衛生学教室のアルバムから(その20)
東日本医科学生総合体育大会、略して「東医体」に思い出のある人は多いことだろう。
昭和33年に第1回の本大会が発足し、昭和58年で第26回を迎えたが、学友会の運動部の主な目標は、「東医体」にあるといってよい。
それぞれの部に活躍のあとの記録はあると思うが、夏の大会に向かう選手のために、壮行会をやったときの写真があった。
写真1 東医体への壮行会 昭43.7.3. 写真2 東・佐藤・田辺・荒・真柄
写真1,2 は、昭和43年7月3日、午後4時半。基礎校舎前の広場とある。
佐藤光永医学部長学友会長を前に、選手宣誓をしているところだが、学務主任の東野教授の激励の言葉もあった。
医学部の旗というのができた。旗持ちは、荒隆一君だが、今2外科にいる棟方博文君らもいるが、全部の名前はわからない。
丁度時代は、脳研テスト反対、国試反対のデモで市中を歩いていた頃で、その方面で活躍した人もいたが、学友会としてもまとまりのあった頃で、運動部として壮行会がやれたのであろう。
文化部の活動も盛んであった。
前の写真の時よりすこし前だが、色々な文化部が集まって学内ゼミを開いたことがあった。
その様子はTVに放映され、その写真もアルバムにあるが、写真3,4はその一場面である。
写真3 第2回学内ゼミ 大内・柘植 昭36.11.12 写真4 第3講義室
大内将弘・柘植光夫君が司会をした。私が顧問をしていた「保医研」もなかなか仕事をしていて、演題にある「青森県における民間療法」など、今も活字に残っている立派な報告であった。
場所は旧第3講義室である。
写真4は前列から草刈紘子、長谷川鞆子、その後ろは浅野真彦、遠藤正彦、田島強、市川宏らが写っている。
この第2回の学内ゼミが開かれたのが昭和36年11月12日の日曜日で、そのあと12月に名古屋で開かれた第7回全国ゼミに多勢参加している。
写真5 第26回全国医学生ゼミナ−ル 昭58.8.7.
そしてその全国ゼミが昨58年8月7日から10日にかけて、弘前大学医学部を現地に開催されたが、第26回ということで、全国から千名以上の学生が弘前にやってきた。写真5はその受付のスナップだが、カラフルでTシャツなども売っていた。
昔、全国ゼミへ出た学生が、「ヒロマエ」大学といわれたという話も思い出したが、もう「ヒロサキ」という名前は間違えられることもないだろう。
その21へ もとへもどる