脳卒中頻度の地方差と食習慣 食塩過剰摂取説の批判(福田)の批判

 

弘前大学医学部衛生学教室 教授 佐々木直亮

 

日本医事新報, 1955,10-12, 昭36.(掲載)

 

 千葉大学医学部の福田教授は先に「脳卒中頻度の地方差と食習慣」と題し、食塩過剰摂取説の批判をされている(1)。戦前から食塩についての生理学的研究をつみかさねられている同教授の長年にわたる経験からいわれる批判に対して、さらに批判を加えるだけ私の研究は充分でないことは承知しているが、私の論文を引用していただいた関係もあるので、いささか所見をのべてみたいと思うのである。

 同教授の結論は、第一五回日本医学会総会のシンポジウムでいわれた(2)ことなのだが、「脳卒中・高血圧多発と食餌の関係のうちで、一般的に信じられている食塩過剰摂取説を取上げ、相関と因果の相違なることを強調し、これに目下根拠の見出されぬこと」をのべられている(以下の「」内は同教授の論文からそのまま引用した文句を示す)。従って総会当時講演内容を紹介した新聞記事にのっていたように(食塩とは無関係)を強調したのではなく、そこに因果関係を目下見出せないといっておられると思うのである。同教授からの私信によると「食塩と高血圧との関係、私もかつて絶対的なものとして報告もしてきましたが、統計的にみた相関、実験的な因果関係、いづれも特殊な場合に限られ実は弱っておるところです(昭三五・五・一)」と書いておられるところをみると、同教授の真意は食塩過剰摂取説を否定はされていないものと思われる。と考えれば、さらに批判の余地ばないわけだが、二・三の意見をのべてみたいと思う。

 第一に考えてみたいことは、「要するに脳卒中死亡率の差異について食塩との関連に関して報告され来たったものは、何れも唯単なる相関を論じたものに過ぎない。決して原因事項を把握したということは出来ない。とかく(相関は如何に高度であっても、必ずしも因果を意味しない)という統計学の誤りに陥り、不明な論議が忘れ勝ちであるということに注意しなければならない」という点である。が統計学で二つの関係を求めるときには、例外のない関係、即ち函数的関係を求めるばかりでなく、例外のある関係、即ち相関的関係を求める場合が多い。そして例外のない関係を求める努力は勿論必要だが、われわれの取り扱う生物現象は、ほとんど例外のある関係とみてさしつかえないのではないか。例えば結核菌は結核の原因には違いないが、人間がその病因によって発病し、社会問題化するには、病因以外の多数の要因が関係しあっていることは明らかである。かつて生理学、細菌学等が、例外のない関係を求めて努力し、その成果によって著しく学問は進歩したが、現在われわれの目前に横たわる大きな問題には、いろいろな要因がかさなりあっておこっているのだという理解にたたなければならない時が来ているのではなかろうか(3)。これはその人なりの疾病観、健康観によるのだが、病気の発生には、病因、宿主及び環境としての特徴のある要因があることが注目されなければならない。このような考え方に立てば、人間の集団現象を統計的に分析してゆくことは、極めて有用であり、そこから実験室内で得られた成績と優るともおとらない成果が期待されるのである。かつて同教授も、秋田、千葉、長野の各農村について、村単位の耕地面積と各村の高血圧者出現率頻度との間に順相関をを認め、耕地面積大なる程、農業労働が過重となるであろうとのべられた(4)が、このような所見が研究上の一つの手がかりになり得るわけで、いろいろな相関関係を求めていくことは疫学研究の常道と思われる。

 秋田県の農村の高血圧の研究から、多くの学者が食塩過剰摂取説をいい出したが、単に食塩摂取量の多い秋田県のみでなく、比較的食塩摂取量の少ない地域における研究も必要である。かかる見方から国民栄養調査成績の資料について概算することにより、わが国の脳卒中死亡率の地域差と関係ある栄養因子として、他のどの栄養素及び食品によりも全食塩、とくにミソによる食塩、漬物による食塩との関係を明らかにしたことは意義のあることと思っている(5)。

 又相関関係を論ずる際に注意しなければならないことは、或る一つの集団において相関関係が見出されなかったことをもって、二つの間には関係はないとする速断はさけなければならないということだ。同教授は食塩摂取量の多少と血圧との間の関係を検討して「食塩大量摂取を習慣的に行う秋田農村において」「年令別に個人の食塩摂取量と血圧値の間に相関をみるか否かを調べたが、各年代において全く相関のないことを知った」とのべておられる。そしてこの所見が同教授が食塩摂取量の多少は血圧に関係しないという批判の主体をなすものと思われる。しかし長年にわたってその地区に生活する人達にとって一様にねざしている食習慣といった環境的要因の差を見出すことは不可能と思われる。もしそこに差が見出されたとするなら、その差は遺伝的な、いわば体質的な差にきせられるべきものと思われる。そこでその食習慣といった要因の違う集団について比較することによってその差が判然とするのではないかと思うのである。他にも食塩摂取量と血圧との関係を追究して、脳卒中とか高血圧とかの関係を見出し得なかったとする報告もかなりあることに注目しなければならない。また同教授の発表された中でも、血圧に差がある秋田と千葉の国鉄従業員について比較された時、「差異はただ秋田において食塩摂取量は明白に大きく」とのべられているのをみれば食塩を関係なしとするのはあたらない。一農村において、「食塩大量摂取者はそれに応じて水分の摂取を行い、尿量が多く、すべて生理的濃度範囲で排泄されること」でもって、食塩摂取量と血圧との関係がないとするのは速断で、むしろ同教授の観察された対象農村は、一日三0瓦近い食塩摂取量を示して血圧も相当高い集団として把握することが必要ではないだろうか。実際に食習慣の違うために食塩摂取量に差が出来る集団で脳卒中や高血圧の割合の違うところはあるのである。

 次ぎに私が研究上の作業仮設として食塩過剰摂取をとりあげているのは理由がある。というのは数多くの実験的高血圧症についての報告のうち、日常生活にあり得る条件としては食塩が第一に考えられるからなのである。同教授も実験的高血圧症にふれておられるが、動物実験で食塩による高血圧症発生は、水分制限とかDCA負荷のような異常条件下におけるのみであって一般的な因果関係には根拠がないという見解である。しかしそれだから人間の生活にあてはまらないということはないと思うのである。われわれの研究によると単に食塩の摂取量についてのみでなく、全食品に対する食塩濃度をみても、又更にミソ汁の食塩濃度にも、人の塩味の好みについても地域差があることからみれば、食塩を大量摂取したとき必ずしも充分な水分がとられれているかどうかには保証はない(7−9)。又食塩大量摂取は当然飲料水の増加を来たし、夜間排尿回数の増加(10)になり、さらに東北地方において夜間どのような状態で排尿が行われているかを経験すれば、食塩過剰摂取がわれわれの生体に与える影響が無関係だとはいいきれない。しかし同教授のいわれるように単に食塩摂取量のみではなく、摂取水分量との関係を追求することは極めて必要なことといわなければならない。その点わが国で種々行われている栄養調査には、水分摂取量が考えられていないのは今後問題になろう。この際わが国の実情は明らかではないが、環境気温六0度F以上のところでは摂取飲料が増すという成績は(11)、わが国の温暖地方にあてまはることだし、又鉱山のような高熱環境労働における摂取食塩量と、摂取飲料水との関係を考える上に必要なことと思われる。さらに疾病多要因発生論から考えるなら、DCA負荷時の食塩による実験的高血圧症は重要である。腎上体ホルモンの分泌が、われわれ人間の日常生活において、どのような要因によって左右されるかということが明らかにされることが期待されるわけで、労働とか寒冷とかいった生活要因が注目さてるのは当然であろう。又Naの代謝を考える上に他の鉱質がどのような影響をもつかについて当然考慮をはらわなければならない。われわれはすでに以前から主張しているように食塩過剰摂取に対するカリの保護作用を考えている(12)。どの教科書にも引用されている食塩摂取が多いのはカリ摂取が多いからだとするブンゲの推論とはことなって、メネリ−らの示した実験成績のように(13)、われわれは青森県津軽地帯における脳卒中死亡率や高血圧のレベルが、同じ東北地方であって秋田県とその程度を異にして低いことを、同地に生産されているりんごと結びつけて研究し、りんごにカリ成分が多いことと関係があるのではないかと考え、又野外実験も行っているのである(14−17)。これらの問題は将来さらに検討を加えなければならないが、このような見方からいえば、同教授がすでに報告されているビタミンCと食塩との関係についての研究は極めて興味あるものといわなければならない(18,19)。

 ともあれ、同教授の求めておられる因果関係なるものがどのようなものであるかは理解に苦しむが、遺伝学的にいっても身長や知能と同じく連続変異を示すと考えられている(20)血圧に対して、単純な要因を見出すことがはたして可能なのであろうか。又所謂高血圧症といっても種々の要因がその個人にかさなりあっておこってきたものではなかろうか。疫学的に人間の集団現象として統計学的に見出された事実は貴重だし、実験室内で得られた事実は、同教授は特殊な異状条件下といわれるが一つの事実を示しているのだから、これらから得られた知識を整理し、問題として把握されたことに、その対策を見出すことは、公衆衛生学的に極めて大切なことと考える。かつてJ.スノウがロンドンのコレラ対策にあたったとき、コレラ菌の発見前に、統計的所見からしに対策を見出し、コレラの防圧に成功した古典的研究は、われわれ公衆衛生学者に大きな勇気を与えるものである。

 わが国内にみられる脳卒中や高血圧の地域差にも、又国際的にみられる地域差にも、食塩摂取量が食習慣からいって多くなっている地帯に多く、少ない地帯には少ないという事実はつみかさねられている。又その逆の成績はほとんどみあたらない。又戦時中の脳卒中や血圧の低下も食塩についての資料からも説明がつけられる。東北地方の住民が小さい時から(私は小さい時からと主張するが(14)、同教授は差が見出されるのは中年者だけだといっておられる)血圧が高いことに、何か要因を求めたい。一日三0瓦、四0瓦の食塩摂取量は、一日一四瓦で日本には多いとする外人(21)には想像もつかないことだろう。デ−ル博士も小生にそういってきておられる。又都会に住む人でも考えられないことであろう。しかし食塩濃度一・六%(中には三%近くの)ミソ汁を一回平均二杯以上、中には五、六杯ものみ、大半は朝昼晩と三回つづき、塩からい漬物や魚を主に、ごはんを腹いっぱい食べるという食習慣で育った東北の農民は食塩が過剰になってはいないだろうか。従来出来上がってしまった高血圧症にたいする療法としての減塩食が検討されてきたが、われわれ人間の食生活に食塩がどのようにして利用され来たったかを反省してみるとき、日常生活の食塩摂取量と高血圧発生については、さらに検討すべき大きな問題を含んでいるのではないかと考えるのである。

 東北六県では毎年、六0才前の働き盛りの中年者が約六千名死亡しているのである(22)。この大きな問題に対して、私は生活改善とくに食塩過剰摂取をもたらす在来の食習慣を改善することが、公衆衛生学的にいって目下一番かんような対策と考えている。又この学問のつみあげのために、今迄に得られた知識をもとにして、将来への計画調査に食生活改善を具体化することが極めて必要なことと考えている。このような意見をもっている私は同教授のいわれる「食塩過剰摂取に高血圧に対する疾病論的意義を認め得ない」とする意見には、それだけの根拠が充分あるかどうか疑問に思うのである。(三六・一・一)

 

文献

1)福田篤郎;診療,13:1476,昭35.

2)福田篤郎:日本の医学の1959年,VI,536,昭34,第15回日本医学会総会.

3)Gordon,John E:公衆衛生,18(4):1,昭30.

4)福田篤郎:診断と治療,43(2):104,昭30.

5)佐々木直亮:医学と生物学,44(1):1,昭32.

6)佐々木直亮ほか:日本公衆衛生雑誌,7(12):1137,昭35.

7)佐々木直亮ほか;綜合医学,13(2):101,昭33.

8)福士襄:弘前医学,11(1):141,昭35.

9)佐々木直亮ほか;医学と生物,55(11):12,昭35.

10)佐々木直亮ほか:医学と生物,45(2),63,昭32.

11)Welch et al:Metabolism, 7(2),141,1958.

12)佐々木直亮:医学と生物,39(6):182,昭31.

13)Meneely et al:Ann.Int.Med.,47:263,1957.

14)佐々木直亮:日本公衆衛生雑誌,6(9):496,昭35.

15)小野淳信:弘前医学,12(2):382,昭35.

16)三橋禎祥:12(1):57,昭35.

17)佐々木直亮ほか:日本公衆衛生雑誌,7(6):419,昭35.

18)土井弘正:日本生理学雑誌,15:260,昭28.

19)入江紀文:日本生理学雑誌,15:570,昭28.

20)古庄敏行:遺伝医学(古畑・勝沼監修),14頁,金原,昭35.

21)Dahl,Lewis K:Hpertension(The First Hahnemann Symposium on Hpertension Disease Edited by Moyer,p.266,1959.

22)佐々木直亮:日本公衆衛生雑誌,4(11):557,昭32.

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