3年生衛生学最終の試験の時だった。
定刻5分前に問題の紙をかかえて医学部講堂へ入った時、私を待ち構えていたのは、巻紙を持った一戸紀孝君と赤いバラの花束を持った宮崎恵子さんだった。
「先生一寸」
「ああ 3年生とは今日が最後だな」
一瞬、以前細菌の山本耕一教授が退官された時、受け持ちの最後の講義の時間に学生から花束をもらったエピソ−ドを思い出した。私もその時なのだなと。
あとは一戸君の声が、そして試験の前の緊張を解かすかのように笑い声が広い講堂に響いた。
佐々木先生、30年間どうもご苦労様でした。
先生にはまだ専門1年生の3学期の講義がおありですが、先生のご恩を長く受けてきた我々専門3年生は最後の機会ですので、ここに先生のご恩に感謝したいと思います。
先生の講義、又それ以外での先生とのふれあいの中で、我々は多く考えさせられ、刺激され、啓発されてきました。
どこまでも青いギリシャの空と海、強そうな日ざしにもかかわらず涼しそうな木陰、そこにのんびりと暮らす人々。そして圧巻は禁止されながらも先生のおもわずぬすみどりした衛生の女神コス島のハイジエイア。その輝くような健康的な美しさ。先生の講義の中でそれを見たとき、そここに治療医学を越えた健康の美しさを見、衛生の重要さ、治療医学以前の健やかな人間の輝きを思ったのは私だけではないでしょう。
又今ではわずかな痕跡しかない疫学発祥の地、ジョン・スノ−の井戸の前に立ち、感激の余り、通りがかりのおばあさんに「私はこれを見るために、はるばる日本からやってきた」と語ったときの、先生の興奮、そのおばあさんが、けげんな顔をして、コツコツと去っていったときの。映画のような、絵画のような光景を思うとき、1つの分野にうちこむ人間のすばらしさと少しの哀愁を感じ、かっこうよいと思ったのは私だけではないでしょう。
はっきりいってあこがれました。
先生のお話には学問として身につくところも多かったのですが、それよりも無形のものとして、、静かに、でも深く影響を受けるものが多かった気がします。いかにも幼稚舎から慶應という貴公子然とした先生なのですが、先生がこちらにいらっしゃった頃は、「弘前大学には全学で顕微鏡がひとつしかない」ということも、東京方面でまことしやかにささやかれていたそうですが、今こうして結構評価され、自信をもって弘前大学であると言えるようになったのは、先生のみとはいいませんが、クイズ面白ゼミナ−ルに出るほどの先生の業績のおかげと思います。
先生のことですからまだまだこれからやっていかれることでしょう。我々も先生の教えを、自分なりに消化して、20年後の青森県の医療、さらには日本の世界の医療に貢献していくことを誓います。
ほんとうにありがとうございました。
衛生の女神ハイジエイアをぬすみ撮りするちょっとエッチな、だけどハイジエイアの最高にして永遠のナイト佐々木直亮先生へ。
こうなると単位をあげないわけにはいかないな。
レコ−ド大賞ではないけど涙がでた。