3 聖書にみる塩

 

 ナイル川のほとりのエジプトとチイグリス・ユウフラテス川の間のメソポタミアに古代オリエントの文化がおこったといわれる。

 歴史の父と呼ばれるヘロドトス(Herodotos, 484−430 B.C.)はオリエント諸国をめぐっての見聞を取入れ、ペルシア戦争を主題とした歴史を著作「歴史(HISTORIAE)」に物語風に書いたが、その中にミイラ加工について「天然ソ−ダに漬けて70日間おく」など詳細な記述がある1)。

 世界各地にみられるミイラ信仰のなかで古代エジプトにみられるミイラの作成には歴青(天然アスファルト)とか天然のソ−ダが用いられ、ミイラ(英語では mummy)の語源は「防腐剤」の意味があるといわれている2)。そして旧約聖書の創世記(50:2,3)には、医者たちは死体に薬をぬること(英語では embalm といわれる)を命じ、ミイラにするには40日を要したと記載されている。

 このことは19世紀になって初めて科学的に理解されるようになった微生物による腐敗を「塩」が防ぐことを、当時の人々はすでに経験から学んでいて、ミイラ作成に用いていたと考えられる。

 

 旧約聖書はイスラエル(ヘブライ)文化の記録であるが、この文化はメソポタミアとエジプトの間にはさまれ、西は地中海に面するパレスチナで育った。

 「初めに、神が天と地を創造した」で始まる旧約聖書の創世記にはすでに「塩」の記載が見られる。

 「そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。」(創世記 19:24-26)

 このソドムとゴモラの滅亡は創世記では、同地の人々の淫楽な生活に対する神の裁きとされているが、実際は天然の災害によるものと考えられている。またパレスチナには「塩の湖」といわれる死海があり、その死海南部の西岸に沿って、「ソドムの山」(ジエベル・アル・ウスドウム)と呼ばれている岩塩の山があり、その一角に「ロトの妻」と呼ばれる婦人の姿に似た岩の柱がそそりたっている。雨季の風雨の侵食作用でできたものと考えられている3,4)。

 このように旧約聖書の世界では、「塩の海」(創世記 14:3、民数記 34:3,12,17,ヨシュア記 3:16,12:3,15:2,)、「塩の谷」(列王記 II 14:7,サムエル記II 8:13,歴代誌 I 18:12,歴代誌 II 25:11,詩篇 60)、「塩の町」(ヨシュア記 15:62)、「塩地」(エレミヤ書 17:6)、「塩穴」(ヤバニヤ書 2:9)の記載があるように、塩がごく身近にあったと考えられる。

 しかしまた「塩」は聖書の中でかなり重要な言葉になっていることがうかがわれる5)。

 すなわち宗教的表象として、「神の契約の塩」(レビ記 2:13)、「永遠の塩の契約」(民数記 18:19)、「塩の契約」(歴代誌 II 13:5)、「塩をまき」(エゼキエル書 43:24)(士師記 9:45)、「地の塩」(マタイ 5:13)がみられ、健全の生活には「塩味のきいたもの」(コロサイ4:6)があり、「塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」(マルコ 9:50)、もし塩がその効用を失うときには、「硫黄と塩によって焼け土となり」(申命記 29:23)、また「もう、死や流産も起こらない」(列王記 II 2:19-22)にみられるように無益、荒廃、死の表象になる。

 塩と健康との関連についてみると、とくに塩の味、調味料としての塩の記述が多くみられる。

 「あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない」(レビ記 2:13)、「天の神にささげる全焼のいけにえの子牛、雄羊、また小麦、塩、ぶどう酒、油を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ」(エズラ記 6:9)、「塩は制限なし」(エズラ記 7:22)「味のない物は塩がなくて食べられようか、卵のしろみに味があろうか」(ヨブ記 6:6)、「もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう」(マタイ 5:13)、「すべては、火によって、塩けをつけられるのです。」(マルコ 9:49)、「ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのしょうか。」(ルカ 14:34)。

 また水の悪い土地で「この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産が多いのです。」「新しい皿に塩を盛って、私のところにそれをもって来なさい」水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産もおこらない。』 こうして、水は良くなり、今日に至っている。」(列王記 II 2:19-22)、「塩水が甘い水をだすこともできないことです。」(ヤコブ 3:12)、「その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のまま残る。」(エゼキエル書 47:11)。

 また「あなたの生まれは、あなたが生まれた日に、水で洗ってきよめる者もなく、へその緒を切る者もなく、塩でこする者もなく、布で包んでくれる者もいなかった。」(エゼキエル書 16:4)の記載もある。

 

 このように「塩」は聖書を生んだ世界ではその土地に身近にあった物であったが、聖書のなかでは高い象徴性をもって語られており、神への捧げものの中にはいっている。また一方、塩を食物に付け加えること、また塩味についての記述が多いことがその特徴として認められる。これがどのような考え方によって教えの中に示されるようになったのであろうか、それは当時の生活上の知恵であったのであろうか。

 旧約聖書から新約聖書とつづくキリスト教による教えを現在まで継承した文化圏の人々にとっては、それぞれの国の言葉にどのように翻訳され、語られてきたかの問題もあろう。例えばヨブ記(6.6)には「淡(あわ)き物(ものあに塩(しほ)なくて食(く)はれんや、蛋(たまご)の白(しろみ)あに味(あぢはひ)あらんや」7)、「味のない物は塩がなくて食べられようか、すべりひゆのしるは味があろうか」8)、「味のない物を塩もつけずに食べられようか、玉子の白身に味があろうか」9)とあり、「すべりひゆ(野草)のしるのように味のないものには食欲がおこらない」10)「食べ物に塩気がなければ人は苦情を言う。生卵の白味ほどまずいものはない。それを見ると食欲がなくなり、食べようと思っただけで吐き気がする」11)と解説されている。

 このように聖書に述べられた塩についての考え方が今日まで続くのであるから、塩を食物に付け加えるといったことが、彼らの食生活にどのような影響を与えてきたものかを考えざるを得ない。

文献

1)ヘロドトス,松平千秋訳:歴史.(上:巻2・86),岩波文庫,東京, 1971.

2)内藤正敏:ミイラ信仰の研究.p.12, 大和書房,東京,1974.

3)関谷定夫:図説旧約聖書の考古学.p.24, ヨルダン社,東京,1979.

4)高橋正雄:旧約聖書の世界.p.31, 時事通信社,東京,1990.

5)相浦忠雄、他:聖書辞典.p.475, 日本基督教団出版部,東京,1961.

6)Young,R.:Analytical concordance to the Holy Bible. p.832, United Society for Christian Literature. Lutterworth Press, London. 1879(First Ed.)-1966(Eight Ed.)

7)エフ・パロット,英国聖書会社:舊約聖書:大英国北英国聖書会社. (明治39.1), 神戸,1922.

8)聖書(1955改訳).日本聖書協会,東京,1974.

9)聖書(新共同訳).日本聖書協会,東京,1989.

10)千塚儀一郎,他:旧約聖書略解.日本基督教団出版局,東京,1975.

11)リビングバイブル:いのちのことば社,東京,1978.

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