中国の古い医学書「黄帝内経」に海の水は鹹味(からみ)があること,飲食物には五つの味すなわち酸・苦・甘・辛・鹹があってそれぞれの好む臓器があって消化吸収されるとそれに入ること,鹹味のものは腎臓に入ること,この五味を偏食すると病がおこると書いてあることは前に述べた。
インド医学の古典「ア−ユルヴェ−ダ」による味の種類について述べているところには六種類あると書かれている1)。すなわち空・風・火・水・地の五大にはそれぞれ声・触・色・味・香があり,味は水性的のものなるが,他の四元素の結合により成熟して甘・酸・鹹・辛・苦・渋の六種に分かれ,さらにこれらの味は互いに相結合することによって六十三種に区別されると述べられている。
古代ギリシャから味についての記録があるがアリストテレスの七つの味の記録が最初といわれている2)。すなわちsweet・bitter・sour・salty・astringent(収れん味)・pungent(辛い)・harsh(粗っぽいざらざらした感じ)の七つの味であるという。
そして現代に続く味覚に関する研究が行われるのであるが,その間の研究の関心事は基本的味覚要素,味刺激受容体の同定ならびに神経伝達などであり,20世紀に入って味覚心理学が関与し,さらに電気生理学的手法の考案があった2)。
佐藤昌康らは味覚の生理学として,1)味覚受容の分子機構と味覚受容たんぱく,2)味覚の異常と生体内部環境変化との関連,3)味の質の情報が末梢神経線維をどのように伝えられるか,4)味覚中枢における情報の処理機構について述べている3)。
一般的には味覚は甘・酸・苦・塩のいわゆる四原味として捉えられているが,これに1908年に池田菊苗は日本古来の”だし材”であるコンブからグルタミン酸ナトリウムを抽出し,四原味では表現できない味「うま味」を見出したと云われている2)。
人の舌の味覚感受性には部位的差異があり,先端が甘味,塩味に,側縁部は塩味,酸味に,舌根部は苦味に敏感である。
哺乳動物においては舌の前2/3部の味覚情報は舌神経−鼓索−顔面神経を経由して,後1/3部のそれは舌咽神経を経て中枢へ伝えられる。
舌に化学刺激が与えられると,鼓索,舌咽神経から持続性のインパルス放電を記録することができる。
このような情報が大脳皮質味覚領に伝えられ,ここで総合と識別操作が行われると考えられる。
また種々の疾病時に示される味覚異常が研究されている。
実験動物を用いて副腎摘出を受けたラットの嗜好選択行動試験で,食塩に対する味覚閾値は低下していることが知られている。
デントン(D.A.Denton)やブレイヤ(J.R.Blair-West)らは高等哺乳類の場合の食塩調節の機構について食塩欲・アルドステロン分泌調節について論じ,高血圧との関連について述べた4,5)。
マテス(R.D.Mattes)は食塩についての敏感性,感受性,選択,食塩欲と,高血圧に関する治療・診断・予測・機構との関連についての文献を批評しているが,塩についての味覚の変化が血圧の上昇や食塩摂取を結果することはなく,味覚機能と食塩消費との関連を示した研究はなく,さらに集団内では食塩摂取と血圧との有意の関連をしめしてはいないと述べている6)。
このように味覚の研究では閾値,味盲,伝達,異常味覚などについて数多く報告されているが,しかし人が一般的にいう「塩味の好み」についての研究はほとんどなされていないと思われる7)。
好みを客観的に表現することは極めて困難である。
しかし現実にはわれわれは「今日のみそ汁は塩辛かった」という表現をしてる。
このことは何か自分の好んでいる味覚を基準にしてそれと比較判断しているように思われる。
そこでこの基準となっている味覚を数量化することによって塩味の好みを客観的に表現できるのでないかと考えた8)。
一つの方法として食塩として0.2%間隔で適当な範囲に溶かし,30±5。Cにした調査液を濃度の順に1列に並べ,盃で味見させ,最も適当な塩味をしている液を求める方法を考案した。
この方法を用いて塩味の好みについての疫学的研究を行って報告した。
ある人口集団の塩味の好みは食塩の濃度としてほぼ正規に分布するが,対象によってことなり,地方差があり,時代差が認められるが,精神労働,肉体労働とは直接的な関係はなさそうであった8)。
日本国内で塩味の好みに地方差が認められ,東北地方は塩辛いものを好むように思われた9)。また同じ東北地方内でも20年経過したあと,女子短大生の塩味の好みが1.37%から1.10%に推移したことを認めた10)。
塩味の好みについて今後残された問題はあるものの塩味の好みについての応用面を考えるときは習慣として取り扱って実際上さしつかいないのではなかろうかと考えた8)。
妻鹿友一は食塩は生命保持に不可欠の物質であり,これを摂取する際に人間は味覚をたよりにしていると,味覚が如何なる役割をしているか定量的検討を行った。日本人の場合米・果物など無塩で食する食品もあることから,食塩不足をみこして味覚は「うまい」食塩量を保つようになったと考えた。味覚は単なる化学的物理的被刺戟系でなく,cognitive(認識力)に調節されている被刺戟系であると認めなければならないと述べている11)。この論文は前に述べたブンゲの説によっていることが伺われる。
かつて日本人の食塩所要量を決定したとき「一般に好ましい塩味は1.0-1.2%とされている」とし,これを基準に摂取食物の重量を乗じて日本人の食塩の摂取量を考え,また「要求量のほか、味覚や嗜好による摂取量、すなわち習慣的摂取量を考慮しなければならない」としたことに疑義を述べたことがあった7)。
この塩味の好みはどのようにして形成されるのであろうか。
われわれは現在みそ汁はこの位の塩味が適当だとか,佃煮はこの位の塩辛さがよいとか,食品の塩味がだいたいどの位であるかを知っている。しかし一度も見たことも食べたこともない食品を最初に味見するときは塩味がどの位がよいかは迷わざるをえない。この迷いはその食品に対して比較の基準となる塩味の好みがないために起こるものと思われる。ところがその食品を数回味見をしたり,知識として食塩の濃度などが明らかになってくると,次第に味覚の判定ができるようになってくる。このようなことから基準としての塩味の概念,すなわち塩味の好みは学習により形成された習慣の現れと理解するのが適当であると考えた。
生まれてから味つけに用いるパプア・ニュ−ギニアの現地の「しお」の化学的成分がカリウム塩である人達に「食塩」を与えてても「しお」でないという経験談があることについては前に述べた。
狼に育てられた子供が人間と生活をするようになって今まで食べなっかた塩も好きになったという観察もされている12)。
さらに同じ食塩の調査液を味見させても,調査液だけとして塩味の好みを求めた場合と,何か具体的な食品,例えばみそ汁としてはどの位がよいかというように頭で考えさせた場合とは,選ぶ塩味の好みの濃度は客観的に移動することが認められる。このことはその判断が人間として極めて高次の判断によった結果であると思われる。
塩味の好みの高い人は食事でも塩辛いものを好み,ある食品の塩味がその人の好みにあってくるときは自然とその食品の摂取量も多くなり,それに伴って食塩の摂取量も多くなることが推測される。しかしだからといって塩味の好みは人間としての主観の問題であって食塩摂取量そのものには直接関連しているとは限らない。単に塩からい味が好きとか嫌いとか,塩味についての調査成績をもって血圧との関連を検討している研究報告は多いが,そのような調査方法で何を目的として何を知ろうとしているのであろうか。
「うまい」と人が思うということは独立して「うまい物質」があるということでははないのではないか。
あらゆる物質がそれ特有の味覚情報を人に与えるのではないだろうか。
それを人々の経験によってどのように判断しているかにかかっている問題ではないだろうか。
種々の化学物質によって起こる味の性質の識別は主として多くの神経線維またはニュ−ロンにおける活動パタ−ンにもとずいておこなわれることが知られている。
味覚の電気生理学的研究によって味覚の受容器は味蕾であり,味刺激に対する鼓索神経の応答の空間的あるいは時間的パタ−ンがお互いに類似しているときは似た性質を起こし,相異なったパタ−ンを示す栄養素としては違うのに極めて似通った反応を示すことが知られている。
そして大脳皮質においては味質の単なる識別というよりも少し高等な機能,たとえば味の認知,あるいはそれに関した学習というようなことが行われていると考えられると述べられている13,14)。
例えば食塩と酢は栄養素としては全く異なるのに似たものと判断されるようである。りんごと高血圧との疫学的研究の途中で浮かんだ「酢」の問題について,低塩のための実際的な食生活改善の指導の際食塩の代わりに食酢を用いることに合理性があると考えたが,それ以上の追求はしなかったと述べた15)。「あんばいがよい」のもとになった「塩梅」について語られることが多いがこんなところにその起源があるのかもしれない。
アジアの味覚文化について食塩なしには生まれない,アジアでは食塩のないところ味覚文化はないという意見もあるが16),世界各地における「うま味の誕生」としての発酵食品物語の中で17),塩は大抵の場合一緒にあるが,塩のない「うまみ」もあることが知られている。
人間の食生活の中で食品に調味料を付けはじめたとき,塩が最も早い時期にあったとは想像できる。
しかし塩が調味料というよりより本質的に人間にとって必須なものであったとする見解を述べているものも文献上みられるが,食生活への塩の使用は人類の歴史からみれば比較的新しいことではないだろうか。
またこの地球上に塩のない文化の中で何千年も生存し続けてきた人がいることも前に述べた。
したがって人間が調味料としての塩を利用しはじめ,それが習慣になったと考えるのが妥当ではないだろうか。
体内で水分が欠乏したとき「渇」の感覚があって飲水行動がおこって調節されると前に述べた。
副腎皮質機能不全で治療を受けていないアデイソン病患者の食塩に対する味覚閾値が正常人のそれより約100分の1に低下があり,15-20%の患者は非常に強く食塩を欲しがることが報告されている。
一般に塩味の好みが高く塩に対する食欲があるときとか,また労働をして汗をかいたとき,水ではなく塩はどうなのであろうか。
文明化された社会において塩の欲求(salt appetite)は塩の要求(salt requirement)とは等しいものでないと述べたのはド−ル(L.K.Dahl)であったが,塩に対する食欲はそのまま本来人間が必要とするものと考えるべきかという問題がある。
塩への食欲は人の欲求(demannd)であるのか,本来必要という必要(need)であるのか。
心理学領域では必要というときニ−ド(need)とい言葉を用いている。
動物と違って人間の高度の精神作用を考え,広い意味の生命・生活を考えたうえ,その為に塩の食欲があったとき塩が本来必要なものと考えるべきであろうか。
塩味の好みが人間社会に興った習慣によるものだとしたら,もしその習慣が健康にとって悪いものと考えられるときにはまたその習慣の見直しがあっても良いものと考えるのであるが。
1)スシユルタ本集(大地原誠玄訳):p.292, ア−ユルヴェ−ダ研究会,大阪 大学医学部衛生学教室,1971.
2)小俣 靖:”美味しさ”と味覚の科学. 日本工業新聞社,東京,1986.
3)Denton,D.A.:Evolutionary aspects of emergence of aldosterone secretion and salt appetite. Physiol. Rev., 45, 245-295, 1965.
4)Blair-West,J.R., Coghlan,J.P., Denton,D.A., Funder,J.W., Nelson, J., Scoggins,B.A. and Wright,R.D.:Sodium homeostasis, salt appetite, and hypertension. Circulation Research, 26.27, Supplement II, 251-265, 1970.
5)佐藤昌康:味覚の生理学−序.医学のあゆみ,80(1), 25-26, 1972.
6)Mattes,R.D.:Salt taste and hypertension:A critical review of the literature. J. Chron. Dis., 37(3), 195-208, 1984.
7)佐々木直亮,菊地亮也:食塩と栄養.p.21, 第一出版,東京,1980.
8)福士 裹:食塩摂取についての基礎的研究 特に塩味の好みについての研 究,第1編−第6編. 弘前医学,11(1), 141-166, 1960.
9)福士 裹,井手上慶子:食塩摂取についての基礎的研究 特に塩味の好みについての研究,第7編. 弘前医学,14(3), 502-508, 1963.
10)佐々木直亮:食塩と高血圧.健康管理,310, 2-15, 1980.
11)妻鹿友一:食塩摂取に於ける味覚の意義の検討.阪大医誌,3(1), 23- 35, 1951.
12)ア−ノルド・ゲゼル(生月雅子訳):狼に育てられた子.家政教育社, 東京,1967.
13)佐藤昌康編:味覚・臭覚の科学.朝倉書店,東京,1972.
14)佐藤昌康:味覚識別と中枢ニュ−ロン.日本医師会誌,84(1), 8-15, 1980.
15)佐々木直亮:りんごと健康.p.92, 第一出版,東京,1990.
16)近藤 弘:日本人の食物誌.p.262, 毎日新聞社,東京,1973.
17)柳田友道:うま味の誕生−発酵食品物語.岩波新書161, 東京,1991.