「自由・自由・自由」とアメリカ大統領が就任演説で45回も喋ったことが話題になっている。ライス国務長官がヨ−ロッパ各地を回り、その趣旨を喋っていると報道されている。
今日2月11日のニュ−スに「「他国へ侵略するような・・・原爆を広島や長崎に投下したような・・アメリカ的自由には・・・」とアメリカ批判ととれるような放映があった。
ブッシュ大統領が言った「自由」とは「freedom」あるいは「liberty」と聞き取れたのだが、その意味するところは「何で」あるのであろうか。
フランス語を習っていた兄が国歌だったか「リベルテイ・リベルテイ」と歌っていたことが記憶にある。
イスラエルとパレスチナとが和平の一歩を踏み出したと伝えられる今、前に書いた「他殺・自殺の記憶」につづく内容であるが、私の考え方を書き残して置きたいと思った。
「free」とは、「フリ−」として一つの日本語として用いているようだが、辞書によると「名詞について形容詞・副詞をつくると」ある。
「freedom」とは「1自由な状態、政治的独立、国家の独立、自主」2「(行動などの)自由」3「(都市・団体などの)特権、市民の自由」4「(義務・規制などからの)脱却、解放、解除、免除、(・・・が)ないこと」5「(動作・行動の)安易さ、気軽さ、(態度・話しぶりの)率直さ、大胆さ、無礼、無遠慮、なれなれしさ、気まま」6「(・・の)出入り(使用・利用)の自由」7「(カント哲)自由、自律、自己決定」とあり、 「liberty」とは「1(圧制・暴力的支配からの)自由、(外国の支配からの)自由、」独立」「2(業務・拘束・幽閉からの)自由、解放、放免、(行動・言論・思想ばどの)自由、権利・自由気ままな(無遠慮ま)行為・(運命などからの人間の行動や意思・選択の)自由」・・・などとあった。
これらをみると、われわれもいろいろな意味に「自由」という言葉を使っていたと思い当たるが、今日の話題の「自由」とは、「liberty」の第一義の自由の意味であるようである。
ブッシュ大統領が読んで、また他人にも推薦している「本」があると報道されていた。著者はロシア人で、インタ−ビュ−を聞いていたら、ソ連のスタ−リン圧制時代に反体制として捉えられ、アメリカとの雪解けの時に解放され自由になった、その「自由」(freedom)を書いたのだといっていた。
そしてアメリカは世界のそんな圧制下の人々に「自由」を・・・と言っているように受け取った。また「stand with you・・・」とか言っていたと聞いた。
イランへの先制攻撃をどのように理解したらよいかが問われている。
前に「大義はおどる」と書いたのだが、小泉首相の発言に「イラン人のために、イラン人による」とかどこかで聞いたセリフをいっていたが、アメリカの「先制攻撃を容認した」とは言っていないと思われる。アメリカのそれは「先制攻撃であった」のであろう。その決断にいたる過程の情報の是非が問われてはいるが、すでにサイはなげられたあとの結果として「圧制からの解放してよかった」「そして民主的選挙・・・」と経過しているかに見える。
しかし武装勢力の反撃、また「自爆テロ」はあとをたたない。
攻撃によって多くの人々が死亡したことは事実であろう。その一人一人に肉親がおり、その死を悲しんだことも事実であろう。割合は攻撃を受けた方が多いのは歴然だ。どちらもの関係の人々がどのような思いをもっているのであろうか。個人的にそのような体験がないのでわからないが。
前に「意見の違う相手を殺さなければならないのか?」と書いたのだが、圧制下にある人々もそれなりに生きているのである。自分の死を賭してでも圧制に立ち向かう人は偉いとは思うものの、自分ではできないと思う。生きていればこそ・・いずれ・・自分の考えている世がくると信じたい。
「圧制を行ふは人間最上の愉快と云ふて可なり」「人間の天性」と書き「我が輩の志願は此圧制を圧制して」と福沢先生は(明治15年に)書いている。
福沢先生が「痩我慢の説」を相手に書いたものの、新聞というものに記事にして公表したのは、数十年たったあと、いつ死んでもいい年になってからであったと読んだ記憶がある。いつ殺されるかもしれない世の中であったからであろう。
今の日本はそんな状態ではないと思うが、この地球上の人々はどうであろうか。
世界心臓学会に呼ばれてとき、この地球上の人々がどんな血圧の状態であるかを知らなければならないと述べたことが記憶にある。
明治維新後世界を初めてみての記録に、これからは「平和の戦争がある」と書かれたのを読んだ記憶がある。
「戦争」の定義も色々であるのだろう。「とおからん者はおとにも聞け」とかいっていた時代から、「国」による開戦布告から始まる戦争もある。日米開戦の時の話が色々語られている。「9.11」以後は「new war」である。イランという「国」がなくなったあとは、新しい国づくりといわれている。わが国の憲法の第九条は国の意思としての戦争の放棄であると読みとれる。
ある有名な方が若いとき、同じ仕事をしていた同僚が国際賞を自分より先にもらった時、相手を殺したいと思ったことがあった、と書いていたのを読んだ記憶がある。人間とはそんなことを考えるものだと思ったことがあった。ライバルは水争いから始まったが語源であると読んだ記憶があるが、生きるか死ぬかの場合には人はどうするのであろうか。
「今後100年間人を殺すことはやめられないものか」と思う
100年も経てば個人の体験はなくなる。ル−ブル美術館の放映をやっているが、ル−ブルが昔「砦(とりで)」であったことは今の人は誰も知らないだろう。 ほんの60年も前に、大量の虐殺が実際あったのであるがもう忘れてしまている人が大部分であろう。
今もエイズなどの病気以外にも内戦の虐殺があるという。ダボス会議にその方に目が向けられてきたというニュ−スが流れた。WHOの立場は世界の人々に、「国」にとらわれない仕事であると思われる。WHOの仕事をやってみたかった思いがある。
人はいつ大人になるのかと書いたことがあったが、生まれ育った、小さいときの環境・体験・経験・教育等々が、大人になったあとのそれぞれの考え方・行動に関係していることが多いという印象・想像をもつのであるが。100年も殺し合いがなければ、平和の中に育てば、殺し合うことは其の気にはならないのではないだろうか。
イスラエルとパレスチナの戦争で子供を失った親同士が握手をしあっている映像が放映されている。相手を許すことができるかできないかという問題であると思う。
自分には体験がないので、そんなことを言えたぎりではないが、そう思うのである。
北朝鮮との関係は今後どうなるのであろうか。
まとまりはないがこれが今日の頭の中にある。(20050211)