グルメブ−ムとかいって、食に関する話題がTV・新聞・雑誌に出ることが多い今日このごろであるが、栄養士のカリキュラムが変わって食生活論を担当することになったので、この手の記事に一段と関心を持つようになった。
もっとも食塩文化論が私の仕事のキイになることなどでこんな話題に興味があるのは以前からなのであるが。
その一つに”第5の味うまみの発見”という番組があった。夜遅いので録画したのだが。日本たばこJTの提供の番組は面白いものが多い。
内容は予想した通り、1908年の味の素の発見につながる話で、東京化学会誌に池田菊苗博士が発表された新調味料(グルタミン酸)についての報告についての物語であった。
がしかし”うまみ”とは一体なんであろうか。
これは脳卒中・高血圧の疫学的研究の展開の中で食塩の問題につきあった35年前にさかのぼる私の疑問である。
ちょうどその頃であったか、生理学的な研究で味の域値に関する研究があった。われわれが塩味の好みのテストとして考えたがこの方法は生理学的な塩味の域値ではない。また生理学的研究で神経伝導に伴う電気現象が、塩と酢と極めて似ていることも学んだ。ちょうど日本人の食生活の調査から国内で塩と酢の摂取量が逆で、食塩摂取量は脳卒中死亡率と順相関であるのに、酢は逆相関であることも見つけたときであったし、また現在の食塩の過剰摂取の習慣をかえるのにお酢をうまく使うことが云われていることと関連があるのではないかと考えたことがあった。
衛生学の立場からは福士襄先生の学位論文になった研究になるのだが、”うまい”と思う、そして客観的にうまいといって選ぶ食塩濃度の分布が、その生活集団によってある時点では正規分布的であり、また時代と共に変わるのではないかということであった。
具体的にいえば、この東北地方の女子学生は昭和34年には1.37%の食塩水を旨いといって選んだのに、昭和54年には1.10%と変わったのである。そして最近はもうすこし低い濃度の食塩水を好むものと思われる。
日本人の一般に好ましい塩味は1.0−1.2%とされているとし、これを基準に摂取食物の重量を乗じて、食塩の摂取量とみることが、私が研究をはじめた頃の原稿を誰が書いたかわからないが厚生省という公の考え方であったのである。
なぜそうなのか疑問に思ったことも、研究の出発点の一つであった。
はじめの話にもどそう。
”うまい”ということは、あくまでもその人の主観ではないかということである。
また四味そしてうまみを加えて五味、また七味とかいうが、人が感ずる味は化学物質の数だけあるのではないか、これが私の35年前の疑問であり、また仮説である。
TVでご馳走を味見するシ−ンがあって”うーん うまい”という顔だけをいつも見せられるのであるが、どんな味なのであろうか。
まったく主観的で、われわれにはわからない。役者は演技をしているのであろうか。そしてその言葉は”うまい”というばかりである。
未開人に塩をなめさせたら、彼らのいう塩でないという話がある。
彼らにとっては、KClを主体にした塩はNaClを主にした塩は塩でなくてよいと思う。グルタミン酸ソ−ダのうまみとイノシン酸ソ−ダのうまみとは別なものであると思う。そして一人一人が生まれてこのかた経験したことと結びついて、その人なりの主観的な味という意識を各人がもっているだけで、一般的に共通な”うまみ”などというものはないのではないか。これは私の考えである。
このような立場を考え方をもつと、”塩梅(あんばい)”をよくしてとか、ちょっと”味をよくするために塩少々加えまして”とかいわれることは、そのように育った多くの人々にただ迎合していることであって、本質的なことではないのではないか。
これが前に”味気ない話”を書いたこととも同じ発想であることがわかっていただけるであろうか。(1・9・19)