品川教授のこと

 

 品川信良教授のことで”はりの先のような意見をいう”ことが話題になったことがあった。

 はりの先というと、さされた相手は痛みを感ずるという意味にとれるが、必ずしもそうではなく、的を射た意見を述べるということでもある。

 私も品川教授から、一さし刺されたと思ったことがあった。

 それはいつだったか、”衛生学は勝手なことをいう”という言葉であったと思い出す。

 ”勝手なことをいう”とは、一般的には悪い言葉で、相手にいう言葉としては失礼なことであろう。だから一瞬、ああこれが人のいう品川教授の一つきかなと思ったものだった。

 だが先生のいった言葉の本当の意味は何なのか。

 それはまだ聞かずじまいにいるからわからない。

 あとは私の勝手な解釈である。

 それは衛生学は自由ということではないか。

 テ−マがなんであれ人の健康問題であれば、何でも考え、それをおいかけることができるからである。

 臨床の教授となればそうはいかないだろう。開業している医師も同じであろう。目の前に病人がいる。その人の為に何かをしてあげなくてはいけない。

 それもよく考えてみると分からないことだらけである。その病気の自然史もわからず、予後もわからない。よく臨床がやれるものだと思う。だから私は病人を相手にできなかったのだ。医師免許状をもっていながら、何十年もたってしまった。それをよくやっておられると思う。人の苦しみも知らずに、と思っておられるのではないか。

 それに比べて衛生学はどうだ、勝手にテ−マを選んで。

 ”あだり”や”かすって”寝ているような老人のことをやっていたかと思うと、こんどは血圧だ。そして子供や新生児をおいかけている。内科から小児科、産婦人科である。これがうらやましかったのではないか。

 外科ザイテの方はある意味では気の毒である。目や手が利かなくなったらおしまいだ。だからできる時に十分働いてもらい、十分収入があり、、欧米ではこれが常識であると思うが、あとは悠々自適であるのがよいと思う。また社会はそれを考えるべきであると思う。メスをとる手も世の中に必要なのだから。

 品川教授はよく勉強されたと思う。とくに後半にはよく書かれたと思う。それも専門外ともいえる分野で。そしていつだったか、”色々勉強し、書かれていますが、一体先生の意見はどうなんでしょう”これが私の先生にたいする一さしであったかもしれない。

 しかし前々から考えていたことが筆をはしらせたのではないか。保健医学研究会の記録”明日の健康を求めて”に先生の若かりし頃の意見がでている。そして内容というか考え方が何十年たってもちっともかわっていないねと、自分で感想を書いておられた。

 助教授時代色々と意見を述べていた。だから”あいつは教授になれるかな”というのがもっぱらの評判であった。

 (品川教授退官記念会の日 昭63.5.)

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