No.31.
1975.1.1 平穏 長野でスキ−バス転落のニュ−スあり
*見通しとトピックのない元旦紙
*かなしさをあらたにすることもある年賀状(成田尹さんからの)
*めでたさも峠を越して五十路かな(比露志)(伊藤弘先生の年賀状)
*この休み(年末年始)大鰐スキ−場へかよいづめ(教授一家と小山内さん)
1.4. 新年互例会 本部会議室 臼淵学長「インフレと不況の中を将来への飛躍にそなえて」 乾杯の音頭(松永医学部長へ指名)「私事であるがこれが最後、臼淵学長を中心に将来への飛躍をしていただきたい」
1.7. 松永医学部長と”むつ病院問題”について話し合いを行う(佐々木・蓮沼)
1.8. 教授会 木村スサさんの研究生入学認められる
1.9. 医学部地区有害廃棄物処理委員会 16日医学地区の排水の水質検査を行うことになる
1.17. 第10回青森県環境保健部職員研究発表会 青森市 青森県農業共済組合連合会大ホ−ル(新築) 総合意見交換に際して佐々木・武田・臼谷・福士4教授それぞれ意見感想をのべる 仁平將先生一部司会をする
1.18. 小野淳信・伊藤弘・山田信男先生発起人による佐々木直亮教授・武田壌寿教授受賞記念祝賀会(弘前大学永年20年勤続表彰・毎日新聞学術賞) 黒石市落合ホテルで行われる。 金襖・応挙の掛軸(?)のある部屋で、羽賀名誉教授、臼谷教授のほか、蓮沼、土方、木村、佐藤(実)、一戸、津島、柴垣、小山内、藤田、山田、福士、竹森、仁平、小野、伊藤出席。
記念品として腕時計(オメガ)を両教授に贈呈。
*くたびれた時計をかえて再出発(どうもおみかけするところ・・・・との挨拶あり)
*弘前でまたたく間にすぎぬ20年(丁度20年前の昭和29年10月31日にこの落合温泉に教室旅行で来たことがある。高橋、佐々木、武田、伊藤4名と家族共々)
*おめでたい会は私のためでもある気持(弘前へ来て早や15年になる臼谷教授の挨拶から)
*福引きは(小野先生提供)男と女の物語(例:無人島についた男と女:すぐできる:インスタントラ−メン)
*ホステスは(伊藤先生提供)よされ横町からのつぶそろい(年齢をあわせて)
*五十路すぎ中途半端とけんそんし(なかなかどうしてどうして南黒医師会長の要職にある伊藤先生)
*6階の雲の上から下界入り(助手から鰺ケ沢保健所入りをした仁平將先生)
*実験に没頭する一方人恋し(竹森先生)
*酒飲みが(少年淡谷悠蔵)やめた動機を研究し(武田先生)
*しゃべらなくてよい職を選んだつもりがしゃべらされ(養教福士先生)
*診療所長当直小使どての医者(山田先生)
*世界中あるく楽しみは生まれつき(山田先生)
*老人の仲間に入って薬ただ(藤田先生まる寿になる)
*やめたとて現役時代よりいそがしく(羽賀名誉教授)
*6階の雲の上に逆もどり(弘前に来て20年、下界でほこりにまみれくびかかりの医者を反省し、身をきよめるために助教授になった蓮沼先生)
*提案は名無しの会によい知恵を(今後の課題になる)
*開業に呼吸器循環器役に立ち(木村新三先生)
*開業に医療制度を体験し(佐藤実先生)
*歯科開業親子値段は青森で(一戸実先生)
*男性の力を感じて何十年(津島律先生)
*しあわせの社会医学の気持ちいつまでも(土方恒省先生)
1.22. 胃検診 教授会
1.23. 水曜会
松永医学部長より蓮沼助教授からむつ市長他への書留送られる
1.27. 小山内さん風邪のため1週間休んでいたが再出勤
1.30. 合同抄讀会 佐藤順規「手指の消毒薬(ヒビテン)について」 臼谷「skin fold」
2.2. 蓮沼助教授血圧計制作についての打ち合わせのため上京
第6回日本医事法学会 東大赤門学士会館 蓮沼出席
2.3. 昭和49年度青森高看公衆衛生看護学部研究発表会 青森市高看講堂 佐々木教授出席講評
2.6. 日本脳卒中学会設立準備委員会 ホテルニュ−オ−タニ本館16階紫雲の間 佐々木出席
2.7-8. 第2回日本脳卒中研究会 日本都市センタ−(世話人梅原裕教授) 発表「生前のふだんの血圧値と脳卒中死との関連」佐々木
*弘大が東京にあるような会になり(梅原・入野田・大池・佐々木・水野・岩淵・鈴木各教授ほか弘大勢数名参加)
*学会にする執念今日みのり(梅原教授の脳卒中研究施設長としての努力によって1969年第1回脳卒中研究懇話会を開いて以来4回続け1973年第1回日本脳卒中研究会を青森市で開催今回第2回そして明年の3回目は学会になることになった)
2.12. 停年退官教授も最終講義 医学部講堂いっぱいとなる 司会佐藤教授 挨拶松永教授 1)佐藤光永「私の医学概論」(和への道をとく老学者) 2)山本耕一「ボツリヌス菌の免疫学的研究」(ボ菌の鞭毛をさし 講義にでないとわからないだろうと笑わせる) 3)梅原裕「脳卒中の病理」(学会(日本脳卒中学会)ができたことをまず報告し) 花束贈呈のあと 水野教授閉会のことば
2.13. 眼底検査(佐々木・柴垣)
2.14. 排水処理委員会(佐々木・竹森)
2.15. 佐々木教授と話しあいのため蓬田下北医療センタ−本部長来室
2.18. 学1最終講義 医療短大設立に関し視察
2.19. 学部長選挙告示 予備選挙26日 本選挙3月5.日
教授会「脳卒中研究施設成因部門後任教授選考次回へ延期」「卒後教育(大学院)についての意識(0×の投票できめてゆく)
スキ−部追コン 川丁
2.20. 第9回出血性疾患研究会 弘前りんご商業会館 工藤教授のオ−ストラリア抗原(Hb抗原)の特別講演などあり
2.21. 第80回弘前医学会例会 発表「血圧測定誤差と測定者の個人的特性」蓮沼
2.24. 蓬田先生来室
脳卒中学会発足についての学内打ち合わせ会(梅原教授招集)
2.25. 学1衛生学筆記試験
2.26. 学部長予備選挙行われる 石川・大池・大内3教授参考候補者として選ばれる(票分散する)
2.27. 合同抄讀会 佐藤郁雄「Metabolism of Salithion」 仁平將「The Physician and Hypertension, JAMA,228,1249,1974.」
3.3. 養護教諭養成課程設置検討委員会(カリキュラム試案並びに今後の問題点について)
3.5. 松永医学部長辞任にともなう医学部長選挙によて大池教授が選ばれた 教授会で各種委員会委員改選の投票多し 梅原教授(脳卒中研究施設成因部門)の後任として高屋豪*(こうや・ごうよう)(府中養育サンタ−検査科長)氏選ばれる
3.15. 東医体スキ−応援のため猪苗代へ出張(佐々木)
3.19. 教授会 佐藤光永教授(第1病理)の後任として永井一徳(かずのり)(助教授)、山本耕一教授(細菌学)の後任として福士主計(かずえ)(青森県病内科部長)松永教授(第1内科)の後任として吉田豊(ゆたか)(助教授)それぞれ選ばれる
教授会のあとかっぽう中三で送別会 山本「教師として一応の責任を果たした」 佐藤「縁があって弘前へ来るようになったが 苦の連続だった 今後はのら犬のごとく生きたい」 梅原「終戦のとき碇ヶ関の橋の中央で進駐軍と面して対決以来津軽にいることになったが あと八戸の療養所長にゆくことになった」 松永「青森医専Sektion第1号をお願いして以来 色々なことがあった 中途退学するのを申しわけなく思っている 東京都の病院でいのちある限り将来の目鼻をつけたい」
3.22. 厚生省班会議 東大好仁会食堂 佐々木教授疫学班長の代理をつとめる 個人研究資料配布(西目村における60歳未満の死亡者の生前の血圧) WHOのDr.Z.Pisa(Dr.Feiferのあとがま)が来日したのでスピ−チをお願いした 夕食は主な方15名と築地スエヒロですきやきの会食
夜9時すぎ前学長柳川先生すい臓癌で大学病院で死去
県人事異動発表 仁平將先生鰺ヶ沢保健所長へ 和泉先生県環境保健部公害課規制指導班長へ
3.25. 国家試験不合格者に対する特別講義(衛生学佐々木) (各科もちまわり)
合同抄讀会 山田「相馬村定期老人診査からみた老人の血圧および脳卒中の追跡調査」 西山「Patterns of Declining Memory」
3.28. 八戸市保健衛生課沼畑涼さん夏の保健活動の調査方法について相談にみえる
3.31. 第8回世界心臓学会(1978.9.17-23)(東京開催予定)の第1回組織委員会開かれ佐々木教授組織委員として参加(京都市岡崎”ルレ・オカザキ”)
No.32.
1975.4.1. 新十一会 近鉄宇治山田駅午後1時集合−伊勢神宮(内宮)−伊勢・志摩スカイライン−御木本パ−ルアイランド−パ−ルロ−ド−堅子荘(かたごそう) 佐々木教授参加 バス1台 会名は「新衛会」になる(新設大学衛生公衆衛生学教室協議会の略) 夜中12時丁度北原教授の停年退官を祝う
4.2. 朝食6時 バスで京都の学会場へ 第45回日本衛生学会 京都女子大学 評議委員会 教育協議会 佐々木・蓮沼・竹森・仁平参加(とまり平安寮)
4.3. 学会第1日目 きわめて寒し
4.4. 発表「多目的自動血圧測定装置に関する研究(第2報)血圧の測定誤差について」蓮沼 「東北一農村住民の血圧水準の経年変化、とくに夏冬の血圧水準の比較」佐々木 「X線マイクリアナライザ−による頭髪試料の外部汚染機構についての研究」竹森
医学会総会医器展植田製作所のコ−ナ−「多目的自動血圧測定装置UN-700」展示される
それぞれ京都・奈良などを楽しんで帰学
4.8. 鵬桜会報(弘前大学医学部30年記念号)出版でき佐々木教授奈良印刷従業員と会食(菊富士)
4.9. 松永学部長最後の教授会 涙ぐんで挨拶される
学1留年11名
4.12. 昭和50年度専門課程進学者進学式 松永学部長最後のおつとめ
1pm医学部玄関より松永教授離弘 空港へ
4.13. 脳卒中学会などについて話し合い(佐々木)(大池教授宅)
4.14. 学内講義はじまる 福士先生学2講義
昭和49年度厚生省特別研究「フィ−ルドで用いる脳卒中・心筋梗塞および心不全の診断基準」作成小委員会 東京国鉄中央管理所会議室(蓮沼出席)
昭和50年度の厚生省特別研究「循環器障害の対策・管理に関する総合的研究」申請についての書面くる
4.15. 入学式 大池医学部長出席
4.16. 学1初講義 留年11名のため136名
合同抄讀会 蓮沼「多目的自動血圧計UN-700の開発とその応用」 木村恒「進行性ジストロフィ−」 木村スサさん初参加
4.17. 医学部将来計画委員会(佐々木教授出席)
4.19. 東京医科歯科北博正教授退官記念会 東京目白椿山荘にて(佐々木出席) 盛会であった 昔の新八会のときの写真などと共に一句献上 ”新八のガキ大将の俸(ささ)げ銃(つつ)(なおすけ)”
4.21. 青森高看の講義(疫学)はじまる(佐々木)
4.23. 尾上町元保健婦小野チエさん停年退職の挨拶にみえる 金屋の資料をまとめるために”特別研究生”としてしばらく教室にくることになる
大池医学部長による第1回目の教授会
4.25. 30年史予約部数ようやく900部を越える
4.26. 鵬桜会同窓会総会 下土手町マルエス会館3階会議室 照井・角田・山本・佐藤光永・松永各名誉教授梅原前教授に記念品が贈られる
4.30. 教室花見 まず教室で昭和30年頃の昔の教室関係のスライドをみる その後公園をひとまわりしてキャッスルホテル9階へ
小山内・柴垣・竹森・山田・蓮沼・佐藤(順)
岩木山(窓) ごちそう
津島・佐々木・小野・成田・高松・伊藤・福士
*広重が 版画にしたような 景色なり(6時10分に岩木山に夕陽が入る 小野先生の一言)
*生ハムに 塩をかけるか かけないか(かけた人の代表山田・柴垣 かけない人の代表佐々木)
*葡萄酒は 酸性なのか アルカリか(なんとかロ−ズ1本2000円 酸アルカリについての問答あり)
*安全は 新車を買った人の 話題なり(蓮沼先生ニュ−クラウン)
*”ハンデイ”は何のことかと解説し(ゴルフを全然やらない人からハンデイ19の伊藤先生までいる中で)
*夜まつり 花のしたより ハナの下(おわって公園の夜さくら見物には行かずカジマチのキャバレ−クラブをはしごする) 夜街には 濃いい霧がかかっていた
5.2. 長者番付発表 青森県内20位佐藤実先生、黒石に伊藤先生でる
5.3-5. 大型連休 雨模様
5.3. 麻酔科学教室開講10周年記念パ−テイ(ホテルニュ−キャッスル) 市民会館で麻酔科展行われる
5.6. 医療短大入学式(看護学校講堂)
5.7. 交通スト エリザベス女王来日 女王晴れ
5.8. 青森県農薬危害調査委員会 青森市丸大4階会議室 角田会長ほか臼谷・石見・佐々木委員出席 臼谷・石見・渡部各委員の研究発表をきく(”有機リン農薬中毒”についての質疑あり) 昭和50,51年度は硫酸ニコチンの危害について調査研究をすることになる
5.10. 昭和50年度夏期保健活動中央打合会 青森市自治会館 佐々木出席 (八戸市・横浜町・川内町)
5.11. 午前3時前弘前大学学長佐藤煕先生逝去さる(肺炎のあと快方にむかっていたが)
松永藤雄教授退官記念 松永内科開講30周年記念会 月水会記念総会 午前10時より医学部講堂にて 午後1時より懇親会ホテルニュ−キャッスル
*月水会とは 松内で月曜日には抄讀会 水曜日には総回診でしぼられたので自然にこういう名前がつけられたとの先輩の話であった(吉田新教授) *斉藤野辺地病院長の謝辞は松永先生のすべてをのべた記録として貴重な文章であった *役所の書いたものはそばにおいて(竹内知事) *松永先生は(おしまれ、かんげいされ)幸いな方である 又よい師よき友にめぐまれて(大池学部長) *学生時代同じ下宿にいたとき以来のおつきあいであるが 軌道からはずれたことには厳しかったが 老成してきたようだ 学術会議では7部に松永ありといわせた 益々自愛して大成してほしい(山形東北大教授の書簡による) *どうも美濃部スマイルににて松永スマイルになったようだ ”それかの武蔵(宮本)”のように”それからの松永”はどうなってゆくのか さいはての青森から中央に出て けんそんすることなく 幹事が言い間違えたように50年をかがやかしい一生で送ってくれ(前田秋田県病院長) *再出発のありかたを考えてきたのであるが 万感こもごも言葉に窮した あっという間の30年であった この地方の方々の失礼のきわみの言葉をのべたが あくまでも真剣であったと申し上げることができる 寸鉄人を殺す内容をも求めたがそれがなければ自分は0になるだろうと思った これは又大きな負担でもあった 大樹の下にやどったことは幸いであった(松永名誉教授) *今度の病院の人事で冲中重雄先生が松永君を推薦した 昔松永君と一緒にいった中国に最近行った話から・・・ハリ麻酔の現状 癌が直るかどうかその可能性がないというわけにはいかないが(黒川先生)
5.13. 高屋教授新任の挨拶にみえる
5.15. 佐藤煕先生(普賢院釈徳煕)通夜 弘前市専徳寺 おわって”故人をしのぶ会”あり 10時半までいろいろな方から話があった(いずれ記念誌に掲載されることになるとか)
5.16. 元弘前大学長名誉教授・東北女子大学長佐藤煕先生(76歳)の柴田学園葬(葬儀委員長今村敏)東北女子短大体育館で行われる 知事・市長・学長・医学部長(佐々木教授代読)・医師会長等の弔辞あり 厳粛にして盛大であった
5.20. 日本心臓財団第16回理事会第5回評議員会合同役員総会 東京日本工業倶楽部会議室(佐々木出席) 湯浅喬三副会長出進行 東京海上寄付による日本心臓財団研究助成金贈呈式及び祝賀パ−テイ式には土光敏夫会長ほか医務局長公衆衛生局長ら出席 帰途東北線脱線事故のため特急おくれる 21日早朝青森着 第1講の講義にようやく間にあう
5.21. 昭50年度大学予算会議 短大主事東野教授はじめて出席
5.22. 解剖慰霊祭
5.24. 保医研コンパ ”要”(医学部保医研から弘大保医研へ組織がえすることになる)
5.25. 弘前大学医学部眼科学30周年記念式典(医学部講堂)懇親会会場ホテルニュ−キャッスル 長坂先生のソプラノ テ−ブルスピ−チなど *弘前に目を向けさせよう今後とも(入野田教授世界的な仕事を) *師の命日に花をおくる人は誰(小柳教授の命日にはいつも入野田教授から花が捧られた) *内心は先生の絵のようにやさしいに違いない真面目厳格の内面は *こんな方に何十年もつかえられた奥様にまず感謝をし(角田) *だれがいったかは知らないが”入野田天皇”という声がきこえてきてはじめはこわかったが真面目な先生だ(佐々木)
5.26. 昭和50年度農山漁村健康調査(昭和44年未熟児)の追跡調査についての打ち合わせ会(青森高看にて県公衆衛生課らと)
5.29. 水曜会(もちまわり講師の件)
合同抄讀会 竹森「文献にみられる頭髪中のNa,K,Ca含量」 佐藤光毅「日本人のBody Fat Massに関する研究」
5.31. 開学記念日 医学部ゴルフコンペ 教授は今年はBB
6.1. 弘前医学会総会 新築の三沢市立病院会議室で
6.3. 細菌学福士教授辞令がでたと挨拶にみえる
6.6. 水曜会 もちまわり講師についての新しい申し合いきまる
6.7. 第13回日循協理事会 名古屋国際ホテル2階菱の間 佐々木出席
6.8. 第13回日循協総会 名古屋明治生命ホ−ル
6.12.昭和50年度科学研究費一般D「X線マイクロアナライザ−による頭髪試料の外部汚染機構についての研究」竹森(39万円)採択の通知はいる
6.18. 東奥日報記事”成人病”についての打ち合わせ会
6.21. 住友生命平位医務部長来室 小野先生とキャッスルホテルで昼飯(佐々木)
6.23. 青森県成人病予防協会理事評議員会(佐々木理事出席 仁平保健所長評議員となる)
6.24. 青森市町村公立病院運営委員会との懇談会 医学部 キャスルホテル 大池・石川・佐々木・品川・水野・後藤・東野(欠)・野辺時(斉藤)・黒石(松田)・三沢(中村)・七戸(斉藤)・金木(鈴木)・浪岡(斉藤)各病院長
6.27. 八戸市保健協力員(80名)医学部設備研修のため来学 1時間の予定で屋上からの展望・医学部講堂でのスライドによる医学部紹介(佐々木教授) 寄生虫(山口教授)
No.33
1975.7.1. 下北新報にむつ病院福島高文院長の蓮沼弘前大学助教授への「謝罪広告」出る
7.4. 八戸市保健協力員医学部(第2陣)受け入れ スライドで説明(佐々木)のあと第2外科小野助教授の「オッジ筋の機能」についての映画供覧あり
7.5. 厚生省心身障害小児慢性疾患研究班「小児疾患動脈硬化の小児期の予防研究班」第1回打ち合わせ会議 四谷信濃町慶大カンファランスル−ム(5階)で開かれる(佐々木出席)
7.9. 退官四教授記念行事(発起人大池医学部長)弘前キャッスルホテル開かれる(会費6000円) 山本・佐藤光永両教授出席(松永教授は所用のため、梅原教授は病気にため欠席) 山本「あまり出なかった教授会も今になってみるとなつかしい 今日は水曜日今頃なにしているかと思う」 佐藤「いろいろいそがしくスマ−トになった よく”お元気で”といわれるが それに”・・・といわれるほどの歳になり”と付け加えたい 弘前の弘は弓を張った形であり前はすすむである 今後どんどん発展してほしい」 多くのスピ−チ(16名)が予定されていたが飲み始めてけんそうのため2,3名でやめになる
教授会で評議員(50.8.1-52.7.1.)(佐々木・品川)、環境保全対策委員(臼谷)の再任きまる 医学部創立30周年記念事業委員会発足 公衆衛生西山助教授(50.8.1.)衛生竹森講師(50.7.16..)
7.10. 能美光房先生らの「保健科教育法」(家政教育社)寄贈される
7.13. 日医理事松浦鉄也先生(佐々木教授と同級生)来弘 午後青森市医師会館で「医療過誤について」特別講演
7.15. 臨時教授会(当面する学生問題について)
秋田脳研沓沢先生から来年10月の老年医学会のシンポジウムの件について電話あり
7.16. 竹森幸一助手から講師へ昇任発令
第46回日本産業衛生学会(札幌北大) 発表「多目的自動血圧測定装置の開発と産業医学への応用について」蓮沼
7.19. 金屋の奈良・高橋保健婦血圧検診についての打ち合わせのため来室
7.21. グラフセンタ−・弘前医学編集合同委員会(武田技官病気の件)
7.24. 酷暑の山形行き 新設の山形大学医学部解剖の外崎昭教授(昭37卒)の案内で構内を見学後近くのそばやでごちそうになる あこや荘泊まり(佐々木・竹森・仁平)蓮沼助教授は夜おそく山形着
7.25. 第24回東北公衆衛生学会 山形市市民会館 (参加佐々木・蓮沼・竹森・仁平・津島・木村) 発表「多目的自動血圧測定装置の開発とその応用」蓮沼 「東北一農村における60才未満の循環器疾患による死亡者の生前の血圧」佐々木 「母子健康手帳についての一考察 特に様式について」仁平 特別講演「公衆衛生と率」植松稔北里大教授 自由討議「脳卒中対策について」あり 終了後ビ−ルパ−テイ 来年度の学会宮城県とい地域内で
蔵王温泉こまくさ荘にて「みちのく会」(高橋先生他辻・植松・佐々木ら) 「長老といわれて今日もびっくりし」(前回は乾杯の音頭をといわれたが 今回は新井教授からいわれて) 「新任の教授の顔に昔を思いだし」(20年前に若く教授になった頃のことを山形大の新任の遠藤・新井教授の顔をみて)
7.31. 34.1度(弘前地方)
8.1. 35.8度 弘前ねぷた祭りはじまる
夏期保健活動中央巡回横浜町 特別講演「成人病の予防について とくに高血圧とガン」蓮沼助教授
8.2. 能美光房先生文部省体育課から厚生省医務局歯科衛生課長へ
昭和50年度厚生省特別研究第1回班会議 東大好仁会会議室(佐々木・蓮沼出席) テ−マ「循環器疾患の対策・管理に関する総合的研究」
夏期保健活動中央巡回班八戸市 特別講演「高血圧について」蓮沼助教授
夜半かみなりをともなった豪雨のあと鉄砲水岩木町百沢部落をおそい17戸流失22名死亡
8.7. 医学部教員選考規則及び基準検討委員会(世話人品川教授委員長に互選される) 大内・佐々木・山口・(帷子)・蓮沼・柳・橋本・小野
北海道ほか数県(脳血管疾患の月別の死亡数)送付願い発送
8.11. 評議会
8.12. 医学部・病院連絡会議(病院長室)「救急体制について」
8.13. 教員選考規則検討委員会
8.14. 熊谷通夫先生(東京都立小児病院)よりコレステロ−ルの標準品小包到着 工藤肇教授へ持参し分析を依頼する
全国各県へ資料送付願い(脳血管疾患の月別死亡数)発送
8.15.. 「きたぐに」で西目村血圧調査行き 佐々木・竹森・蓮沼(扇田より)学生4名(専3小尾重厚・木村一弘・佐々木博海・沼田美彦)
8.16-21 出戸・田高 潟端・若松町 海士剥 中高屋・豊栄・上高屋・沼田 潟保・役場・井岡・中沢 中学校
今年の話題 1)佐藤トキエさん教育委員会へ 新人保健婦斉藤ふでさん入る「新人に自動血圧計しかられる」 2)9月1日町制しかれる予定で種々の行事があった「血圧カ−ド一足先に西目町」 3)送り迎えのバスは新車(ふくしバス)だった「保健からふくしにかわる20年(注:10年前の保健文化賞で買ったバス保健文化号から今回のふくしバスまで) 4)17日(日)村民運動会のため血圧測定は朝6時から行われた 11時まで「一はしりする前に血圧をはかる心がけ」 5)自動血圧計との同時聴診で免状がでる位の”耳”をあげる「”今年”は自動血圧計は順調にゆき つめるところまでつめてきた感じ」 6)連日晴れ(ただしむしあつく)の夏の陽に”夏バテ”気味の一週間だった「バトミントンもゲ−トゲ−トボ−ルする元気なし」 7)20日の朝弘前市水害奥羽本線不通 蓮沼先生の家に水かさがましているとのニュ−ス入る「”ステレオ”が気になるほどにたばこふえ」 8)蓮沼先生最後の仕事をすませとるものもとりあえず弘前へ 9)一行反省会もそこそこに料理のおりを手に秋田までバスにのる 先の見通しのないまま碇ヶ関行きの最終列車にのりこむ すずしい空に満月をみながら早口駅に8分停車 「”早口”で奇人”はやくち言葉”の芸を出し(奇人というのは木村君のこと 江戸のべらんめ−の早口言葉の芸を出す) 碇ヶ関で弘南バスの連絡あり 佐々木教授は息子の迎えの車あり どうにか弘前に着く 弘前市内の水害の模様かかくしかじかと話題つきず
8.20. 仁平將先生新車でのりつける
8.22. 夕方弘前市内豪雨となり再び土淵川流域に出水警報でる
8.23. 厚生省医務局医事課から書面(沖縄県立八重山保健所派遣について9月1日から9日まで)入る
8.26. 金屋血圧調査(佐々木・蓮沼・竹森) 9時から4時まで 159名 自動血圧計のみによる連続3回測定で行う
8.27. 小児血清コレステロ−ル調査用紙とどく
青森県自治体病院よりの寄付金についての委員会
9.1. 佐々木教授沖縄へ出張
9.2. 厚生省医務局医事課へ すぐ隣の歯科衛生課で新課長の能美光房先生に会う 羽田13.30 那覇1600 Okinawa Hiltonで弘大同窓会の歓迎会
9.3. 那覇から石垣へYS11でとぶ 西表島(東部)の大原地区視察 仲門川の秘境を舟でのぼる オ−バ−クラフトで石垣へもどる
9.4. 八重山保健所で管内の保健婦の講演会「成人保健についた」佐々木 (与那国、波照間島からも来た) 午後石垣島の川平(かひら)へ視察 夕方近くの竹富島へわたり泊まる
9.5. 竹富島より石垣へ 那覇へ 那覇市内中央保健所で本島の保健所長と会う
9.6. 中央保健所で管内保健婦の講習会 午後本島南部を視察 具志川市でとまる
(9.6. 東北学校保健学会 秋田市)
9.7. 本島北部を視察 北端の辺戸岬までゆく 海洋博をちょっと見て那覇へ
9.8. 沖縄県庁環境保健部長以下に挨拶 午後のジャンボで羽田へ
9.9. 定例評議会
9.10. 教授会 学長選考の選挙委員に佐々木・入野田教授なる
標準コレステロ−ルの測定値工藤先生に送る
9.11. 狼の森血圧調査(佐々木・竹森・小山内) 自動血圧計のみで椅座位で行う
9.15. 第8回世界老人マラソン大会で高松功先生10km完走賞をうける
9.16. 昭和50年夏弘前大学公開講座 むつ市むつ信用組合大ホ−ル 「生活と健康」佐々木 秋浜旅館泊まり
9.18. 第9回リスク研究会 東京六本木住友会館(佐々木出席) 1)リスク調査(アモトリ−ル投与成績) 2)The role of hypertension in cardiovasucular disease 3) Risk factors in atherothrombotic cerebrovascular disease W.B.Kannel(Director of the Framingham Study)
9.19. 厚生省班会議(佐々木出席) 国立公衆衛生院 (生活環境・事後指導基準小委員会) (リスク別の指導案をつくり 65才以上は自由だとの案でる)
9.22. 尾上町奈良・高橋保健婦血清検査(コレステロ−ルの件)で相談にみえる
9.26. 合同抄讀会 沢田幸正「公衆衛生領域におけるパッチテスト」 佐々木「沖縄見聞記」(半分はアメリカにいる那覇の街)(陸橋にclearance 16feet 目にうつり)(来沖という言葉がある案内図)(Hiltonでステ−キを注文する同窓会)(Hilton式(沖縄)歌とおどりで迎えられ)(クラブにて主な人に皆あえる那覇の街)(ホステスは”方言札”の中で育てられ)(税務署の係りが保健所の庶務課長)(”血が高い”人の少ない長生きの島)(”さげぐすり”にいかのスミをのむ島の人)(星砂の浜に人魚のいそうな島があり)(紫にかがやく海の黒真珠(川平カヒラにて)(グラビヤからぬけでてきたような美女二)(黒真珠しばし保健婦の仕事なく)(竹富の朝はユンタの歌であけ(朝6時半の部落放送))(”かぐしやま”にふと海軍のレスで聞いた30年前を思いだし)(はだかでは写真とらせぬミンサ−織り)(受付を朝6時でしめきるいそがしさ(眼炎が流行して))(文部省にうつったとたんに地域(医療)なし(琉大保健学部附属病院))(腰掛けと出稼ぎを拒否する里の人(琉球出身者からみれば))(”人頭税”という時の声にひびきあり(観光案内の人))(太陽の沈む西は”イリ”といい(西表イリオモテ島))
No.34
1975.10.1 日本脳卒中学会についての学内経過報告(大池・水野・佐々木)学部長室
第8回世界心臓学会から佐々木教授へ学術委員の依頼状来る
10.2. 第22回日本小児保健学会(会長泉教授)前夜役員懇親会 キャッスルホテル(佐々木・武田・臼谷教授出席)
10.3-4. 小児保健学会 弘前市民会館 千名以上の参加あり盛会
10.4. 「大学の地域社会への要望等に関する意見交換会」(青森県企画課国土庁よりの委託) 弘前市プラザホテル (佐々木教授出席)
10.5. 弘大ヨット部員海難事故のニュ−スはいる(全員無事)
10.6. 弘前大学学長選挙委員会発足(佐々木教授出席)
山田竹松先生ご逝去(特発性気胸で急逝)
10.10. 山田竹松先生通夜 ”サイレンの音さびしく秋の夜に”(堀越部落の中にひびき渡る午後6時に1分間のサイレンのあと読経がはじまった)
10.15. 弘前大学医療短期大学開学記念式典(医学部会館) 同祝宴(講堂)
10.20. 「大和ヘルス財団」の第3回研究助成(100万円)の決定通知入る テ−マ「自動血圧測定方法についての検討」(佐々木直亮・蓮沼正明)
10.22. 杉田啓先生論文提出資格審査通過
青森県自治体病院協議会との懇談会(第2回) キャッスルホテル(佐々木教授出席)
10.26. 弘前医学会総会
10.29-31. 第34回日本公衆衛生学会 横浜
高血圧自由集会のあと高橋政雄先生に横浜ニュ−グランドホテルグリルで御馳走になる(佐々木・蓮沼・竹森・仁平) 「めずらしく竹森講師口火きり」「ワインは良いものだ(蓮沼)」と話はずむ
10.30. 厚生省班会議 東大赤門学士会館 「循環器障害のための検査指針の設定」(小委員長尾前照雄教授) 佐々木・蓮沼出席
10.31. 発表「血圧サ−ベイランスについて」佐々木 「某農村における内服薬からみた高血圧の治療状況第2報」蓮沼
「新衛会」(教授会)横須賀観音崎走水荘(防衛庁共済組合) 北・北原・田中・辻・中村・戸田・佐々木・加美山・滝沢・村山・西山・三好・渡辺・石沢・百々・前田・窪田・旭川福山教授初参加 久里浜海上自衛隊横須賀」地区病院の方々と 「辻先生から昔潜水艦にのったときの話が出る」「私つくる人僕たべる人」の次ぎに「だからあなたはだめな人」をつけ加えればよいと)
11.20. 仙台NHK東北本部制作課遠藤二郎、アナ平林良直12.12.日放映の”みんなの健康全放)の打ち合わせ来室
11.24. 初雪
11.25. 熊谷氏よりWHO推薦の皮下脂肪測定器(John Bull英国製ハ−ペンデン)入荷
11.26. ”スト権スト”突入
11.27. 合同抄讀会 津島律「総合看護10,6,1975.」 松浦喜美夫「青森県の先天異常」 香水の香匂う抄讀会
黒石ライオンズクラブ(会長伊藤弘先生)第282回定例会 黒石大黒デパ−ト宴会場 ゲスト講話「成人病に関する話」佐々木直亮
11.28. 黒石厚生病院財団法人双仁会に重症疾患研究所(研究所長佐藤光永名誉教授)設立祝賀式と会
11.29. 日本産業医学会東北地方会第34回集談会(飯坂温泉あずま荘)ストの為中止 1月に延期となる(佐々木・蓮沼2題出席予定)
12.1. 慶大医学部への佐々木教授の出張講義中止となる
12.5. 学長候補者第2次第3次選挙行われる 臼淵・大池・松永三氏選ばれ第3次184,90,83票で臼淵現学長当選 同日開かれた評議会で受諾の意をのべる ”すんなりと当選”と新聞は伝えていた
12.8-9 12日放映のNHKみんなの健康「寒さと高血圧」(佐々木)のビデオ取り仙台出張
12.10. 佐々木教授へ日本衛生学会次期(昭和51年から3年間)の幹事(東北地区)当選の通知あり
杉田啓先生論文審査通過「愛知県における血圧の統計的研究」
12.12. 11.00NHK全国放送きょうの健康「寒さと血圧」佐々木教授出席
12.13. 学3衛生学試験
12.15. 杉田啓先生来室
第82回弘前医学会例会 例会講座「血圧の個人評価と集団評価−特に個人評価への疫学的アプロ−チと問題点」蓮沼助教授 終了後山道町二葉会館賞華園で中華料理の教室員内輪の会食 話題はたべるものばかり
12.17. 青森県下高等学校長と懇談会 キャッスルホテル
12.18. メデイカルトリビュ−ン社主催座談会「カリウムを中心に」司会大島研三(日大)佐々木直亮、額田忠篤(阪大)高居百合子(国立栄養研応用食品室) 東京パレスホテル (CIBA-GELGETがスポンサ−で内容はHypertension Bulletinに出る予定)
12.21. 蓮沼助教授血圧検定の為上京 24日まで
12.22. 水曜会忘年会(角み小路常ずし)照井・角田・梅原先生ら顔をみせる
佐々木教授へ「青森農薬危害調査委員会の委嘱依頼(継続)来る
教室の新年会は51年2月7日(土)大鰐不二やにきめて通知を出す
12.23. 危険有害廃棄物委員会
12.23. 山田信男先生の学位論文「青森県一農村における脳卒中発作の疫学的研究」通過
12.26. 岩岡弘大助教授”授業実施の拒否を決めた教授会決定は不当”とした人事院に18日付け提訴した記事が各新聞に出る
12.27. 弘前市医師会忘年会(医師会館) 奥様方お嬢さん(小野先生の)参加 市長選近く終盤戦の忘年会
12.30. 日本栄誉士秋田県支部の”しょっぱくない食生活運動”(低塩キャンペ−ン)の実施についての文書入る 顧問団に佐々木直亮教授依頼される