衛生学教室のアルバムから(その18)

 

 日本麻酔学会(昭53.5.)、日本小児循環器研究会(昭54.6.)、日本大腸肛門学会(昭56.5.)、日本泌尿器科学会(昭57.5.)、日本脳卒中学会(昭57.5.)、そして寄生虫日華合同セミナ(昭57.8.)と、全国学会や国際セミナ−がつづき、弘前も大分有名になったものだと思う。

 解剖学会や生理学会のあと、40年に弘前市民会館ができたとき日本衛生学会をやったが、又今度59年には日本民族衛生学会を引き受けてくれないか、という話がきた。

 いつだったか、日本脳卒中学会の事務局をどこにおくかが論議されたとき、弘前にきたことのない理事が多かったせいか、結局東京にきまったのだが、その理事会の席上

 「弘前にも、電話がありますよ」

 と、大池先生が発言した言葉が忘れられない。

 先日、諸外国から人もきて、日本脳卒中学会も盛会のうちに終了したのだが、これも一日にして出来上がったものではないと思う。

 この東北地方が、脳卒中の本場であったこともあるが、弘前大学医学部に、脳卒中という名前をつけた研究施設ができて、初代の梅原裕先生がかけずりまわって、第1回の脳卒中研究懇話会をやるまでにこぎつけた。

 その会が母体になり、48年には日本脳卒中研究会に、そして51年には第1回の日本脳卒中学会の誕生となったのだから、今度の第7回の日本脳卒中学会が弘前で開かれたことは、いわば、お里帰りである。

 その歴史的ともいえる第1回の脳卒中研究懇話会が、昭和44年8月1日に、十和田湖畔の奥入瀬荘で開かれた時のスナップが、衛生学教室のアルバムにある。

 

写真1 開会のことば 梅原教授 昭44.8.1. 写真2 

 写真1は、開会のことばを述べられた梅原裕先生。

 写真2に写っている秋田からこられた衛研の児玉栄一郎先生、由利組合病院の和泉昇次郎先生は今はもうおられない。

 福島の教授になった白岩康夫先生、泌尿器科の鈴木唯司現助教授、現在秋田脳研にいった沓沢尚夫先生、健生病院副院長の佐藤仁秀先生、八戸で眼科を開業している森寿夫先生、青森営林病院にいる佐々木昭先生、大池弥三郎先生らが写っている。

写真3 葛西・粟田口・大池・松岡夫妻 昭44.8.1

 写真3は、東北大学木村男也先生の病理で佐藤光永先生らと血管病変を研究され梅原先生の先生にあたる長崎大の松岡茂先生ご夫妻、そして今度の脳卒中学会会長の大池先生、耳鼻科の粟田口省吾先生・葛西美代先生である。

 翌2日には十和田湖遊覧をやった。

写真4 十和田湖畔 昭44.8.2.

 写真4はその時のうしろ姿で、岩手の木村武先生、手を上げているのは東北大の板原克哉先生、眼科の松山秀一先生の姿が見える。

 このほか車でかけつけた東野先生のほかに、水野、高松先生と参加していたわけだから、正に現在の脳卒中についての研究につづく人達が集まった会であった。

写真6            写真5 今野・木野・石井・石川 昭44.3.15.

 昭和44年という年は、3月に写真5のような、今野純子、水野洋子、石井教子、石川恭子さんら多くのビュ−テイ−ズが卒業し、写真6のように市民会館の別室で、佐藤光永医学部長から卒業証書を手渡され卒業していった年であったが、年末の11月には写真7のように、はじめて医学部がストに入った年でもあった。

          写真7 昭44.10.

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