6月になって

 

 ラジオの日本列島北から南が、知らないうちに南から北になった。どこもかしこも頑張っている様子が伝わってくる。

 ワ−ルドニュ−スの各地からの便りに昔歩いた土地の記憶が甦る。

 サミットの開かれたドイツの保養地には記憶はないが、どうやら「うまく」はこんだらしい。ブッシュもブレアもプ−チンも「2050年」には名前がきえているから、「慎重に考慮する」という文句には文句のいいようはないだろう。

 6月に入ってここ弘前にはつゆはまだない。

 先日の「余命2週間!」という電話は友人の友人からの「伝言」であって、正確には「2カ月!」であったとか。急遽家内は上京し「お別れ」してきた話を聞いた。意識ははっきりしていたが、「腹水はたまって、足がはれて」という状態であったとか。前に亡くなった高松功先生が入院中に読んだ句を思い出した。たしか「腹水のじょじょせまりくる つゆの朝」であったか。昨日その友人が亡くなったという電話であった。

 身近の方の不幸は気の重いことだけれど、私にも昭和16年以来の知人といおうか先輩といおうか平尾正治先生の不幸の知らせをお聞きしたときは先生も行かれたかと「心からのお悔やみ」を送った。

 先日満88歳のお祝いをすませたばかりで、「今度の目標は90歳ですね!」と書いたばかりであった。

 追悼の言葉を書けば限りなくあるが、私のHPを大きく印刷してお送りした後の「キャッチボ−ル」のやりとののお便りは「先生の記録として貴重なものと思われたので」ご遺族にお返ししたほうがよいと判断した。

「平尾好子様

 はや 平尾正治先生が お亡くなりなってから 1ヶ月たちました

 いつも「しっかり」とした字で お手紙を頂戴しておりました

 昭和16年以来 永くお世話になったことを思い出します

 いつも「的確な」「正直な」お意見を戴いたこと 感謝にたえません

 お父上が 先生の お手紙を整えておられたと お聞きしたことがありました

 今 先生からの お手紙を読み返しておりますと

 私のことというより 先生のご自身の記録として

 極めて貴重なものと思えてなりません

 すべてお返ししたほうが良いと 判断しました 

 お受けとりいだだければ 幸いです

 お体大切に 皆様によろしく お伝えください

 平成19年6月10日」

 先生は東大卒で昭和16年夏「北海道で運河を掘る」以来のおつきあいであった。海軍軍医としての記録は「ソロモン会報」にくわしくのべられている。東大医学部戦没同窓生之碑の東大弥生門前建設に深く携わった。日本保険医学会を世界大会開催までのご苦労は実際に経験したものでないと分からない。70歳を機に引退されたが、国際問題に国内問題にたえず「見解」「意見」をしっかりもって居られたと思う。そんな意味から亡くなる寸前までのお手紙の内容は貴重な記録と考えたのである。(20070610)

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