2 塩を意味する文字の分析

 

 食塩の塩(しお)という字の漢字は「鹽」であり、古代から文字をもっていた中国ではすでに数千年も前に用いられていたのであるが、この字はどのような意味をもっていたのであろうか。

 

 説文に言うとおり「鹵(ろ)に従ひ(意符)監(かん)の声(音符)」の形声字である。字音は「余廉切」(エン)であり。「監」(かん)がこの音を表わす。この音を表わす意味は、別字で言えば「鹹」(かん)字である。がさらに根本的に言えば「苦」である。「苦」の音から一方は「鹵」(ろ)の声となり、他方は「咸」「監」の声となった。「余廉切」(エン)の音は「監の声」の転じたものにすぎない。字義は「苦い小粒のもの」である、と解説されている。1)

 また「鹵」の字形は塩が篭(かご)の中にある形象で、象形字である。

「 」(しん)は「西」の原字と同じく篭の口を括つた形である。

 鹵は塩気を含んで耕作に適しない不毛の土地という意味もあり、西方の鹹地の名の由来と説明されてもいるが、「 」は口を開ければ「 」(し)で、竹か柳でできた篭であるから、「ロ」の音は「筥」(きよ)からきたと考え、家庭において塩を保存するには、「缶」(ふ)に容れるないで、「筥」(きよ)の中に容れていた考える。字義は篭中にある小粒の意とも解説されている。

 すでに塩は人々の身近にあり、それに名前をつけ、字にしていたと考えられる。そしてその塩が食生活の中に用いられていたことについての、観察・問答の記録が「黄帝内経」として現在まで残ったと考えられる。

 

 わが国の古代記録である「古事記」「日本書紀」にも塩に関する記述は散在する。2−4)

 すなわちその代表たるものは古事記に見られる「天地(あメつち)初(はじ)メて発(おこ)りし時(トき)」「故(かれ)、二柱(ふたはしら)ノ神(かミ)、天(あメ)の浮橋(うきはし)に立(た)たし而(て)、其(ソ)ノ沼矛(ぬぼコ)を指(さ)し下(おろ)して画(か)かせ者(ば)、塩(しほ)許 (コを)猿 (ロコ)呂 (をロ)邇(に)画(か)き鳴(な)し而(て)、引(ひ)き上(あ)ゲます時(トき)、其(そ)ノ矛(ほコ)の未(さき)自(よ)り垂(した)落(だ)る塩之累積(しほノつもり)、嶋(しま)と成(な)りき」の記載であり、すでに「塩椎神」(しほつちノかミ)(シホは潮、椎のツは助詞のノ、チは霊)が登場しており、日本書紀にも「魚鹽(なしほ)の地」「薪(たきぎ)として鹽を焼(や)かしむ。是に、五百篭(いほこ)の鹽を得たり」「白鹽(しほ)を以て其の身に塗られむこと」「海の鹽」「鹽酢(しほす)の味」「穀(もみ)と鹽」の記載がみられる。

 海にかこまれてはいるが、岩塩のなかった島国の日本では、海の潮(うしお)と潮(しお)の言葉がある。わが国では海岸に塩は身近にあったのである。

 

 欧米では塩にあたる言葉は、ラテン語の「sal」から継がれたといわれている。

すなわち、フランス語の「sel」、スペイン語の「sal」、ポルトガル語「sal」、イタリア語の「sale」、英語の「salt」、ドイツ語の「Salz」、スウエ−デン、デンマ−ク、ノルウエ−では「salt」である。

 しかしまたインド・ヨ−ロッパ語の最も古いサンスクリット語には塩にたいする言葉がないと言われている5)。

 インド・ヨ−ロッパ語族の一つのケルト人が紀元前アルプス地方の岩塩を採鉱していて、彼らは塩のことを「hal」といい、この「hal」のギリシヤ語訳が「hals」で、そしてロ−マ(ラテン)語の「sal」になったという6)。紀元前18年にロ−マ人がこの地方を占領したとき、すばらしい塩の製品やまたよく発達した塩の取引を発見、塩はその当時「金」とよばれていたが、利口なロ−マ人はそこにすむケルト人を殺したり流罪にするかわりに塩坑の塩の採掘の仕事や塩の運搬に使用したという歴史が語られている。

 ドイツ語のハレ(Halle)は製塩所を意味し、多くの地名になった。同様に英語の接尾語のウイツチ(wich)も製塩所を意味する古語からきている7)。

 アングロサクソン語ではウイッチは塩水を蒸発させて塩をつくる家を意味し、多くの地名があり、すくなくとも鉄器時代にそれらの場所で製塩が行われていたと考えられる8)。

 

 世界中塩があったところでは、それぞれの言葉でそれを表すことになったのであろう。それぞれの国語の辞典には次のような言葉が記載されている。

 トルコ語「Tuz」、梵語「lumbini」、ペルシャ語「namak」、ハワイ語「Pa'akai」、ロシア語「солв」、ギリシヤ語「αλζ」、アフリカのサンパ−語では「chumvi」、 アイヌ語では「sippo」という。

 蒙古人は塩のことを「達布蘇」(ダブス)、沖縄では「マ−ス」といっている。

 塩のほとんどない地方の一つパプア・ニュ−ギニアでは塩のことは「クム」といってという9)。「クムパ」は「塩のところ」で、塩水のわく泉がある。また現地の人にとっては、「食塩錠」は「これは塩ではない!」といわれた経験が述べられている10)。

 ミクロネシアのポナペ島では日本語に翻訳したらば、ほぼ「しおからい」「からい」というふうに表現できる味をあらわす言葉があるが、「からい」という言葉はトウガラシをあらわす植物名と同じであり、「しおからい」という言葉は、直訳すれば「海の味」という意味であり、外国から塩が輸入されるまでは塩はなかったという11)。

 パレスチナには死海(塩の海)また岩塩の層があったので塩は身近にあり、聖書の中に記載されることになったのであるが、この地方で塩を意味する語   (melah)はすべてのセム語に共通しており、塩が早くからセム族一般に使用されていたことを示しているといわれている12)。

 ビルマの上で「saw」下で「ilea」、タイ中部バンコック「klwa」、ラオスベトナム北「muoi」、南「vok」「loke」あるいは「luk」、マレ−シア「garan」、スマトラ「sira」、インドネシア「ujah」、ボルネオ「sia」あるいは「hio」、セレベス「sio」という13)。

文献

1)加藤常賢:漢字の起源.p.105, p.927, 角川書店,東京,1970.

2)青木和夫:古事記.p.19, p.21, 岩波書店,東京,1982.

3)坂本太郎,他:日本書紀 上.岩波書店,東京,1967.

4)坂本太郎,他:日本書紀 下.岩波書店,東京,1965.

5)Meneely,G.R.:Editorial. Am. J. Med., 16, 1-3, 1954.

6)Schwarz,E.:Bayerisches Salz. Pannonia-Verlag, Germany, 1978. 

7)R.P.マルソ−フ(市場泰男訳):塩の世界史.平凡社,1989.

8)平凡社:大百科辞典6. 1985.

9)本多勝一:ニュ−ギニア高地人.p.59, 朝日新聞社,1964.

10)石毛直道:食卓の文化誌.p.117, 文芸春秋,東京,1976.

11)石毛直道:世界の食物文化.p.8, ドメス出版,東京,1973.

12)馬場喜一:大辞典.キリスト新聞社,1971.

13)NHK教育TV:1983.10.27.

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