今日この頃のこと

 

 11月9日は総選挙の日であった。丁度鰺ケ沢で「才門四郎縁者の会」の集まりがあって久しぶりにドライブがてらそろって出かけたので結局選挙には行かなかった。結果が分かっていた感じがあったし、今の若い人の気持ちに従いたいという基本的な考え方があったからである。

 選挙の結果が分かったあとの小泉純一郎総裁の「顔」と対抗馬であった菅直人代表の「顔」の違い、票数とは別の、かたや「深刻」かたや「笑顔」が印象的であった。後日小泉首相指名のあとの記者会見での発言で納得された。

 「〈天の将(まさ)に大任を是(こ)の人に降(くだ)さんとするや、必ず 先(ま)ず其(そ)の心志を苦しめ其の筋骨を労せしめ、其の体膚を飢えしめ、其の身を空乏にし、行うこと其の為(な)さんとする所に払乱せしむ」との孟子の言葉の引用であった。「天が人に大任を授けるときは必ず、まずその人の心身を苦しめ、窮乏の環境におき、すべてその人のすることには逆行する事態を起こし試練を与えるということ」であると「二年半前、初めて首相に就任したときも引用した言葉だ。第二次小泉内閣の発足に当たって、繰り返したのは一層の困難を予感するからでもあろうか」と読売新聞に解説されていた。また総理はかつて厚生大臣であったとき「カタカナ語」について発言したことと同様に今回はやりの「マニフェスト」は一言も喋らず「公約」と発言していたことも印象的であった。もっとも「公約」の意味をどのように捉えているか分からない。丁度勝・西郷の江戸城無血開城のテレビが放映の中で、「私」と「公」の話題にふれていたが、「おおやけ」と「わたくし」の理解はむずかしい。そして「国益」も。前にふれた「公衆衛生」とそのもとの「public」はまだ自分として判然としない問題である。

 「今日この頃」国内外に話題はつきない。わが家には光ファイバ−が入っていないので情報は多くはないが、毎日通う近くの桔梗野温泉でみるスポ−ツ新聞の一面のように話題はつきない。

 アメリカ・ブッシュ大統領がイギリスを訪問したという。「国賓」としては数十年ぶりという。その時期にあわしてトルコ・イスタンプ−ルで「テロ」がおこった。そのおかげでか数十万といわれるロンドンでの「民主的デモ」はあまりニュ−スにはならなかった。イギリスをねらった「テロ」のようだが、その前には国連・国際赤十字、そして今日は警察署、また日本の東京攻撃の予告のメッセ−ジがながれた。「お−こわ!」とそばの人がいう。「テロ」の目標はなにかわからない。「新聞の一面をかざるだけだ」という発言も放映されていた。先に書いた「文明論」のこと、「平和の戦争」とかつて書いた先人のことが記憶にある。

イラク戦争当初の「救出劇の物語」の時の張本人の談話が放映されている。テレビの「視聴率」からみ、民放のまたCMにからむ基本的問題のニュ−スもある。

「JFケネデイ−」が亡くなってはや40年という。あの日のテレビ放映を思い出す。あの現場をダラスでみたこと、新しい火が燃えていたケネデイ−の墓場へ安達君に案内されたことも思い出す。その時のショットを来年の弘前市医師会の作品展の「思い出のスナップショット」に出そうかとも思う。それにしても未だに人気のあるケネデイ−事件の情報もアメリカ国益の為に「密封」されているというからわからない。

大相撲の幕下で「黒海」が優勝した。賞金は国元の両親に送るという。その国グルジアでは非常事態宣言が出されたという。先日修がいわゆるカスピ海ヨ−グルトを求めて渡欧したときのことを思う。そして”クレオパトラの涙”のワインを思う。

 ところで「才門四郎縁者」とは家内の旧名豊田家に繋がる人々のことで盛会であった。鰺ケ沢で11月21日家内は生まれたという。そして73才になった。また「一休さん」の命日でもあるという。そして遺言状に「なるようになる・・あわてるな」とか。

今日11月22日は「いい夫婦の日」であるという。こんな雑文を書く自分はとても「いい夫婦」とは言えないと思う。今日弘前は初雪である。タイヤを交換し、月1のうなぎを食べにいった。一年前入院した自分を思い出しながらこの文を書いた。(20031122)

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