パンナム(Pan American)が世界を羽ばたいていた頃、大相撲の千秋楽で聞いたあの「ヒョウショウジョウ」の声は忘れられない。ユ−モアがあり愛嬌があって館内をわかせたことが思い出される。
「表彰状」は誰でも何かをもらった記憶があることだろう。私もいろいろと戴いたことがあるのだが、これはどんな意味があるのだろう。これを創った人にはどのような気持ちがあったのであろうか。
「叙勲に思う」を書いたことがあったが、「叙勲産業」ともいうべきところから「ダイレクトメ−ル」でいろいろ送ってきた資料の中の一つ「栄典の栞」をみていたら、次ぎのような記述があった。
「日本古来の栄典制度は、古くは飛鳥時代にさかのぼります。推古天皇の11年(603年)に冠位の制が、大宝律令が制定された文武天皇の大宝元年(701年)に位階の制が定められた」「わが国最古の勲章は、慶應3年(1867年)フランスのパリで第5回万国博覧会が開催された際に、薩摩藩が・・贈与した勲章」「明治新政府が明治4年(1871年)栄典制度の研究を命じ・・6年メダイユ(フランス-medaille-語で賞牌・勲章の意)取調御用掛が設けられ」「明治8年勲等賞牌及び従軍牌制定ノ件が定められ」「終戦時まで旧憲法により天皇の大権事項とされ」「新憲法により、天皇が国民のために行う国事行為(内閣の助言と承認を必要とする)の一つになった」と。
栄典とは「光栄ある典例・名誉あるしきたり」典とは「儀式・作法」とあるが、国がこう決めているので、県でも市町村でも右へならへであり、その上色々な賞が設けられている。しかし今度の行政改革の中で総理府のなかに賞勲局長まである賞勲制度見直しの「ショ」もでないのはどうしたものか。ずっしりと重たい「長い歴史と伝統を背景とした独特の七宝技術を駆使して作られる日本の勲章」の技術保存のためか、「叙勲産業」従事者のためか、人はみな勲章をほしがるものなのか、叙勲を受けた身として言えたぎりではないとも思うが書いておく。
大学を停年になったあと資格ができたとかで「保健文化賞」を戴いたことがあった。このとき戴いた資料(保健文化賞30年のあゆみ・昭和54)の中に第一生命相談役の矢野一郎氏の「保健文化賞創設の思い出」という記録をみる機会があった。その全文を再掲する余裕はないが「私は戦前から、わが国民の保健衛生思想が欧米に比べて遅れていること、そしてすべて政府にだけ責任があるように思っていることが気になっていたので、なんとかして国民自身が勉強して自分たちの健康を護るような気風をつくることが民主的なコミュニテイ−づくりの基本だと信じていました」とのべられていた。「日本の政府にしてもとかく官尊民卑型であって、縁の下の力持ちは拾い上げられていませんでした」「昭和24年のこの賞の提案にふみきりました」と。
そして「褒賞ではなく感謝である」「審査は正しく公平に」「無形の名誉を飾る精神的な賞」「だが受賞されるとなにかと物いりがあるだろうからと賞金をつけ」などの根本精神が述べられていた。戦後われわれの先輩方が表彰を受けられ保健衛生を専攻する者としては「いつか自分も」と思っていたことを思い出す。
また表彰を受けたあとだったか「これであとのこるのはノ−ベル賞だけですね」と云われたことも思い出す。
それを云われた方は保健文化賞の重みを意識しておられた方と思ったが、私は「質」の違いを意識したと同時に私のような疫学的な仕事は「ノ−ベル賞」には該当しないし、わかって戴ける方はまだいないのではないかとも思った。今世紀はじめに制定された時何故「医学・生理学賞」のノ−ベル賞となっているのかは分からないが、今世紀のはじめは「生理学」への世の期待があったのではないかと考えると、「疫学」はまだその意義が認識されていないと「エピデミオロジスト」としての私の思いである。
それにしても分野は違うが「ノ−ベル賞」受賞のニュ−スが日本に伝わったすぐ翌日にかに文部省の係りの課長さんだかが「文化勲章受諾の意志ありやいなや伺った」ことが報道される国の文化勲章とはどんな意味をもっているのであろうか。
もっとも文化勲章については文化功労者年金法というのがあって事前に閣議の了解をうけた選考審査会の委員である者全員の意見を聞くもとするとなっているが、年金がつくとは知らなかった。
私には小さい時、小学校卒業のとき、慶應義塾幼稚舎であったが、「金巻名誉録」にまつわる思い出が、何故か強烈に心に残っているのはどうしたものかと思うことがある。
六つ違いの兄正亮が卒業の時表彰されたのだが、私も成績がそれなりによかったので、卒業のときもらうことを期待していたのに、何故か選ばれなかったことへの思いである。わが家の緑の傘をもった居間の電灯の光の下で涙ぐんだ自分を思い出すのである。クラスから二人選ばれたのに入らなかった。一人はある先生の息子のN君でもう一人はわが家よりお金持ちに思えたM君であった。二人とも生涯の友人であってそれぞれ優秀な人であったのに、その友達のことより、点数をつけた先生方に不信感のようなものを感じた思い出がある。
このことは何十年もたったあと、医学部の入試にからんで、お茶のみ話のときであったが「同点だったらどうされるのですか」との質問を受けたときの思いと相通じるものがあったことも思い出すのである。この時は点数をつけ選ぶ方になっていたのである。「人が人を選ぶことの難しさ」がいつもつきまとう。
その点一定の規則をつくって相争うスポ−ツはそれなりにすっきりはしているが、「芸術点」とは何かとか、日本人が優勝しずぎるといいてル−ルを変えたなどといわれると何んとも言えない気にもなるものである。
話が飛んでしまったが、「金巻名誉録」に関して三田評論(8.9,32-41,1994)に中川真弥(しんや)さんが書かれていた「福沢諭吉と幼稚舎」の中で「幼稚舎には福沢先生が自ら幼稚舎生のために書かれた書が二つある」 そのうちの一つ「金巻名誉録緒言」を読んで福沢先生の考え方がわかってほっとしたことがあったことを書き留めておかなくてはならない。
「幼稚舎には以前、銀巻名誉録、金巻名誉録と呼ぶ、優等生表彰の制度があった。所謂、品行方正、学術優等の諸君の名を記すもので、銀巻は明治二十三年末に始まり毎学期優良生徒の名を記した。金巻は明治二十四年末に始まり銀巻記名三回以上の生徒の名を記録した」「慶應義塾では明治三十年(1897年)の夏、学事改革を行い幼稚舎を純然たる義塾附属の小学校としたが、銀巻・金巻とも明治三十年の第一学期をもってひとまず終わっている。・・・明治三十八年から・・卒業生中の成績優秀者を金巻名誉録への記帳へ復活して昭和十九年(1944年)までつづいた」「和田義郎(初代幼稚舎舎長)と福沢先生の示すところが大いに違いがあるようで興味深いものがある」と述べられていた。
「銀巻名誉録緒言」(和田義郎)「人誰カ名ヲ望マサラン。名ヲ希ヒ誉ヲ望ム者亦誰カ学術ヲ研カサラン。学ヲ研キ術ヲ究ムルモノ亦誰カ品行ヲ慎マサラン・・・」に始まり「然ラハ則チ此レハ名ヲ希フ者ノ入ル門ニシテ、彼レハ誉ヲ望ム者ノ堂奥ナリ」と記している。
「金巻名誉録緒言」(福沢諭吉)「・・・然るに此金巻は慶應義塾の幼稚舎に居る学生の学業品行の心掛けを写したる写真帳なれば其愉快は譬へんにもなかる可し。・・・左れば満舎の諸子が此の写真帳に姓名の登録を勉めざるは生涯の愉快を棄るものと云う可し」と記されている。
この二つの緒言は銀巻が先に書かれているが、銀巻の和田義郎の文章を読まれた福沢先生が「和田さん ちょっと違うんじゃないか」と金巻を書かれたような気がする、と。
福沢先生が学問をすることを「人生の楽事」とされていて、それは決して「名を希ひ誉れを望む」ものではなかった。そうしたことから考えて和田義郎の書いた銀巻緒言の文章は、どうも福沢流ではないように思うのである、と。
以前「美原賞受賞挨拶」の中で述べたことは福沢先生の考え方をふんでのものである。
「弘前大学医学部衛生学開講25年誌」の中で「ある地方の大学医学部の教授は、その地方とどのよな接触をもつのであろうか」と一つの記録をとどめたが、私の小さいときからの表彰状を一つの記録としてとどめて置こうと思う。(990419)
皆勤證
東京府 佐々木直亮
大正十年一月十七日生
身体健康ニシテ在学六年間皆勤セシコトヲ賞ス
昭和八年三月廿一日
慶應義塾幼稚舎主任 小柴三郎
褒状
第一学年B組
日本産業地図 佐々木直亮
第七回労作展覧会ニ於テ成績優良ニツキ表彰ス
昭和八年十一月四日
慶應義塾普通部
労作展覧会長 小林澄兄
褒状
第三学年A組
作業 佐々木直亮
第九回労作展覧会ニ於テ成績優良ニツキ表彰ス
昭和十年十一月十日
慶應義塾普通部
労作展覧会長 橋本 孝
特賞
第四学年A組
近世欧羅巴 佐々木直亮
第十回労作展覧会ニ於テ成績殊ニ優良ニツキ表彰ス
昭和十一年十一月八日
慶應義塾普通部
労作展覧会長 橋本 孝
賞状
第四学年 佐々木直亮亮
右者本学年間学業性行優秀ナリ仍テ之ヲ表彰ス
昭和十二年三月二十日
慶應義塾普通部主任 橋本 孝
褒状
医学部第四学年
佐々木直亮
慶應義塾奨学資金規定ニ依リ特選生トシテ故中上川彦次郎君記念奨学賞ヲ授与ス
昭和十八年七月七日
慶應義塾長 経済学博士 小泉信三
感謝状
一 選手章 一個
多年本会ノ為メ盡瘁セラレシ功ヤ大ナリ仍テ右記念品ヲ贈呈シ
茲ニ感謝ノ意ヲ表ス
昭和十八年九月二十六日
慶應義塾体育会会長 板倉卓造
弓術部選手 佐々木直亮殿
学位記
東京都 佐々木直亮
本大学ニ論文ヲ提出シテ学位ヲ請求シ医学部教授会ノ審査ニ合格セリ仍テ茲ニ医学博士ノ学位ヲ授与ス
昭和二十五年九月八日
慶應義塾大学総長 潮田江次
第一七八五号
醫師免許證
東京都 佐々木直亮
大正十年一月十七日生
昭和十七年法律第七十号国民医療法ニ依リ醫師タルコトヲ免許ス
仍テ此ノ證ヲ授与ス
昭和十八年十一月五日
厚生大臣 小泉親彦
本免許ハ第一0八六四五号ヲ以テ醫籍ニ登録ス
厚生省衛生局長 灘尾弘吉
賞 海軍醫師会長
目録
一 白鞘短刀 壱振
昭和十九年四月十五日
海軍醫師会長
佐々木直亮
従七位に叙する
昭和十九年四月十五日
宮内大臣 松平恒雄宣
佐々木直亮
正七位に叙する
昭和二十年九月十五日
宮内大臣 石渡荘太郎宣
感謝状
一 鉄瓶 一個
佐々木直亮殿
貴殿は青森県弘前保健所運営協議委員として任期中誠心誠意保健所運営のために尽力せられましたので昭和三十二年九月二十三日青森県モデル保健所指定十周年を記念しここに頭書の記念品を贈呈いたします
昭和三十二年九月二十三日
青森県弘前保健所運営委員会
表彰状
青森県夏季保健福祉活動協議会殿
昭和三十三年以来恵まれない地域及び住民の健康水準向上につくした功績はまことに顕著であります よって第三回青森県公衆衛生大会に際し記念品を送り表彰します
昭和三十九年十月五日
青森県知事 竹内俊吉
表彰状
佐々木直亮殿
あなたは本学院創立の精神を体し長年にわたり教育に専念して本学院発展のために尽くした功績顕著なるものがあります
よって本日創立八十周年記念式典にあたりその功労をたたえてこれを表彰いたします
昭和四十一年十月三十一日
学校法人弘前学院理事長 阿部義宗
表彰状
青森県夏季保健福祉活動協議会殿
あなたは多年公衆衛生の向上に寄与されその功績はまことに顕著なるものがあります
よってこれを表彰します
昭和四十五年五月二十二日
財団法人日本公衆衛生協会
会長 石橋卯吉
感謝状
佐々木直亮殿
昭和三十二年以来先生の御尽力によって毎年村民の血圧測定を実施していただきました
その為に村民の衛生思想は急速に向上し脳卒中の予防並びに村民の保健管理に大きく貢献することが出来ました
特に昭和三十九年本村が保健文化賞受賞の栄誉を享けましたが一重に先生の御指導と御尽力の賜と村民一同心から感謝いたしております
茲に西目村記念日に当たり記念品を贈り感謝の意を表します
昭和四十五年九月一日
西目村長 斉藤弥兵衛
日本医師会医学研究助成費
佐々木直亮殿
あなたの高血圧の疫学的研究とくに地域保健からみた対策についての基本的問題への接近に対し昭和四十六年度日本医師会医学研究助成費を贈ります
昭和四十六年十一月一日
日本医師会長 武見太郎
感謝状
佐々木直亮殿
貴殿は永年会長として当連盟の発展に寄与しとくにヨット愛好者の育成にあたっては積極的に協力下された功績は誠に多大であります
よって昭和四十九年度定期総会にあたり記念品を贈り感謝の意を表します
昭和四十九年四月二十八日
青森県ヨット連盟
会長 大坂藤一
表彰状
佐々木直亮殿
あなたは永年弘前大学に勤務し職務に精励しました
よってここに表彰します
昭和四十九年十一月二十二日
弘前大学長 臼淵 勇
記
佐々木直亮殿
蓮沼正明殿
竹森幸一殿
日本学術会議の推薦により貴殿らの「日本における高血圧の疫学的研究−20年間の疫学的研究の展開による成果の社会的適用に関する基礎研究」に対し一九七四年度「毎日学術奨励金」として金八拾萬円を贈呈いたします
昭和四十九年十一月一日
毎日新聞社
社長 山本光春
表彰状
佐々木直亮殿
あなたは昭和二十九年弘前大学医学部に赴任以来東北地方に多い脳卒中と高血圧の疫学的研究にあたられこの研究でりんごが高血圧の予防効果のあることを発見された爾来約三十年にわたってその実証と普及につくされこれが消費者に対する知識の向上とりんごの消費拡大に与えた功績は誠に大きいものがあります
ここにその永年にわたる功績を讃え第十一回木村甚彌賞を授与して表彰します
昭和五十年九月二十四日
木村甚彌りんご顕彰会 会長 藤田 孝
贈呈状
佐々木直亮殿
わが国民の悲願脳卒中・心臓病の制圧を目指す当財団は貴殿を代表者とする貴研究チ−ムの左記研究に対し「第三回東京海上寄付による日本心臓財団研究助成」金弐百萬円を贈呈いたします
ついては所期の目的を達成され国民の悲願の達成に御尽力賜わるよう切望いたします
昭和五十二年五月三十日
財団法人日本心臓財団
会長 土光敏夫
記
一、血圧情報の客観化と効率化に関する研究 とくに自動血圧計の実用化について
褒賞
佐々木直亮殿
早くから衛生学を専攻し特に疫学的研究によって青森県民の脳卒中高血圧の実態を明かにするとともにその成因に接近する等優れた成果を挙げまた日本衛生学会長等の要職にあって斯学の向上発展に貢献した事績まことに著明であるよって青森県褒賞規則により銀杯一個を贈って褒賞する
昭和五十六年十一月十九日
青森県知事 北村正哉
感謝状
佐々木直亮殿
あなたは多年医師として尾上町保健衛生事業に協力されとくに結核の撲滅母子保健成人病予防等に尽力された功績は誠に大なるものがあります 依って本日保健文化賞受賞祝賀会にあたり記念品を贈って深く感謝に意を表します
昭和五十八年十月二十五日
尾上町長 葛西秋雄
感謝状
佐々木直亮殿
あなたは永年にわたり無医地区での夏季保健活動の趣旨を深く理解され地域住民の生活環境の向上と保健衛生の思想普及に尽力されもって公衆衛生の発展に寄与された功績は誠に大であります
ここに記念品を贈り深甚なる感謝の意を表します
昭和六十年十一月二十九日
三沢市長 小桧山哲夫
表彰状
佐々木直亮殿
あなたは永年弘前大学に勤務し職務に精励されました
このたび退職されるにあたりその功労を表彰します
昭和六十一年三月三十一日
弘前大学長 東野修治
第五六号
東京都
佐々木直亮
大正十年一月十七日
貴方は多年本学に勤務し教育上学術上特に功績がありましたので弘前大学名誉教授の称号を授与します
昭和六十一年四月一日
弘前大学
昭和六十一年六月六日
日本循環器管理研究協議会第二一回定期総会
役員人事改選の件 承認
新名誉会員 佐々木直亮
表彰状
佐々木直亮殿
あなたは永年にわたり脳卒中・高血圧予防についての疫学的研究と地域住民の保健活動を積極的に推進されその業績は誠に顕著なものがあります
よってこれを表彰します
昭和六十一年九月二十五日
厚生大臣 斎藤十朗
感謝状
あなたは脳卒中高血圧について実態調査や二十年以上の追跡疫学研究を実施し脳卒中の発生要因の解明を図るとともに脳卒中予防方法の確立に努められ日本における脳卒中高血圧対策に多大の貢献をされました
ここに保健文化賞の趣旨により当社全契約者を代表してこれを讃え賞金を贈って心から感謝を捧げます
昭和六十一年九月二十五日
第一生命保険相互会社 社長 西尾信一
推戴状
昭和62年4月1日
佐々木直亮殿
貴殿を日本高血圧学会の特別会員に推戴致します
任期 昭和62年4月1日より
日本高血圧学会
会長 家森幸男
表彰状
名誉会員 佐々木直亮殿
あなたは永年にわたり卓越した識見をもって日本循環器管理研究協議会の発展に多大の貢献をされました
ここに創立二十五周年を記念するにあたり特別功労者として表彰します
平成二年五月二十六日
社団法人日本循環器管理研究協議会
理事長 小町喜男
総会会長 森沢康
推薦状
佐々木直亮殿
貴殿の卓越した学識と円満な人格をもって多年にわたり日本衛生学会の発展に寄与された御功績に対し本学会は会則第七条により貴殿を日本衛生学会名誉会員に推薦申し上げます
平成三年四月三日
第六十一回日本衛生学会
会長 糸川嘉則
名第38号
名誉会員推薦書
佐々木直亮殿
永年本会の活動に参画され、その功績が顕著なので会則により貴殿を本学会の名誉会員に推戴致します
平成3年11月14日
日本民族衛生学会々長 鈴木継美
第一一七号
推戴状
佐々木直亮殿
貴殿は卓越せる学識と高邁なる人格をもって多年にわたり公衆衛生学界に寄与されたご功績に対し茲に貴殿を本学会の名誉会員にご推戴申し上げます
平成四年十月二十一日
日本公衆衛生学会
学会長 高石昌弘
感謝状
佐々木直亮名誉教授殿
先生には、大学間の壁を越えた御指導を賜り、人間味豊かな衛生学の真髄を究めた御教授でありました。幾多の困難の中を切り開かれて、後進の育成と本会のために大いなる御貢献を頂きました。
本会創立四十周年に当り、深甚なる感謝を申し上げます。
平成五年四月七日
新衛会会長 村山忍三
推薦状
第78号
佐々木直亮殿
貴殿は長年にわたって日本産業衛生学会の発展に寄与されました
本学会は貴殿の御功績に対し感謝を捧げるとともに定款第六条により貴殿を日本産業衛生学会の名誉会員に推戴申し上げます
平成5年5月8日
社団法人日本産業衛生学会
理事長 島 正吾
日本国天皇は佐々木直亮を勲三等に叙し旭日中綬章を授与する
平成七年十一月三日皇居において璽をおさせる
大日本国璽
平成七年十一月三日
内閣総理大臣 村山富市 内閣総理大臣之印
総理府賞勲局長 石出宗秀 総理府賞勲局之印
第三三五五六五一号
平成7年叙勲受賞者顕彰
一 記念盾
弘前市長
平成7年12月20日
美原賞贈呈書
佐々木直亮殿
顕彰金額 300万円也
あなたは脳血管障害に関する基礎的臨床的研究分野において多大の貢献をされましたので頭書のとおり平成7年度美原賞顕彰金を贈呈いたします
平成8年1月19日
公益信託美原脳血管障害研究振興基金
運営委員長 須田 勇
受託者 安田信託銀行株式会社 取締役社長 立川雅美
中冨健康科学振興賞贈呈書
佐々木直亮殿
中冨健康科学振興賞50万円也
あなたは当財団が目的とする医学薬学および国民の健康の維持増進に対し多大の貢献をされましたので ここに中冨健康科学振興賞を贈り顕彰いたします
平成8年3月15日
財団法人中冨健康科学振興財団
理事長 中冨博隆
賀詞
佐々木直亮殿
あなたは永年にわたり教育研究に尽くされ社会に貢献した功労により
勲三等旭日中綬章を授与せられました
本日の定時総会にあたりその栄誉をたたえ記念品を贈呈して慶祝の意を表します
平成八年五月十二日
青森県退職公務員連盟
弘前支部長 佐藤金太郎
寿詞
佐々木直亮殿
あなたは本年喜寿を迎えられたことは誠に慶賀に堪えません この間常に健康を保持せられ永年に亘り国家公共に奉仕せられた功績もまた甚大であることを深く感銘するものであります
ねがわくは今後もより健在で萬年の高寿を重ねられんことを祈念し茲に記念品を贈呈してあなたの前途を祝福いたします
平成九年五月十一日
青森県退職公務員連盟
弘前支部長 佐藤金太郎
表彰状
佐々木直亮殿
あなたはりんごと健康に関する研究者としてりんごの高血圧予防効果を世界に先駆けて実証し国内外から高く評価されるなどりんごの健康科学の基礎をつくり青森りんごの発展に貢献した功績はまことに顕著なものがあります
ここに青森りんご勲章を授与しこれを表彰します
平成十四年二月十八日
青森県知事 木村守男