だだ何となく用いていた「価値観」という言葉について、最近聞いたニュ−スから3つの話題について書いておこうと思う。
辞書には「価値観」とは「人が自分を含めた世界や、万物に対してもつ評価の根本的態度、見方」とあった。
その1は数週前の日曜の朝のTVであった。
前首相の宮沢さんの発言の中で中国か北朝鮮に関する問題の時に聞いた「価値観」であった。
共産党の下にある国としてのことであったか、独裁国としての個人としてのことであったか判然としなかった記憶であるが、「価値観が違う・・・のことですから・・・」の宮沢さんの発言に印象づけられた。
ちょっと年上の宮沢さんについて、色々と・・・聞きたいこともあるが、ここではふれない。
その2は、イギリスでサミットが開催され、ロンドンで同時多発テロが起こったとき、G8の首脳達を背後にブレア首相が喋ったスピ−チの中で出た「価値観」であった。
その時の英語は聞き取れなかったが、テロップの上に流れた日本語の字幕にあった言葉であった。
「テロを起こした人とはわれわれの価値観は違い、決して負けない・共闘するのだ・・」といったスピ−チであった記憶である。
その3は今朝(7.11)の枕もとのラジオで聞いた話である。
もとNHKの特派員であった小林さんの聞き慣れた声であった。
「今娘さんがロンドンにいて4時間も連絡がとれなくて心配しました」という話もあり、 「個人的なことではあるが・・・」と前置きではあったが、「テロがなぜ起こるか」に関する”時の話題”に関することであった。
それは「イスラムにおける価値観」に関するエピソ−ドであった。
それは「”男”が”はじかしめ”を受けたら、その”怨念”は7代経っても忘れてはならない・・・」とかいう”教え””言い伝え”があるということであったという。
その実例が身近におこった経験談であった。
ヨ−ロッパでおこった戦争の実像を”世界に先駆けて”送信できた”特派員としての勲章”を小林さんが手にしたとき、ライバルの方の送信がうまくいかなかったのは、その方の下で働いていた人が”配線に手をかけて”長年もちつづけていた”怨み”をはらしたからだということを、後で聞かされた・・と言う話であった。
何世代もつづく話が理解された気がした。今も毎日イラクでつづく「自爆テロ」と今度の事件はちょっと違う印象をもつのであるが。
前に「向こう百年間、殺し合いを無くしたらどうか!」と夢のような話を書き、「相手を許すことが出来るか!」が問題だと書いたことがあったが、「極限の、ぎりぎりの」体験の無い自分のうわごとであったのであろうか。(20050712)