図書記録

「図書の記録」として、私が書き、私書版また市販された図書としての刊行物、また分担執筆図書の刊行物として発売されたもの、非売品のもの、調査報告書として印刷刊行されたもの、発表のあった学会の記録としての印刷物を記録した。但し「雑誌」といわれる継続発刊されたものは除いての記録である。主として発刊年次順にした。

衛生学教室初代の高橋英次教授は「弘前大学医学部衛生学教室業績集」(第1巻)(自昭和25年至昭和29年)としてまとめられ全国の関係方面へ配布した。佐々木直亮は第2巻から第12巻まで、、菅原和夫に引き継がれた。

 

昭和34年全国電気通信労働組合青森県支部(諏訪源三郎氏)からの委託研究による「薪炭手当合理化についての基礎的研究--青森県における冬期採暖についての理論と実際」の研究を行ったがその時の報告書である。巻頭言は衛生の旅に載せた。

昭和35年石油資源開発会社所属の白竜号内勤務の掘さく員が陸上勤務者に較べて疲労度の訴えが多く疾病が多発しているといわれていることから弘前大学医学部長あて1)白竜号内環境の衛生学的状況、2)掘さく作業者の疲労度、3)現行の交代制に対する医学的批判について、調査依頼があった。公衆衛生学中村正教授を班長に第一生理佐藤煕教授他、衛生学佐々木直亮教授他、また第二生理、精神医学、耳鼻科学教室らの共同調査を行った。その報告書(1960)と同続報(1961)である。

昭和38年に弘前大学医学部内に衛生学教室と公衆衛生学教室合同の保健福祉研究会が発足したが、青森県衛生部(跡部部長)からの依頼によって「五所川原市における健康水準基礎調査」が昭和38年行われた時の中間報告書(プリント、1964.1)である。

   

昭和38年4月大阪において「第16回日本医学会総会」が行われたが、4月2日主題「高血圧症」のシンポジウム(司会中沢房吉)の中で「高血圧症の集団評価と個人評価」の発表の機会が与えられ、私の「血圧論」を述べた。会誌(p284)、講演要旨(p124),講演集(第IV,pp410-412),Abstract(p510-511)が刊行された。

  

青森市立千苅小学校(山道忠二校長)で「冬期における教室の適正温度と暖房に用いる薪の消費量について」の研究を行ったとき指導・援助を行った。その報告書ができた。「付:冬期における児童の衣服重量」と第2輯「特にスト−ブ改造による効果と輻射熱についた」が報告された。「序」文(昭36)を書いた。

宮入菌研究所から出しているパンフに執筆依頼を受け「高血圧の予防とりんご」(pp8-17, 1962)を書いた。「リンゴ酢と健康」の標題のパンフになっていた。

   

1963年日本ワックスマン財団へ申請した研究補助「20 Epidemiological studies on hypertension, especially on the influential factors upon the relation between the salt intake and hypertension」(pp24-25)、「21 Epidemiological studies on hypertension, especially on the correlation between daily intake of sodium and potassium and hypertension」(pp26-27)がReport No.2に掲載された。

昭和40年1月26日科学技術庁資源調査会から「科学技術庁資源調査会勧告第15号」として「食生活の体系的改善に資する食料流通体系の近代化に勧告」が出された。資源調査会専門委員として参加した。その勧告書と昭和40年社団法人資源協会発行の「食生活の改善と食料流通の近代化」である。いわゆる「コ−ルド・チェ−ン」の勧告である。

昭和44年度日本医師会医学講座が行われたが、金原出版から昭和45年出版刊行された。「循環器疾患からみた地域保健」(pp42-50)が記録された。

  

青森県と日本看護協会保健婦会青森県支部主催の「ふりかえり前にすすむために」--保健婦制度制定25周年にちなんで--の青森県保健婦教育が行われた。丁度海外研修から帰ったあとだったので特別講演「アメリカ人の衣食住」(pp7-9, 昭41)を行った。昭和55年になって「ふりかえり前にすすむために−保健所保健婦の手記」が青森県保健婦歴史研究会から刊行されたが、「保健婦さんとのつながり」(pp7-9)を書いた。

青森県教育委員会が昭和48年度東日本学校給食研究集会を行ったときの報告書に、特別講演「健康のしくみ、とくに食習慣との関連について」が記録(pp17-22)された。

    

1970年ロンドンで開催された「第6回世界心臓学会」のRound table session(Causative Factors in Hypertension)の中で「THe Salt Factor in Hypertension」の発表の機会が与えられた。Abstracts(p24)が刊行された。

昭和45年12月10日に日循協の公開講演会が朝日講堂で行われたとき、「高血圧と食塩」という題で講演した。日循協講演集3(pp6-32)として刊行された。

   

     

昭和43年青森県衛生部(苫米地部長高松公衆衛生課長)で農山漁村健康調査を行うことになり協力した時の報告書である、第1集(柚木角正部長)「未熟児」(1970.8.1)、第2集「脳卒中」(1972.3.1)、第3集「未熟児」(1973.1.1.)、第4集(秋山有公衆衛生課長)「貧血調査・死産統計」(1972.12.1)、第5集(柚木角正環境保健部長)「循環器疾患」(1974.3.1.)、第6集(七野譲環境保健部長)「未熟児」(1976.12.1.)、第7集(秋山有公衆衛生課長)「癌死亡者の実態」(予備的調査)(1978.4.1.)、第8集(近藤健文環境保健部長)「癌死亡者の実態(II)」(1979.10.1.)である。

     

昭和45年に柳沢文徳先生が「農村保健活動のすいしん(医学生とともに)」を編集され出版された。「青森県における保健福祉活動」(pp30-33)を書いた。

昭和46年中外医学社が後藤文男・田崎義昭先生編集の「専門医にきく脳血管障害の臨床」を出版したとき、「I疫学」の中で「くも膜下出血の頻度は」(pp12-13)、「地域差はあるか」(pp23-24)、「職業による差異はあるか」(pp27-28)、「出血死が減少している理由は」(pp1-32)を分担執筆した。

昭和48年南江堂での「内科シリ−ズNo.11」として「高血圧のすべて」を発刊することになったとき、編集委員の上田英雄先生から執筆依頼があり、総論「高血圧の疫学−−日本の特性」を分担(pp19-30)した。第1版(昭48.6.10)、第2版(昭50.8.1.)

   

「昭和20年6月19日当時青森市にありました青森医学専門学校において近藤正二先生によってはじめて衛生学の講義が行われて」から25年たった昭和46年「衛生学開講25年誌1971」を刊行した。あとがきに「毎日毎日が歴史である」と書いた。 

弘前大学内各教室で「脳卒中」の研究がすすむうち、「弘前大学脳卒中懇話会」として、まとめて本を出そうということになり、入野田公穂教授を代表者として、医学書院から昭和49年弘前大学脳卒中懇話会編「脳卒中の臨床と研究」が出版された。その中で「第1章脳卒中の疫学」を分担執筆(pp1-29)した。

昭和50年日本メルク満有株式会社から大島研三先生監修の「高血圧」が刊行されたとき、「高血圧の疫学」を分担執筆(pp5-23)した。

昭和50年毎日ライフ(6巻7号)臨時増刊号として「健康法全書」が刊行されたとき、「日本人は食塩をとりすぎている−−高血圧のデ−タ集め20年から」を分担執筆(pp63-66)した。

     

昭和51年医学書院が黒岩義五郎・近藤喜代太郎先生編集の「神経疫学」を出版したとき、第9章脳血管障害の「高血圧の疫学−−脳卒中との関連において」を分担執筆(pp121-131)した。

昭和52年青森県地区衛生組織連合会資料として「県衛連のしおり」(1977.11)が刊行された。昭和52年県衛連主催「ながいきへの道」講演会の「高血圧の常識」(pp59-60)が掲載された。

日本チバガイギ−刊行の「カリウム異常診療の実際」に日本短波放送の「7 日本人の食事とカリウム摂取」(pp27-29)が掲載された。

昭和53年中外医学社が金子好宏・尾前照雄・藤井潤先生らの編集による「専門医にきく高血圧の臨床」を出版したとき、「I疫学」の中で「日本人の高血圧−−外国と比較してどんな特徴があるでしょうか?」(pp6-9)、「Na(食塩)−−減塩食により血圧は低下しますが、食塩と血圧との間にどんな関係があるのでしょうか?」(pp56-58)を分担執筆した。

    

1974年4月東京経団連講堂で「WHOmeeting on Hypertension and Stroke Control in the Community」が開催された。私はguestとして出席した。後日WHOからS.Hatano,I.Shigematsu, T.StrasserのeditedによるProceedingsが1976年出版された。私の発言と図が記録(pp106-107)された。

日本医師会企画全国米穀配給協会主催の「米食民族の国民栄養学講座」が日本短波放送されたあと、その内容が印刷された。「米食民族と高血圧」(佐々木直亮・小町喜男)(pp59-66, 昭54)が掲載された。

1976年10月日本心臓財団主催の「The First Asian-Pacific Symposium on Hypertension」が開催された。この時「Epidemiological studies on hypertension in the northeastern parts of Japan」(資料pp56-57)を報告した。1976年 ProceedingsがJapanese Heart Journal,41(10),1115-1178,1977に、私の発表は(pp1139-1142)に掲載された。

  

1978年東京ホテルニュ−オ−タニにおいて「第8回世界心臓学会」が開催された。「Objective recording of blood pressure for epidemiological studies」(佐々木直亮・蓮沼正明)を報告した。抄録はAbstract-I(p340-0997)に掲載された。

サテライトとして松江で「International symposium on prophylactic approach to hypertensive dideases」が家森幸男先生主催で開催された。「Salt factor in apoplexy and hypertension--epidemiological studies in Japan」を報告(Abstracts s5-10)した。

1983年WHO Collaborating Center(家森幸男センタ−長)主催の「栄養による循環器疾患の予防(Nutritional Prevention of Cardiovascular diseases)」が開催され、「Estimation of regional salt intake by filter paper methods(濾紙法による地域別食塩摂取量の研究)」を報告(pp42-43)した。

  

昭和48年青森県で「青森市における呼吸器症状有症率」の調査を行うことになり協力した。青森県環境保健部から調査報告書が出された。

昭和53年11月青森県企画部(千代島辰夫部長)主催の「青森県雪問題シンポジウム」が開催されたが、その発言録が54年1月に刊行された。その中で「積雪寒冷地帯における生活環境と健康水準」(pp139-145)が記録されている。

青森県が昭和54年度「地域開発計画基礎調査」として国土庁から委託調査を行ったとき協力した。「豪雪地帯におけるまちづくりのための総合調査−−雪国における気候・居住条件と保健医療についての研究」の結果報告の報告書(昭55.2.)である。研究代表者として佐々木直亮、臼谷三郎、尾山力、水野成徳(弘前大)で、衛生学教室として「青森県一農村における脳卒中の時代的推移、とくに季節変動について」(佐々木直亮・山田信男)(pp42-47)を報告した。

昭和55年度に青森県として「青森県患者調査」を行うことになり、青森県地域保健医療対策協議会(会長対馬秀雄)として協力した。その結果報告書である。

佐藤四郎先生を偲ぶ「盡して人巻まじ」の追悼記念誌に「佐藤四郎先生の思い出」(pp18-19, 昭50)を書いた。

「弘前大学医学部三十年史」(昭51)には佐藤光永先生の下で編集委員をやった。「衛生学講座」のほか主として学生生活の部を担当した。「弘前大学医学部五十年史」(平6)には「衛生学教室のこと」(pp637-639)を書いた。

日本心臓財団から「追悼集 美甘義夫」が出されたとき「美甘先生のこと」(pp195-196, 昭59)を書いた。

 

昭和54年4月垣内出版から「日本の中高年(I)」の「中高年健康管理学(籏野脩一編)」が刊行されたとき、「中高年者の疾患と予防」の中で「高血圧」について分担執筆(pp45-72)した。

昭和54年日本放送出版協会から「NHK健康百話II」が出版されたが、その中で昭和48年2月1日NHKラジオ放送した「高血圧風土記(佐々木直亮・篠崎カヨ)(pp218-233)が記録された。

 

1979年Raven Press:New Yorkから 「Perspectives in Cardiovascular Research,Volume4」「Prophylactic Approach to Hypertensive Diseases, edited by Yukio Yamori et al.」が刊行されたが、その中で「The Salt Factor in Apoplexy and Hypertension:Epidemiological Studies in Japan」を分担執筆pp457-474)した。

1980年Martinus Nijhoff Publishers.The Hague/Boston/Londonから「Epidemiology of Arterial Blood Pressure edited Hugo Kesteloot and Jozef Joossens」が刊行されたが、「21 Epidemiological studies on hypertension in Northeast Japan」(pp367-377)を分担執筆した。

   

   

昭和55年に私書版で「衛生の旅」を出版した。どちらから開けるのか?!を意識して、製本した。続いて出版したときからは、表紙に「衛生の旅Part2」とした。Part2(昭和60年)、Part3(昭和62年)、Part4(昭和63年)、Part5(平成3年)、Part6(平成8年)、Part7(平成11年)まで出版できた。以後電子出版にした。

昭和55年第一出版から「食塩と栄養」(佐々木直亮・菊地亮也)が出版された。昭和54年改正の「日本人の食塩所要量」が「一日の食塩摂取量として10g以下」を適正量とした時期であった。

昭和56年第一出版から食糧栄養調査会編「1981年版食料・栄養・健康」(最近の情報・資料とその解説)が出版された。その中で「日本人の食塩摂取量をめぐる問題」(pp129-135)を書いた。

昭和57年日本チバガイギ−社から「Potassium Conference」が刊行された。カリウム代謝懇話会(世話人代表杉野信博)の記録であるが、第3回での発表「カリウムと高血圧」(pp116-123)が記録された。

吉富製薬が「食塩と高血圧」(昭58年非売品)を出版した。その中で「食塩と高血圧--食塩文化論の立場から」(pp10-15)を書いた。

昭和53年南江堂が「総合衛生公衆衛生学」(藤原元典・渡辺厳一總編集)を出版したとき、その中の「第15章 成人保健と老人問題」の部を受け持ち、「I 総論」(p981)、「3 循環器系疾患」(A高血圧、B脳血管障害)(pp1006-1016)と「D食塩摂取との関連−特論」(pp1017-1020)を分担執筆した。

昭和60年に改訂第2版を出版(藤原元典・渡辺厳一・高桑栄松監修)することになり、上・下2巻になった。下巻「第18章成人保健・老人問題」のうち[I 総論」(p1396)、「3循環器系疾患」の「3/1高血圧」(pp1425-1434)、「3/11食塩−特論」(pp1434-1438)を分担執筆した。

昭和55年11月ハワイにおいて「日本人と高血圧」に関するシンポジウム(世話人代表金子好宏先生)が開催された。Nippon Merck-Banyuがスポンサ−であった。「Proceeding of Ist International Symposium on Hypertension and The Japanese」が出版された。その中で「Session3 日本人の食塩摂取量と高血圧」(pp69-73)が記録されている。

昭和57年10月にハワイにおいて第2回の「日本人と高血圧」シンポジウムが行われ、「Proceeding of 2nd International Symposium on Hypertension and The Japanese」が出版された。その中で「Session3 尿中食塩排泄量測定のための濾紙法と疫学研究におけるその応用」(pp89-92)が記録されている。

 

昭和56-58年度厚生省循環器病研究委託費による「循環器疾患対策の効率的体系化に関する研究」班(班長重松逸造)の「循環器検診とその指導」の報告書が昭和59年にまとめられた。

昭和58年医歯薬出版が「循環器管理ハンドブック」(福田安平編)を出版した。その中で「IV 発症の危険因子 3環境条件 1)食塩」(pp139-143)、「VII 検査手技 3血圧」(pp220-237)を書いた。

昭和58年朝倉書店が「循環器の臨床7」「高血圧」(榊原仟ら編集)を刊行したが、その中で「II 疫学」(pp59-74)を分担執筆した。

昭和58年講談社から「医科学大辞典」(全50巻)(編集主幹武見太郎)が刊行されたが、「脳血管疾患管理」(pp69-70)を書いた。

  

昭和57年に大鳥蘭三郎先生の「半生の思い出」が刊行されたとき、「大鳥先生のこと」(pp353-354)を書いた。

「東北公衆衛生学会30年のあゆみ」に「まばたき30年」(pp109-110, 昭58)を書いた。

三沢市の「財団法人仁和会小鹿病院創立40周年記念誌」に「あの頃の話」(p31, 昭61)を書いた。

弘前大学医学部付属助産婦学校「30周年記念誌」に「思い浮かぶこと」(pp23-24, 1987)を書いた。

1980年8月東京でXXIV International Geographical Congress(Organizer:Momiyama,S.M.)が開催され「Epidemiological Studies on Stroke and Hypertension)を述べた。「Epidemiological studies on stroke and hypertension」を報告した。Abstract of Papers(pp1-2)に記録された。

1981年8月EdinburghでInternational Epidemiological Association主催の「The 9th International Scientific Meeting」が開催された。「Salt intake and hypertension in the Japanese」を報告した。Abstractsが発刊され抄録が記録された。

1981年9月日本心臓財団主催の「The First Asian-Pacific Symposium on Stroke」が開催された。

1982年モスクワで第9回世界心臓学会が開催されたとき、参加し、「Changes in salt intake and blood pressure」(佐々木直亮)を報告(Absracts Volume II p305-1100)した。 

国際会議とのかかわり

   

「柳川昇先生遺稿集」に「柳川先生の思い出」(pp405-409, 昭56)を書いた。

「久保田重孝」一周忌追悼記念の出版に「久保田重孝先生のこと」(pp324-325, 昭59)を書いた。

「回想 福田邦三先生」に「福田邦三先生の思い出」(pp117-120, 平2)を書いた。

柴田学園創立七十年記念誌「思い出をつづる」に「柴田学園とのこと」(pp167-168, 平5)を書いた。

昭和58年大阪で第21回日本医学会総会が開催されたが、その中でシンポジウム(S-85)として「本態性高血圧--その成因と脳血管障害との関連」(司会増山善明・尾形悦郎)で「疫学的にみた高血圧と脳血管障害」を報告した。会誌「実践の医学」(pp2567-2569)に記録されている。

昭和59年メジカルビュ−社から「衛生・公衆衛生」(編集和田攻)が刊行されたとき、「13成人保健(II)」(pp181-190)を分担執筆した。

昭和60年中外医学社から「臨床循環器病学」(編集戸嶋裕徳・春見建一・石川恭三・新井達太・大国真彦)が刊行されたとき、「1疫学・自然死」の中の「8高血圧」として「日本人の血圧、2個人の血圧」(pp59-62)を分担執筆した。

昭和60年東京で「5th International Congress on Medical Librarianship」が開催されたが、医学部図書分館長として参加した。

昭和60年度に青森県環境保健部(大高道也部長)で行われた「青森県の食塩摂取状況調査報告書」(昭61.3)が刊行された。衛生学教室として協力した。

昭和61年度に青森県環境保健部(大高道也部長)で行われた「県民食生活調査報告書」(昭62.3)が刊行された。衛生学教室として協力した。

 

昭和59年7月弘前で開催された「第49回日本民族衛生学会総会」(佐々木直亮会長)が開催されたとき、写真集「人々と生活と--衛生学教室のアルバムから」が会員に配布された。

昭和61年11月弘前大学保健医学研究会の記録としての「明日の健康を求めて」(代表者佐々木直亮)が発行された。

 

弘前大学医学部三二三会「卒業三十周年記念誌」に「思い出すこと」(p11, 昭62)を書いた。

常磐村健康を守る会十周年記念誌「健体康心の真髄」に「常磐村の保健活動のはしり」(pp4-7, 昭62)を書いた。

昭和62年第一生命から「保健衛生の向上を願って--第38回保健文化賞受賞者の業績」が刊行された。「保健文化賞を受賞して」(pp70-74)を書いた。

昭和62年青森県・青森市・日本心臓財団・日循協主催の「青森カンファレンス報告書--地域における脳卒中・心臓病等の予防・治療・リハビリテ−ション会議」(Proceedings of Aomori Conference)が刊行された。「第8章追補」として「青森県における脳卒中予防の疫学的研究」(佐々木直亮)(pp112-117)が記録された。

平成元年八戸市教育委員会から「伝統と未来'88」として1988年度に行われた八戸市民大学講座講演集が刊行された。昭63.6.17に行われた講演「健康と文化--疫学による謎とき30年」(pp95-104)が記録された。

平成5年(1988年)医歯薬出版から「臨床産業医学全書2-1」「産業内科学--循環器系/呼吸器系」(五島雄一郎・西川真八・山田和生・千葉保之・三上理一郎・島正吾編集)が刊行さてたとき、「XIII循環器疾患の予防」(I高血圧と生活要因)(pp345-350)を分担執筆した。

   

1986年ワシントンで第10回世界心臓学会が開催されたが、参加し「Objective recording of blood pressure」(佐々木直亮・三上聖治)を報告した。Abstract Bookに記録(p486-2816)された。

1989年ワシントンで2nd International Conference on Preventive Cardiology and the 29th Annual Meeting of the AHA Council on Epidemiologyが開催されたが、参加し「Protective effect of apple eating habits on high blood pressure in high salt population」(佐々木直亮)(Program/Abstracts,A76-431)に記録された。

平成元年4月新衛会が40周年を記念して「新衛会の歩み」を刊行した。

平成7年治療学別冊(Vol31S3)として「臨床高血圧の100年--過去からみえてくる未来」(蔵本築監修、桑島巌・斉藤郁夫編集)が刊行されたが、その中で「日本人と高血圧--食塩と高血圧--研究の歴史を振り返る」(pp40-41)を書いた。

     

昭和59年東奧日報社から「あすなろ随談」が刊行された。新聞に連載された主として青森県内の「顔」と「文」のもので、中に「高血圧の予防に毎日リンゴ一個」と佐々木直亮(p172)の顔が出た。同じく「日本が誇る新進指揮者」と海外から帰国したばかりの修(p135)の顔も出た。

1985年北方新社から津川武一先生の「りんごに思う」が刊行されたが、中で私の研究を紹介して議会で「りんごの消費拡大に政府としても手をうってくれ・・」との発言が記録(p65-)されている。

弘前大学白菊会(献体の会)から「弘大しらぎく」(第1号−20号合併)が刊行された。会員名簿(9号)のNo.693,694の匿名は城南の住民である。

メデイカルカルチャ−刊行の尾前照雄監修、石井當男編集の「目でみる高血圧のすべて」に「高血圧のリスク因子」(pp28-29, 1987)を書いた。

   

北五医師会の「集談会300回記念」--特集北五医師会活動の記録が北五医師会誌として出されたとき、「津軽に学ぶ--疫学的研究のこと--」(pp27-19, 平6)の抄録が掲載された。

秋田県栄養士会が「栄養士創立五十周年記念誌」をだしたとき、東日本公衆栄養学会での記念講演「健康面からみた食塩文化論」が掲載(pp47-48, 平9)された。近藤正二先生の第20回日本栄養改善学会での特別講演「公衆栄養学の展望--食生活と健康長寿--」と共に。

慶應義塾大学医学部弓道部が創部75周年記念誌を出したとき、「四谷道場でのこと--五十年前の日記から」(pp36-41, 平5)を書いた。創部八十周年記念号を出したとき「創部80周年によせて」(DerBogen, Vol.25, 35, 平13)を書いた。 

   

平成4年に武田壌寿教授退官記念誌が刊行されたとき、「武田壌寿先生のこと」(pp9-10)を書いた。

平成6年に福士襄教授退官記念誌が刊行されたとき、「福士襄先生のこと」(pp135-136)を書いた。

平成6年に弘前大学医学部五十年史が刊行されたとき、「衛生学教室のこと」(pp637-639)を書いた。

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昭和61年停年後まとめとして、第一出版から「りんごと健康」(1990.12.20)、「食塩と健康」( 1992.2.20.)を、津軽書房から「解説・現代健康句」(1993.10.30.)を刊行した。

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