衛生学教室のアルバムから(その6)
20年前の医学部には、こんなところがあったのだ、という前回に写真が好評だったので、20年前の弘前駅前の写真をとりだしてみた。
写真1 駅前にて 昭31.
写真1は、昭和31年の秋撮ったものである。この駅前に立ち、これから何年か暮らす弘前を思った方々が多いことだろう。
今は、ここにみえる馬車がないくらいで、大きくは変わっていないが、色々建物がたって、岩木山をみることは出来ない。
昨年51年10月に、イト−ヨ−カドウというス−パ−が弘南バスタ−ミナルと一緒に駐車場つきの大きなビルを建てたので、駅前に人々のにぎわいをつけることになった。又弘前相互銀行と青和銀行の合併によって「みちのく銀行」となり、従来の青森銀行と大きく二つになったことと関連づけて、人々が土手町と駅前と大きく二つに集まるといことになり、「二極化時代」への幕開けといわれるのが最近のニュ−スである。
20数年前のその頃は、医学部は全学をあげて「シビ・ガッチャキ」の研究に集中していた。写真2は、その研究の中心地であった五所川原市郊外の旧三好村の調査のときのものである。前列左から県の公衆衛生課長の向後さんの次ぎに、山村、一人おいて五所川原の増田先生、杉山、松永、後列左から片桐、古賀、入野田、荒川、高橋、槇教授らの顔が写っている。正に記念すべき一頁といえる写真だが、この年白衣を着ている入野田先生が停年で本学をさられることになった。
写真2
さて「シビ・ガッチャキ」という言葉も、最近大学に入ってくる青森育ちの学生も知らない言葉になってしまったが、次ぎの登場するのが「あたり」である。
脳卒中の話をするとき、いつもまくらにつかうこの「あたり」という言葉も、この20年間に大分変わった。
写真3 秋田県旧下浜村田中公民館にて 昭30.8.5.
写真3は昭和30年に秋田県の農村を高橋先生と一緒に、武田、伊藤君らと血圧計をリヤカ−につんで、村から村へと回ったときのひとこまである。今でこそ血圧を測るなど、日常ごくありふれたことなのだが、当時は生まれて初めて血圧を測ってもらった人が大半であった。そのような人々を前に「血圧とは」「脳卒中とは」と高橋先生が話をしているところである。
昭和33年から、青森県下で国保連の世話で医学生参加の夏季保健活動がはじまった。
写真4 深浦町にて NHK録音風景 昭35.8.2.
写真4は、西郡の深浦町でその活動をNHKが録音構成したときの一こまである。次回に学生の活動の様子を紹介したいと思っているが、この写真はたまたま寝たっきり老人の家庭を訪問したときのものである。この時の老人の声もテ−プにとってあるが、6,7年前「あたって」、その時一度医師にみてもらっただけだったという話だった。丁度「リハビリテ−ション」という言葉が日本でつかわれはじめたばかりの頃であった。それから10数年たったこの2月3日、NHK教育TVは「脳卒中リハビリテ−シヨンの課題」を取り上げた。「5つ子誕生」の裏番組であったにもかかわらず、5%の視聴率、全国で150万人の方々が見たという話である。そして久しぶりに先生のお顔を拝見しましたという便りを戴いた。
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