのに、言われた人、聞いた人がよく覚えていることがあって、びっくりすることがある。先生はあの時こんなことを言われましたよと。そんなことで先生家業の恐ろしさを感ずることがある。
毎日毎日多くの患者に接している医師など、とても大変な仕事をしているものだと思う。その先生の一言が患者の一生を左右するかもしれないからである。
講義をすることに、なにか義務感があったことが思い出される。
その義務感が長い自分の生活をささえてきたのかもしれない。
私の「衛生の旅 Part3」に「あっと驚いた話」を書いた。国家公務員として、教育公務員として、30数年勤めあげることになった弘前大学に着任したとき渡された宣誓書に、署名をしろと言われたときに驚いた話なのだが、その署名に伴う義務感であったかもしれない。