「IT」のことのつづきであるが、昭和58年(1983年)講談社から「医科学大辞典」という全50冊という大事典が刊行されたが、その時「分担執筆」したことを思い出した。
定価は各冊33.600円で、全部揃えて1,680,000円とある。バブルのはじける前とはいえよくそんな企画があったものだと今なら思うのだが、大学の医学部図書館でも一揃え買って飾られているが、どれだけの人が読んだものかと今思う。「IT」技術が進んだ今なら、デスク1枚か何枚かに全部入ってしまうのだから。
「編纂にあたって」を書かれた武見太郎先生の言葉に、その時代背景が読みとれる。
「現代医学がその領域を大きくしている姿は、まさに目を見張るものがある。・・・そして、そのような巨大科学への発展が、医学以外の社会的な因子や経済的な因子、あるいは政治的な因子によってなされたことを考えなくてはならない」と。
大きな流れを先生は感じておられたと思うが、現在の「IT」革新の姿は考えておられなかたのではないか。
私が弘大医学部の図書館長の役は昭和54年(1979年)であり、昭和60年(1985年)に国際図書館会議に出たときの話題はこれから電子化に備えてどうするかということであったからそう考えるのである。
編集主幹武見太郎、編集参与11名、編集企画6名、編集委員75名、編集幹事3名、執筆者4,600名、編集協力全国実地医家13,000名とあったが、その中の執筆者の一人として依頼されたのだが、私の与えられた題は「脳血管疾患管理」で「循環器」の項であった。
当時の大者の方々のお名前が見られるが、すでに大半の先生方はすでにこの世にはおられない。
編集項目の「循環器」の欄には、村尾覚・三枝正裕先生であり、「脳血管疾患管理」の言葉がどなたが選び、私を指定されたかは、つまびらかでない。
わが国に<管理>という言葉が医学方面では一般的でなかった時代であり、よくこのような題を与えられたものだと今思う。
「衛生・公衆衛生」「環境科学・産業医学」「健康管理」の項はあるが、「疫学」「社会医学」の項は見られない。
私の原稿に加筆訂正は、血圧の表現が「最小・最大」となっている以外記憶はない。
まだ日本に一般的ではなかった<脳血管疾患管理>について、これから期待されることの大事と思われることを、それまで自分で行ってきた<研究の成果から考えられること>を書いた記憶が甦ってくる。
私の書いた原稿を今読み直してみて、その後の日本における変化は私が期待したように変わってきたと思われるのは、学者として救われる思いがある。まだ「コホ−ト分析的思考」は一般的になっていないのは、「疫学者」として心残りであるが。
当時何を書いたのか、その部分だけリンクできるようにした。(20060919)