ケンプナ−の高血圧についての食事療法が発表になったあと、非常に厳格な減塩療法で実際的でなかったこともあったが、全ての症例に効果があったわけでなかったことが、高血圧患者に接する臨床家の間にはこの療法が広がらなかったのではないだろうか。
現在でも自分の診ている患者全てに減塩療法が効かないという経験から「塩は高血圧の原因ではない」と考える臨床家は多い。
しかし患者からの情報だけで、高血圧を考えることは、すでに出来上がってしまったと考えられる疾病をもつ患者から出発した考察には限界があり、健康者を含めた人々に接近してゆく「疫学」によって、多くの疾病についての「自然史」が判明してきたのではないだろうか1)。
われわれが人々の血圧をどのように考えるかの「血圧論」を述べ、研究して、血圧の集団評価から個人評価へと研究の成果を上げることができた。
血圧の個人評価については、ほとんど個人評価というような研究方法をもち、成果を報告している研究はみあたらないのであるが、日本の東北地方住民の血圧を長期に観察検討した結果、地域内のほとんど全ての人々の個人別の血圧の推移について報告することができた2)。
すなわち約20年に亙って得られた資料によって、個人の血圧水準と加齢による推移は、個人によって若い年代から相違していること、そして個人の血圧水準と推移の個人による相違は、環境における宿主と病因に影響する多要因によって左右されていると考察した。
その環境要因の一つとして「塩」との関連はどうであろうか。
東北地方の人々が最近は以前とくらべて比較的少量になったとはいえ国際的にみれば極めて多量の1日10グラム以上の食塩を小さい時から摂取して育った人々であることは間違いないが、この地方に生まれ育った人々の中にも血圧が永年にわたって比較的低い水準で推移している人がいることであり、一方、加齢とともに血圧が上昇する人がいることであった。また血圧水準が若いときから高い者が確率的に脳血管疾患で死亡することも観察されたのであった。
ここにすでにできあがった高血圧患者を研究対象として食塩摂取との関連を検討する臨床的研究とは異なって、疫学的研究によって人々が何故高血圧になるかの理解を深めるものと考えた3)。
人々の中で、血圧がなぜ個人個人違うのであろうか。
「人類遺伝学と疫学とは多くの共通点をもっている。遺伝子は病気の頻度と分布の重要な規定因子であり、疫学所見を説明する仮説の設定にはこれについての考慮が必要と思われる。」4)
遺伝の本質が明きらかになったのはメンデル(G.J.Mendel, 1822-84)以後といわれ、豌豆の交配によって種々の特徴「形質」が現れることの法則性について述べたことが、現代の遺伝学につながるのであるが、血圧はその形質にあたるのであろうか。
疫学的研究を展開しているとき、「高血圧と遺伝」という課題を与えられて、東北地方のような高食塩食の中に生まれ育った人々の中に小さい時から高血圧になり、脳血管疾患で死亡する人々が多い一方血圧が一生最高血圧100mmHg程度で長生きする人がいるのは、「高血圧と遺伝」との関連で考えるとその要因は未定であるが、いわゆる遺伝的な因子に規定されているべきであろうかと述べたことがあった5)。
1950年代になって、実験的高血圧の研究の中でウサギとかラッテの血圧の高いものを選択的に交配させることによって、血圧の高い系を作り出すという方法論が発表になるようになった。
ド−ル(L.K.Dahl)は約25年以上にわたって45000匹以上のラットについて飲料水中に食塩を付加するという動物実験をおこない、単に食塩を与えるだけで、数千のラットが高血圧になり、中には数カ月で高血圧になって死亡する例のあることを認め、このような食塩にたいする反応の差は、遺伝学的基礎(genetic substrate)に差があると推定し、そこで選択的同系繁殖(selective inbreeding)の技法を用いて検討を始めたが、5-7代で差を認め、30代でその差が明確になったので、高食塩に敏感に反応し高血圧になる系(sensitive:S)となかなか高血圧にはならない抵抗のある系(resistant:R)のあることを報告した6)。
わが国では岡本耕三、青木久三によって高血圧自然発症ラット(SHR,1963)が作成され7)、その後脳卒中易発症SHR(SHRSP,1974)、動脈硬化モデル(ALR,1976)、血栓症モデル(STR,1978)など種々の病態モデルが確立された8)。
SHRを作成した一人の青木久三に「血圧の高い方だけ交配して、低い方を交配しなかったのは何故か」と質問したことがあったがそれは「単に予算の問題であった」とのことであった。
このように高血圧自然発症ラットのような実験動物ができたことにより研究はすすみ、その予防の方法まで考察8)できるようになったが、人間の場合はどうであろうか。
1978年川崎晃一らは、知られている原因のない特発性高血圧(idiopathic hypertension)について厳密な臨床的研究をおこない、高食塩食の場合の血圧の反応によって食塩に敏感な(salt-sensitive)な患者と、食塩に敏感でない(nonsalt-sensitive)な患者に分けられると述べた9)。
すなわち少なくとも4週間は抗高血圧剤は与えておらず、9+100mEqのNaを含む平均的な食事のあと、9mEqの低Na食で1週間、240mEqの高Na食で1週間の最後の日の検査成績で比較検討するという方法で、血圧は最低血圧に脈圧の1/3を加えた平均血圧が10%以上、10%未満であったかによって食塩に敏感な患者とそうでない患者に分けたのであった。
この報告以後食塩に敏感な人とか敏感でない人とか、人によって違うのであると一般にいわれるようになったと思われる。
その差の本質的なところは何であろうか。
「本態性高血圧の病因は、現在でも明白な結論を見いだれていない。しかし、内外多数の研究により、遺伝が高血圧の発症に重要な役割をもち、これに精神的ストレス、過労、食事、といった環境因子が関与して発症すると考えられている。」と述べられている10)。
食塩との関連としては、高血圧の家族歴のあるものに高血圧は多かったが、食塩消費については高血圧患者と正常血圧者とは差がなかった。しかし出来上がった高血圧の重症度にはなにか関連がありそうだとする報告も出た11)。
また食塩に敏感な高血圧患者の割合が多いというように、食塩と各種人口集団の高血圧の割合が違う説明にはなるかもしれないという論説12)や、食塩に敏感な患者を見わける方法ができたら、予防医学に重要な進歩があるだろうという論説13)も出た。
籏野脩一は高血圧の遺伝と環境の問題について、Platt-Pickeringの論争、動物における遺伝性高血圧、ヒトの血圧の遺伝要因について述べ、遺伝性の高血圧発現機序として、1)交感神経系の反応性、2)細胞膜のNa,K透過性についてふれ、「ヒトの高血圧の発生に遺伝が深く関わりあいをもっていることはまちがいない。その遺伝形式が単一の遺伝子に基づくものでなく、多数遺伝子が関係していることも疑いない。従って遺伝の発現機構も多様の生理的生化学的機構を通じて現れるものとみられる。」と述べている14)。
このような見方から疫学的研究で得られた成果をみるとまさに食塩と健康、とくに高血圧発現について、とくに日本の東北地方での成果は「人間社会における自然の実験の結果」を観察したのであると考えられるのではないだろうか。
われわれの疫学的研究による成績によると、一地域内の夫婦・親子の血圧について、数回測定して個人評価をおこなった上検討したところ、親子・兄弟姉妹の血圧水準間には有意な相関があることが認められるのに、一方結婚後同じ家に長年住み、同じような生活を営み、食塩摂取量にも相関があると考えらえる夫と妻の血圧の間には相関関係がほとんど認められていない。また小学校や中学生の時代からすでに血圧水準がいつも高め、低めの者がいることを認め、それでいて尿へのNa,K排泄量間には有意差が認められないという所見も得ている。このように同じ環境の中にいる者の中に、血圧水準を規定するいわゆる遺伝体質的な要因があることを示唆するものと考えた5,15)。
最近人間の食塩に敏感な本態性高血圧について、関連しているのはナトリウム・イオンのみであろうか、という同じナトリウム化合物を用いてその差を観察した報告があった16)。
遺伝因子についての研究は「まだ緒についたばかりであり、ほとんど未知の領域といえる。基礎・臨床の両面から真相が次第に明らかにされ、高血圧の成因・予防・診断治療に一層の力を加えることが期待される」14)時代であろう。
1988年医学誌上「高血圧症に対する食塩制限の有効性」「米国でも議論が高まる」「少なくとも半数の患者が食塩感受性」「食塩感受性患者をどのように鑑別するか」「望まれる簡便な検査法」といった記事が出た17)。
1)佐々木直亮:今こそ発想の転換を 疫学による予防医学へ.衛生の旅 Part 4, pp.6-9, 1988.
2)佐々木直亮:東北地方住民の血圧の推移について.第3報 個人の血圧の推移.弘前医学,36(3), 402-416, 1984.
3)佐々木直亮:高血圧状態の個人特性と塩類摂取との関連.病態生理,4(1) , 67-69, 1985.
4)MacMahon & Pugh(金子義徳・額田粲・廣畑富雄訳):疫学−原理と方法−. p.223, 丸善,東京,1972.
5)佐々木直亮:高血圧と遺伝.綜合臨床,24(9), 2449-2458, 1975.
6)Dahl.L.K.:Salt intake and hypertension. (In Hypertension, Physio- pathology and Treatment. eds.Genest,J., Koiw,E. & Kuchel,O.), pp.548-599, McGraw・Hill B.C., New York, 1977.
7)Okamoto,K. and Aoki,K.:Development of a strain of spontaneously hypertensive rats. Jpn. Circul. J., 27, 282-293, 1963.
8)家森幸男:栄養による脳卒中の予防.栄養学雑誌,41(3), 129-137, 1983.
9)Kawasaki,T., Delea,C.S., Bartter,F.C. and Smith, H.:The effect of high-sodium and low-sodium intakes on blood pressure and other related variables in human subjects with idiopathic hypertension. Amer. J. Med., 64, 193-198, 1978.
10)森沢 康・荒川 勝:高血圧の遺伝素因.綜合臨床,36(1), 11-18, 1987.
11)Swaye,P.S., Gifford,R.W. and Berrettoni,J.N.:Dietary salt and essential hypertension. Amer.J.Cardiol., 29, 33-38, 1972.
12)Hypertension-Salt Poisoning? Lancet, i, 1136-1137, 1978.
13)New evidence linking salt and hypertension. Brit.Med. J., 282, 1993-1994, 1981.
14)籏野脩一:高血圧の遺伝と環境.Current Concepts in Hypertension. 3(1), 14-18, 1982.
15)佐々木直亮・菊地亮也:食塩と栄養,pp.79-81, 第一出版,東京,1980.
16)Kurtz,T.W., Al-Bander,H.A. and Morris,Jr.,R.C.:"Salt-sensitive" essential hypertension in men. Is the sodium ion alone immportant? New England J. Med., 317(17), 1043-1048, 1987.
17)Medical Tribune:p.31, 1988.10.13.