一地方の大学で
今回青森県から大高道也環境保健部長の推薦により「脳卒中・高血圧予防についての疫学的研究と地域住民の保健活動の推進に貢献」ということで保健文化賞を受賞したことは有り難いことであった。
昭和31年弘前大学教授として医学部の衛生学講座を担当することになった時、教室の運営について教育・研究、そして地域社会への奉仕ということを考えた。まだ公衆衛生学教室のない時代のことで、東北の青森県に一つの医学部の衛生学教室としてである。
研究は何をやるか。当時はまだ乳児死亡や結核は多かったが、それらは学問的にはほぼ分かっていた。謎ときのテ−マは「あだり」であった。
古くは中風、脳溢血あるいは脳軟化といわれていた病気は、この土地の人々は「あだり」といい、年をとればさけられない運命的な病気と考えていた。
すでに臨床医学によって患者の血圧は高いこと、また生命保険医学によって高血圧者の生命予後の悪いことから、脳血管疾患と高血圧との関連のあることは考えられていたが、一般の人々の血圧がどのようなものであるか、血圧の高い人は、血圧の低い人は、将来どうなるのかは全く分かっていなかったのである。そのため血圧計をもって、地域から地域へ、一戸一戸訪問して、血圧を測定し、その人たちの日常生活を見ることから始まったのである。
そして疫学的研究を展開し、脳卒中予防の手がかりを得て、その後停年まで追跡検討してきたのであるが、その中心をながれている考え方は、「血圧論」であり、そして「食塩文化論」である。審査にあたられた方々にお分かり戴けたであろうか。
NHKのドラマ「いのち」が放映されていたこともあり、丁度同じ時期の弘前大学医学部に着任した者が、永年頑張ったものだとの気持が審査員のなかにあったのではないかと思わないわけではない。しかし当の本人はテ−マにめぐまれ、それがアタッテ、その結果日本のみならず国際的にも影響を与えた感がするのは、学者冥利につきるものといえよう。そしてその後日本の成人病死亡のうち脳血管疾患による死亡率が好転したことは大変有り難いことであった。
また学問のみならず、それが実際に生かされたことを評価する保健文化賞を戴けたことは、衛生学をやってきた身にとっても嬉しいことであった。
斉藤十朗厚生大臣より