「ストレス」についての記憶

 

 文化庁が19日公表した日本語に関する調査で、外来語百二十語のうち「ストレス」が認知率、理解度、使用率のすべてで一位となり、厳しい社会情勢を映すような結果になったと新聞報道(東奧日報、2003.6.19)されていた。

 「ストレス」を「見聞きしたことがある」という認知率は97%、「意味がわかる」と答えた理解度は93%、「使ったことがある」という使用率は91%と、いずれも90%を越えたと記事にあった。

 この記事の「語義」の解説に、「肉体的な緊張や圧迫」とあったが、一般には「ストレス」をどのように「理解」し、「使用」しているかと思ったのである。

 一寸前の新聞記事(東奧日報、4.25)に官庁やマスコミが外来語を安易に使用しているとして日本語への言換えを検討していた国立国語研究所の「外来語」委員会による第1回報告の「外来語の言い換え提案」をみていた。

 「翻訳」「外来語」そして「言葉の意味」に興味をもつ自分として、この「ストレス」に関する記憶を書いておこうと思った。

 私が敗戦後もう一度勉強し直そうと思って大学へもどった時のことは前に書いた

 はじめ上田喜一先生の下でビタミンのことを勉強しはじめたとき、日本の大先生方がいる場で若い進駐軍の軍医の方から新しい学問の進歩の講義を聞く機会もあった。戦中の学門のブランクはいかんともしがたいものがあったと思った。日比谷の文化センタ−は「昭和の出島」であり、よくかよって文献を読み、コピ−器にない頃だったから手書きで写して勉強したことが思い出される。

 そんな昭和22.3年の時代、三鷹での教室の抄読会での話題の中に「ストレス」があった記憶である。

 「ストレス」(stress)とはそれまでは「外から圧力がかかったときその物にひずみがおこる物理的な現象」として理解されていたと思う。辞書に「物体に外力が加わると、ストレ−ン(strain)という変化を生ずるが、この外圧の作用を受けても平衡を維持させるために、内部でのたがいに力をおよぼしあっている”応力”のことを、物理学で”ストレス”という」とあった。この概念を物体から生体へと拡張解釈することになったのである。

 それまで生体内での平衡概念としては、ベルナ−ル(C.Bernard)の内部環境(internal environment:milieu interieur)とか、キャノン(W.C.Cannon)のホメオスタシス(homeostasis)があり、その平衡維持に交感神経と副腎随質とが主役を演ずるという説があった。「ホルモン」についての研究の進歩があり、脳下垂体との関係が云われ始めた時代、今でもよくいわれる「アドレナリン」の話もあった。

 昭和15年学生時代”グルッペ”(独語)でうけた生理学の口頭試問のとき、私は「コルチンとかいう物質が副腎からみつかった」とか講義で聞いた教科書にないことをたった一言答えただけで通過した記憶があるが、そんな時代であった。

 昭和22年に教室で勉強し始めたとき、生理学背景をもつ原島進先生が予防医学教室の研究面を受け持つようになっていた。先生は戦時中南方勤務の経験もあり、「人間有機体」(医学出版部,昭和23)を出された時であったからと今思うが、「交感神経緊張状態とはなんぞや?」とか「適応作用とか順化現象」が教室のテ−マの一つであった時代であった。諸先輩や同僚の研究を見聞きし、勉強していた。

 そこにセリエ(H.Selye)の汎適応症候群(general adaptation syndrom:GAS)の「ストレス学説」が登場した。

 セリエが学生時代というからざっと100年も前のことと思うが、色々な病気の症状が発熱とかもろもろの病状がいつも同じだという講義を聞いたことが「ストレス学説」(stress theory)の基礎にあったと聞いた記憶があるのだが、副腎皮質の機能を重視したGASを考えるようになたと。

 セリエは人間が外界から種々の刺激、それは”ストレッサ−”(stressor)といっていたが、それで体内には”ストレス”がおこる。外的刺激を受けると脳下垂体を興奮させACTH(副腎皮質刺激ホルモン)の分泌の増加をうながし、これが副腎皮質に作用して副腎皮質ホルモンの増加をきたすという考え方で、セリエは「ストレス」のメカニズムをその経過から3期に分けて考え、総括してGASといったということであった。3期とは即ち第1期(警告反応:alarm reactionの時期)、第2期(抵抗期:stage of resistanceの時期)、第3期(疲はい期:stage of exhaustionの時期)とに分けて考える説であった。そして物理学でいう「ストレス」とセリエのいう「ストレス」とは異なるもので、生物学的ストレス状態(biological stress condition)が正確ないい方との認識であった。当時の造語だと思うがセリエのいう「ストレス」を「やまいだれに不正と書く文字」が当を得ていると思ったことも記憶にある。

 外的刺激として、物理的条件としての寒暑、化学的な原因であるガス中毒、結核などの病原菌による感染、さらに精神的負担による体のなかのひずみと理解されるようになり、動物実験などでその事実が検討されることになった。

 私がCOガス中毒の実験をはじめて「血液中COHb飽和度と血液有形成分との関係」を検討したのもその影響があったと思う。医学と生物学へ投稿(佐々木直亮・大東昭雄:34(3),104-6,昭30)受理され、Chemical Abstract(52,2146e,1958)にも掲載されたことも記憶にある。アドレナリンのほかにノルアドレナリンの勉強をしたこともあった。

 われわれが高橋英次先生らと脳卒中予防における住生活の意義(日本医事新報,1629,27,昭30)を報告したときにも、寒冷刺激として合理的であった。

 またセリエはカナダ医学雑誌(1928年)に掲載されていたアジソンの「Naを与えると血圧は上昇し、Kを与えると血圧は下降する・・・・」と報告したことを知っていたと思われるが、動物実験での心筋障害がNaで増強し、K,Mgは緩和するといった報告を読んだ記憶がある。私が食塩とかりんごの関連をNaとかKとの関連で考えることになったのも、Na,Kの分析が炎光分析で容易になり、それを野外調査に応用したのであるが、戦後の勉強で読んだことが頭にあったに違いないと思う。その展開の中で自分では人間の集団を相手に”疫学的に”やった結果であると考えるのであるが。

 地震とか殺人とか”大”事件がかさなると「トラウマ」という言葉も通用するようになった。

 それにしても「ストレス」という言葉が学問的に展開され、それを考察・解説される中で、知るや知らずや次第に言葉のもつ意味も変化しているのを感じるのは私だけであろうか。

 一般の方々が「ストレス」の意味をどように理解して用いているのであろうか。ストレッサ−、ストレ−ン、ストレスの3者をひっくるめてストレスというようになったように思われる。生体内のことの理解のない多くの方が「ストレスを受けて・・・」とか、「ストレス社会に中に生活している・・」とか、外圧そのものを「ストレス」として捉えて用いているように思えるのだが。それで新聞紙上に「社会状況を反映するような」とかの記事になったのではないか。(20030901)

(弘前市医師会報,292号,38巻6号,62-63,平成15.12.15)

もとへもどる