衛生学教室のアルバムから(その21)

 

写真1 ヒポクラテスの木の植樹 昭60.4.25.

 昭和60年4月25日弘前大学病院前に「ヒポクラテスの木」が植樹された。

 写真1は最初に土をかけられた大内清太先生の後ろ姿が写っている。

 大内先生は山形の篠田秀男先生(ギリシャのコス島を訪れた最初の日本人医師)と同郷のよしみでコス由来のヒポクラテスの木を入手され、自宅の庭で育てられていたが、今度医学部に植樹されることになったのである。

 (注:大内先生が入手されるには、中立ちに山形同郷の弘大教養の岩岡豊麻助教授が篠田先生からわけてもらった株、その一株を久しく大内先生が自宅の庭に植えられていたという)(由来の碑の除幕式の記事が昭62.9.5.陸奥新報にある)

 

写真2 コス島のヒポクラテスの木 昭41.7.31.

 写真2はそのギリシャのコス島にあるヒポクラテスの木の原木である。子供と比べればすぐ分かるが、大木であった。昭和41年7月31日コス島を訪れた私が撮ったものなのだが、2000年の流れを受け継いだそのプラタナスの木が、医学と同様に今40年になった弘前大学医学部にも植えられることになったのである。

 この20年間に衛生学の講義を受けられた諸君は、衛生学はコス島への旅から始まったことを、思い出してくれるだろう。ヒポクラテスやハイジェイヤの像など、初めての海外旅行のとき撮った8743枚のうちの1枚である。

 ついでに緑化委員長の品川教授の代弁をさせてもらえば、最近医学部構内は緑化が進んでおり美しくなった。これは卒業記念に寄付を戴いたものが多いのだが、今後も宜敷とPRしておこう。

 

 「いつもの原稿をよろしく」と名刺を置いていってくれた鳴海浩行君が亡くなって早10か月たってしまった。今度は石戸谷欣一君からの依頼である。

「先生の衛生学教室のアルバムは好評で、別に本にしたらという話もあるのですよ」と。

 有り難い話ではあるが、写真一枚一枚に思い出はつきない。まだまだ当分はつづきそうで、種はある。そういって私が弘前にきたてのころ30年前のアルバムをみていたら、珍しい写真があった。

  

写真3 しろがね洋裁学院の美人を前にDrGates  写真4 DrGates 昭29

 写真3,4は昭和29年5月に、Human Genetics の著者のDr. R.R.Gatesが弘前へ高橋英次先生を訪ねてきたとき撮ったものである。テ−マはなんと世界の美人の調査というふれこみで、ハ−バ−ドを退官したあとの世界旅行で羨ましく思ったものだった。

 さてどこへ案内したものか、行く先はしろがね洋裁学院であった。頭蓋指数の測定は人類学上の資料であったと思うが、紅彩の色調、皮膚の色調を調べていった。皮膚の色は顔ではなくて、うなじにカラ−スケ−ルをあってていったのが印象に残っている。

 美人を前にしているところをスナップしたのだが、このスタイルに、デザインに、スカ−トの長さに、時代を感ずる人もあることだろう。もっとも最近はまた長くなって。「文明と病気」を書いたシゲリストの言葉のように、女性の流行は絶えず互いに背中、胸、腕、脚および腿を隠したり出したりする努力であったのではないか。

 もう30年も前のお嬢さん方であるので、いまはもうお孫さんもいる人もいると思うが、長谷川安津子先生に聞くひまもなくこの原稿を書いている。

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