1966年アメリカのミネソタ大学に滞在していた時、シカゴで開催された”Meeting on objective recording of blood presssure”に参加したときのスナップがあった。
「自動血圧計覚書」ということで「覚書」シリ−ズの初めに書いたことなのだけれど、今回はその時の雰囲気を伝えるとともにその後のわれわれの自動血圧測定装置研究の展開にちなんだ写真を紹介しようと思う。
文部省による長期研究ということでミネソタ大学のキ−ス博士のもとに滞在していたとき、シカゴで客観的血圧記録に関する会議があることを知った。
丁度その頃私は国際的に通用すると自信をもちそれまでに日本で自ら測定し記録した血圧値を持参しての研究を報告していたのであったが、よく考えてみるとその値は「客観的な記録」ではなかった。血圧測定値について「客観的な血圧記録」の必要があるのでないかと考えその方法を模索している時であったので、是非会議に参加したいと考えた。
国際的にも血圧測定値・記録値の信頼性について種々論議されはじめていた頃であったし、それに関係する考案・論文もいくつかは報告されていた。
シカゴでの会はその種の会議としては第1回の会議ではなかったかと思うので、「自動血圧計覚書」を書いたのであるが。
係りのスタムラ−博士に参加してよいかとたずねたら、冗談だと思うがたしか「コッソリと参加してよい」ととれる返事をもらった。まさか「企業秘密を日本がぬすみにきたのではないか」と思われたのではなかったかと一瞬頭の中をよぎった。それほど学問的には最先端の会であったのであろう。日本人としては私一人であった。
ミネソタからシカゴへは汽車でいった。1月で雪の季節であったし、一度は往年のアメリカの汽車に乗ってみたかった。その上時間表をみると丁度良かったし展望車があったから。前に座った子供がこちらをちらちらとみていた時のスナップとか女の子のスナップをした。
会場はノ−スウエスタン大学の構内の会議室であった。日本と違って大きな立て看板はなく、会議室のドア−に小さく書いてあるだけであった。中には国際的に知られている方々がいた。アメリカだけでなくイギリスからも。
血圧計の目盛りに読みを支配されることを防ぐために(例えば150mmHg以上は高血圧であるとかの先入観を防ぐために)Dr.マイアルが考案したはずの0値を任意に決められるゼロマドラ−の装置の現物が展示されていた。イギリス人らしい考案だと思った。Dr.Miallは後日ロンドンで開催された世界心臓学会議のときの私の発表のRound Table Sessionの司会をした方であった。
NASAがらドクタ−がきていた。宇宙からどのように血圧値を通信するかが考えられていた時ではなかったかと思うが、指にカプラ−をつけて測定する器械を展示していた。指を動かすと測定値が変化するがどうしたものかと質問した。
日本にさがしに来て当時500万もするコンピュタ−を用いて血圧測定値を連続測定する装置を考案したドクタ−がその器械を腰につけて歩いていた。あとで論文がでたときは美人のモデルに装着させている姿であったが、会議の発表のときは同じモデルのヌ−ド姿のスライドであった記憶がある。
ロンドンのロ−ズ考案の器械の展示がされていた。目盛りを一切目隠しにする装置であった。後日ロンドンへよったとき当の本人に会い、血圧録音のテ−プをもらった話は「ロンドンの名所」に書いた。
シカゴの官庁街には雪がなく、歩道に雪をまいていた。バス停留所には「輻射」をうまく使った暖房がしてあるのをみてスナップした。
アメリカ留学から帰国後、われわれの教室では「血圧生体情報の客観的測定・表示・記録」に関する基礎的研究が市川宏・蓮沼正明・三上聖治らによって行われ、実地に於ける測定検討は竹森幸一・仁平將・東海林優らによって行われ、それぞれ研究結果は報告されている。
帰国早々であったかパロマの血圧計を考案していた富田君から連絡があって、最近の状況についての話を東京の帝国ホテルでしたことがあったが、お礼は葡萄酒であった。
また日本循環器管理研究協議会発足のあと、「血圧測定手技」「自動血圧計検討委員会」の会議においては私がまとめ役をした。
日循協としてわれわれが考案したシステムを用いて市販の「自動血圧計」「電子血圧計」」「電気血圧計」の検討をすることになり、どの器械が「おすみつき」であるということではなく、問題点を報告することで業者に協力を得て東京で検討会をもつことができた。その時の写真がいくつかあった。
丁度われわれの試作品ができてそれをWHOのCardiac studyに用いることができるか検討してもらうことになった。1983年京都での会議のあと出雲でのworkshopへ移動して会議をもった。血圧についてはシンプソンとドイルと私とでレポ−トをだすことになった。
WHOのCardiac studyが島根の家森幸男教授を中心に展開されたとき、私は国際顧問として参加をし、われわれの考案によるシステムを具体化した「名づけて」「Khi」(ヴアイン社)の血圧計で世界各地の血圧が検討されることになった。