春近く(オタク老人のひとりごと16)

 

 鏡みて 今日の体調 診断し

 朝 顔を洗うとき鏡をみながら 今日の体調を 診断しているのである。

 医学の道を歩んだ身であるので、いわゆる素人とは違う習慣であろう。

 この点は大先輩の杉田玄白が「耄耋独語(おいらくのひとりごと)」を書いた歳になった証拠だが、よくこの歳まで生きてきたものと思うのが実感である。

 鏡に写る顔をみながら、自分の顔が弘前に滞在していた頃の父の顔と似てきたなと感じる今日この頃である。

 庭先には雪はまだあるが、道路はきれいになり、青森で積雪0と報道があった。

 トリノのオリンピックまたパラオリンピックもすみ、大相撲・選抜野球もすみ、さくら前線が東北へ近づいてきた。プロ野球、アメリカでは大リ−グがはじまった。

 六三せい 野球ばかりが 強くなり である。

 戦後60年、色々な戦中・戦後の情報が明らかになってきている。昔は知らなかった事ばかりである。

 日本のことだけでなく、世界の色々の事件が取り上げられている。歴史的認識はなかなかむずかしいと思う。

 自分が自然科学的に問題を追究していったときには、私の場合には「血圧」であったが、1905年ペテルスブルグで報告したという「コロトコフ」の原文にたどりつくまでに随分時間がかかったことを思いだす。100年前の論文である。

 第一次の情報が大切であると思う。 

 自然科学の場合には、ギリシャ以来記録があるので、積み重ねられ、その探求は恵まれていると思うけれど、必ずしもそうとはいかない場合があるのではないか、それが今の現実であろうと思われる。

 世にいわれているものの大部分は、二次のまたはまごびきの、または人が考えた「仕掛け」の情報のようである。それによって世の中が動いている、動かされてきた、気がしてならない。

 国どうし間の戦争とか、経済の戦争をも含めてと考えると、そんな感じがする。

 世界の人々、この地球上の人々の、共通の財産が、何であるかを考えるという「認識」をもつようになるのは何時の日かと思うのが今日のひとりごとである。(20060409)

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